(33)
アンリは遠くの的に狙いを定めると、魔力をやや緩やかに練って、足元から細い木の枝を伸ばした。地面を這うように進んだ枝はアンリから離れるほどに上方へねじれ、最後には的の真ん中に突き刺さる。
すぐにアンリは、足をひとつ踏み鳴らす。それを合図に、枝は一気にぼっと燃え上がった。一瞬で黒い炭と化した枝は崩れて床に落ちる。火は、的に燃え移る前に消えた。
床に落ちた炭はさらさらと的に寄り集まって、最初に枝が刺さったときにできた的の穴を埋めた。アンリが指を鳴らすと、炭の黒色が的と同じ鋼色に変化する。
それから少しのあいだ何をすべきか悩んだアンリは、とりあえず右手の人差し指を的に向けて、水魔法を水鉄砲のように使って的を射た。的の穴は完全に塞がっており、水は奥へは抜けなかった。
こんなものか、とアンリは実演を終えて、後ろで見ているはずのトウリとほかの部活動のメンバーを振り返る。全員が、唖然としていた。
「とりあえず、こないだの実演をベースにやってみたんですが。だめでしたか?」
「駄目ではない。駄目ではないが……」
トウリは続く言葉を言わないまま、右手を口元に当てて黙り込んでしまった。駄目ではないが何なのか。なにか実演の仕方に作法があるとか、とてつもない失敗をしているとか。心配になったアンリが隣に視線を移すと、エリックは苦笑いを浮かべている。
「アンリ君。その、魔法ができるとは聞いたけど、まさかこんなすごいとは」
トウリが大きく頷いた。言いたいことは概ね同じらしい。
よかったとアンリが大きく息を吐くと「ちょっとお!」と甲高い抗議の声が入った。
「こんなに魔法ができるならアイラに仕返ししてやればいいのに! なんでしないの!」
「いや、なんでって……。そんなにできるわけじゃないよ」
「できてるじゃないの!」
「戦闘魔法はできないし。それに、魔法を喧嘩に使うのはよくないよ。ねえ、先生?」
「ん? ああ、喧嘩は駄目だな」
衝撃から立ち直り切れていない様子のトウリの反応は鈍かったが、それでもアンリの味方にはなった。マリアはそれでもぶうぶう文句をたれるが、学園生活での話だ。教師さえ味方につければこちらのものだ。
「アンリはその魔法を、どのくらいの期間で身につけたのですか?」
「えっ? うーんと、魔法が使えるようになったのは、入学検査後だから」
「ひと月からふた月程度ということですか」
「まあ、そのくらいかな……」
イルマークとのやり取りにアンリは冷や汗をかく。いつから魔法を使えるようになったのか。それが入学検査前だと知られると、入学検査での不正がトウリにばれてしまう。
だから入学検査後と言わざるを得ないのだが、ほんの一、二ヶ月でこれほど魔法の練度が上がるというのは、普通はおかしなことなのだろうか。物心つく頃にはこのくらいの魔法なら当たり前に使っていたアンリには、常識の程度がわからない。
「アンリに魔法指導をした人は、よほど教え方が上手なんだろうね」
「えっ、あ、そう! たぶんそう! すっごいコツとか教えてくれたんだ!」
ウィルの出してくれた助け船に乗って、アンリはなんとか続く皆からの疑念を退ける。
魔法を習得するのにかかる常識的な期間は、続いてトウリの口から説明された。
「普通は二年生に進学してから魔法の訓練を始める。そこから卒業までの三年間をかけて、今のような実演ができるレベルを目指すんだ。卒業までに目標を達成する者もいれば、達成できない者もいる。普通は、そのくらいの年月がかかるものだと思っておけ」
それから、とトウリはアンリの方を見ながら、やや気の毒そうに口を開いた。
「魔法を使った喧嘩は禁止だが、模擬戦闘は両者の合意と教師の立会いを条件に許されている。アンリくらいの実力があれば、学年トップとの模擬戦闘も形になるかもしれないな」
トウリの目を見て、アンリは知られていることを悟った。
アイラと約束をした、ひと月後の模擬戦闘。アイラはもしかしたら、アンリのクラス担任であるトウリに立会いを依頼したのかもしれない。空気の読めない奴めとアンリは心中でアイラを罵ったが、後の祭りだ。
「……ま、形になるというだけだがな。お前らの学年トップは戦闘魔法も使えるし。まだ勝てるとは思わないことだ。さ、じゃあ今日も訓練するぞ!」
トウリはアイラとの模擬戦闘に皆がこだわらないよう話題を変えてくれたようだった。部活動の中で言いふらさないトウリの優しさにアンリは安堵する。
しかしトウリの言葉は、アンリに新たな課題を示していた。
戦闘魔法を使えるアイラに生活魔法だけで勝つことと、模擬戦までの一ヶ月間にアンリが新たに戦闘魔法まで使えるようになること。どちらの方がより常識的に見えるだろうか?




