(26)
試合場の真ん中で、アンリは仮面をつけたロブと向かい合った。
仮面の下で、ロブはどんな顔をしているのだろう。いつも魔法戦闘を楽しむときのように笑っているのか。あるいは絶対にアンリを勝たすまいと、任務に臨むときのような真面目な顔をしているのか。
いずれにしても、アンリに負けるつもりはない。いつもロブと模擬戦闘をする際には、アンリもそれなりに楽しんでいる。けれど、今日の試合ばかりは楽しむことはできない。
「そんな顔するなよ。せっかくのイベントだ、楽しもうじゃねえか」
アンリがにこりともせずにロブを見ていたからだろうか。仮面の下から、そんな声がかかった。おや、とアンリは首を傾げる。言葉の内容に反して、ロブの声は低く鋭い。どうやらロブも、笑ってはいないようだ。
「別に、俺はいつも通りにやらせてもらいますよ。ロブさんこそ、もっと気楽にやったらどうですか」
「……いつも通りに、ね」
ロブの声がいっそう低くなった。声に苛立ちが混ざるのを感じ、アンリは警戒して身構える。そんなアンリを前に、ロブも試合開始を見据えて魔法の準備を始めたようだ。いつものように、ロブの先攻で試合を始めるつもりらしい。
「本当にお前がいつも通りにできるなら文句はないさ。できるもんなら、やってみろ」
会話はそこまでだった。
審判から、試合開始の合図が下りる。
最初にロブが繰り出したのは、アンリがコルヴォやサンディとの試合でやったのと同じ、霧の魔法だった。試合場の全体を霧で包んで、視界を遮断する。
サンディがやったように霧を払ってもよかったが、必要性を感じなかったのでアンリはそのままにした。視界が遮られようと、魔法を魔力で察知できるアンリにとって支障はない。むしろ観客からの目を気にせずに済むことは、アンリにとって好都合ですらあった。
霧の中、炎魔法による火の球が飛んでくる。アンリは走ってそれを避けた。
狙い撃ちされないように場内を走り回りつつ、ロブの魔力の気配を探る。ロブのいる場所さえわかれば、こちらから攻めることもできる。
(ロブさんの魔力の気配は……うわ、八つもある)
位置を誤魔化すために魔力を飛ばして気配を偽造しているのだろう。簡易的に探るだけだと、この霧の中に八人のロブがいるような錯覚に陥る。そのどれから魔法が降ってきても対応できるように、アンリは駆け回った。
(本物がどれかを確かめるより、全部抑えちゃったほうが早いかな)
アンリは樹木魔法を用いて、八つの気配全てに蔦を伸ばす。蔦で拘束して、手応えがあればそれが本物のロブだろう。魔力だけのダミーなら、そもそも拘束することができない。
しかしロブも、それを簡単に許すほどの阿呆ではない。というよりも、どうやらアンリの予想は完全に外れていたようだ。
蔦が到達する直前に、八つの気配がそれぞれ炎魔法に変化した。八つ全てが。どうやら全てがただの魔力の塊で、その中に本物のロブは含まれていなかったらしい。
炎が蔦に引火して、凄まじい勢いでアンリのもとへ迫る。アンリは樹木魔法を駆使して蔦を途中で切り落とした。それでも炎は蔦の有無など無関係に、蛇のようにのたくってアンリに向かってくる。アンリはその場から飛び退り、迫り来る炎を避けた。
爆発音が響き、強い爆風に煽られる。アンリは咄嗟に結界魔法で身を守り、場外へと吹き飛ばされるのを防いだ。
(……さすがにロブさんとの戦闘では、使う魔法を制限してなんていられないか)
観客席にレイナがいたとしても良いように、アンリはこの模擬戦闘大会で使う魔法の種類を制限しようと考えていた。魔力量はミルナからもらった戦闘服でごまかせるが、使う魔法の種類まではごまかせない。だから、たとえば戦闘魔法であっても、生活魔法の延長のような単純な魔法のみで戦おうと考えていたのだ。
ところがさっそく結界魔法を使うことになってしまった。
(たぶん、それがロブさんの狙いなんだろうけど)
いつも通りという言葉にロブは腹を立てたようだった。アンリが魔法の種類やら何やらを制限して戦うつもりであるにもかかわらず「いつも通り」などと言ったことを、不愉快に思ったのだろう。それでムキになって、アンリに「いつも通り」の戦闘をさせようとしているに違いない。
そうはさせない、とアンリは思う。
中等科学園に残るにあたり、ロブに勝つことは必須条件だ。一方でアンリの身分を周囲に悟らせないことも、今後平和な学園生活を送るにあたっては必要不可欠だ。
ロブの誘いに乗って、アンリは結界魔法を使ってしまった。黒焦げになりたくなかったからだ。しかし、まだ大丈夫。隠蔽魔法をしっかり使ったから、霧で視界が遮られたこの状況なら、たとえ観客席にレイナがいたとしてもアンリが何をしたかは悟られないだろう。
絶対に、ロブの思うようにはさせるものか。
アンリは感知魔法を用いて、本格的にロブのことを探し始めた。これも入念に隠蔽魔法をかけているので、アンリが何をしているか、観客には気付かれないはずだ。そして単純に感覚で気配を探るのに比べて精度は段違いだ。たとえロブが隠蔽魔法で自身の姿と魔力とを隠していたとしても、見つける自信がアンリにはある。
まず感じ取ることのできた気配は十個。ロブは調子に乗って、先ほどと同じ手をくり返そうとしているらしい。しかし、その手には乗らない。
感知魔法を駆使して、感じ取った十個の気配を正確に探る。先ほどのように十個全てがただの魔力の塊なのであれば、相手にするだけ無駄だ。
(……やっぱり、全部ダミーか。ロブさんはどこだ……?)
慎重に探れば、十個の気配が全て、実体を伴わないただの魔力の塊であることがわかった。ということは、ロブは全く別の場所にいるということだ。アンリは感知魔法の範囲を試合場内全体に広げて、ロブの居所を探す。
(……いた)
十個の気配とは全く異なる位置。試合場の端のほうに、感知魔法に引っかかるものがあった。
それを感じ取ると同時に、アンリは地面を強く蹴って走る。魔法で気配を探り出されたことは、ロブならきっと気付いただろう。対応する間を与えてはならない。速攻に限る。
アンリは走りながら手の中に氷魔法で剣をつくり出し、魔法で感知した気配の位置に素速く突き出した。どうせ防がれるだろうから、寸止めや手加減は考えない。
ところがアンリの予想に反し、剣はそのままずぶりと、目的の場所にあったものを貫いた。しかし、手応えは人を貫いたものではない。
(これもダミーか!)
小さく風魔法を使って、目の前の霧だけ晴らす。アンリが貫いたのは、人の背丈ほども大きさのある丸太だった。ご丁寧に、てっぺんには目鼻口を簡易的に彫ってある。馬鹿にしやがって、とアンリは心中で口汚くロブを罵った。
本物はどこだ。
もう一度感知魔法を発動させようとして、アンリははっとした。
十個あった魔力がまた、魔法に変化しようとしている。
今度は氷魔法らしい。狙い撃ちされるのを防ぐため、アンリはとにかく走ってその場から移動した。向かう先を特定されないよう、右へ左へと蛇行する。
氷の槍が無数に降ってきた。さすがに走るだけで避け切れるものではなく、アンリは同じ氷魔法で頭上に盾を用意して、自分に向かって降り注ぐ氷の槍を防ぐ。ガンガンと、氷が氷にぶつかる音と衝撃が響いた。
ロブはどこだ。集中力を乱す音と衝撃に顔をしかめつつ、アンリは改めて感知魔法で周囲を探る。しかし周囲には霧を発生させた水魔法と、槍を降らせる氷魔法の気配しか感じられない。
たとえ隠蔽魔法を使っていようと、見つけ出す自信がある。それなのに見つからない。その矛盾に、アンリは苛立ちを募らせた。
(いっそのこと、炎魔法で試合場内を全部焼き払おうか。結界魔法をうまく使えば観客席に影響が出ないようにはできるし……魔力をうまく偽装すれば、ロブさんが魔法を使ったように見せかけることもできるはず。……いや、だめか)
アンリは自身の過激な思いつきを即座に否定する。試合場を焼き払うのは良いかもしれないが、最後に立っているのはアンリでなければならない。ロブが魔法を使ったように見せかけることはできるが、それでロブが倒れてアンリが立っているというのでは不自然だ。
では、他の手は……再び考えを巡らせようとしたところで、アンリははっと上を見た。
バチッと弾けるような音とともに、アンリの用意した氷の盾が砕け散る。
氷の槍ではない。槍に紛れて雷魔法が降ってきたのだ。氷の槍対策で作った盾は、ほかの魔法には弱い。
(上か……!!)
アンリは新たな氷魔法で盾を取り戻しつつ、飛翔魔法で空へ飛び上がった。試合場を埋め尽くす霧を抜けた、その上。
「おや、見つかっちゃったか」
空中に、仮面をつけたロブが浮かんでいた。
てっきり霧の中にいるものと思い込んでいたアンリは、感知魔法をこんな上空にまでは広げなかったのだ。ロブは最初からここで、アンリが逃げ回るのを見下ろしていたに違いない。
しかし、見つけてしまえばこちらのものだ。もう逃しはしない。
「終わりですよ」
「さて、どうかな」
氷魔法で用意した剣を構えるアンリ。その後ろで、バチリと不穏な音がした。
すぐにアンリは、それがロブによる雷魔法であることを悟る。隠蔽魔法を使ってアンリの後ろに潜ませていたのだろう。ロブの用意した威力の強い雷魔法。アンリはロブ本人を探すことに注力しすぎて、彼が隠した魔法には気づけなかったのだ。
避けるか防ぐか。どちらにせよ、ロブに大きな隙を見せることになる。もはやロブに接近してしまったこの場で、その隙は命取りだ。
だからアンリは、雷魔法に対しては何もしないことにした。氷の剣を使って、そのままロブを攻める。
アンリの選択に、ロブはやや慌てたようだった。自身も樹木魔法で木剣を作り出してアンリの剣を受ける。
アンリの背に、雷魔法が到達した。強い衝撃と、身体を一瞬で通り抜ける痺れのような痛み。しかし、それだけだ。アンリはそのままロブへの攻撃を続ける。
「は……はあっ? ちょっと待て、俺の魔法だぞっ? そりゃ手加減はしたが、動きが止まるなり落ちるなり、もうちょっと何かあるだろっ」
「ミルナさんの作ってくれた戦闘服ですよ? 雷くらい、防げるに決まってるじゃないですか」
動揺するロブに冷静に答えながら、アンリは剣で攻め続けた。魔法による攻撃も交えつつ剣を繰る。
上空から霧の中へ、そして地面へ。少しずつ下りながら、アンリは攻撃を続けた。霧の中に入っても、いったん捉えたロブの姿を見失うことはない。
剣と魔法の打ち合い。そうなれば、多少の制限があろうともアンリのほうが有利だ。剣の腕は明らかにアンリのほうが上だし、使える魔法に制限があるとはいえ、アンリの魔力量は無尽蔵。剣にせよ魔法にせよ、持久戦になればアンリに分がある。
アンリの剣か魔法かが、ロブの剣を弾き飛ばす。ロブはその都度、新しい剣を魔法で生み出す。
もはや悪足掻きも無意味だと思ったのだろう。アンリが剣を弾き飛ばすこと七回目に至って、ついにロブが、新たな剣をつくりだすことを諦めた。
ロブは立ち止まって両手を上げ、降参の姿勢をとる。
アンリは油断することなく、ロブの首元に剣を突きつけた。それから風魔法を使って、周囲の霧を晴らす。
試合場内の様子がようやく見えた。ロブの炎魔法によってぐちゃぐちゃになった地面。そこに突き刺さった数多くの氷の槍は、溶けずに氷筍のように残っている。
さらに霧を風で流すと、ようやく観客の様子が見えてきた。しんと静まり返った観客席。誰もが突然霧の晴れた試合場内を見つめているが、何が起こったのかがわかっている者は少ないだろう。
「しょ……勝者、アンリ・ベルゲン!」
数呼吸の間を置いてから、審判が、思い出したように高らかに宣言した。




