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魔法戦闘部の催し物は、魔法戦闘とは全く関係のないものだった。アンリたちがたどり着いたのは、露店街の一角に開かれた食べ物屋だ。店は盛況で、商品を買うための列ができている。
「わ、アンリ。やっぱり来たんだ……」
店先で客の呼び込みをしていたウィルが、アンリとイルマークを見つけて眉をひそめた。その顔が、来ないでほしかったと語っている。
「アンリのことだから、てっきり魔法器具とかに夢中になって、こっちに来る暇はないかと思ってたのに」
「残念でした。俺が忘れても、イルマークがちゃんと覚えていてくれたからね。……ウィル、面白い格好をしてるね」
ウィルはいつもの制服姿でも、訓練着でも、普段着でもなかった。肩から胴、腕、脚の先までが全てひとつながりになった、だぼっとした緑色の服。頭には、同じ緑色の布地でつくられた大きな帽子。帽子の上のほうに飛び出すようにくっつけられた二つの目玉が可愛らしい。
簡単にいえば、蛙の着ぐるみだ。
「素直に笑ってくれていいよ。似合わないだろ」
「いやいや、似合ってるって」
ウィルは不機嫌そうに顔をしかめているが、蛙の着ぐるみに包まれた姿ではそんな様子さえ可愛いものだ。アンリは吹き出しそうになるのを必死にこらえた。
似合っているというのは嘘ではない。そもそも顔以外が全部隠れてしまう造りになっているのだから、似合うも似合わないもない。
「魔法戦闘部の人たちが着ぐるみを着てるって、なんだか不思議な感じだ」
あまりウィルだけに注目してしまうと気の毒なので、アンリは露店全体に目を向けた。
店の周りには、ウィルと同じように着ぐるみを着た学園生がほかに三人、客を集めるために通行人に声をかけている。それだけでなく、店の中にいる店員役の学園生たちも同じように着ぐるみを着ているようだ。
何の着ぐるみなのかは皆まちまちで、愛らしくデフォルメされた熊の姿になっている者や、黄色い服と帽子でヒヨコのようになっている者、羊を模した白いもこもこに包まれている者など。一人一人個性豊かだが、それでも可愛らしい動物を模した着ぐるみであるということは共通している。
魔法戦闘部は、普段から魔法を使った模擬戦闘を繰り返している好戦的な部活動だ。その部員たちがこんなにも和やかな店を開いているということに、アンリは驚きを覚えていた。
「魔法戦闘部って、もっと厳しい部活動かと思っていたよ」
「だからだよ。魔法戦闘部は怖いっていう印象を持っている人が多いらしいから、そのイメージを払拭しようって誰かが言い出してね。それで、こんなことになったんだ」
こんなこと、と言いながらウィルは苦い顔で露店を振り返る。着ぐるみ姿の店員たちも可愛らしいが、店の造りも工夫されている。赤や黄色、ピンクといった明るい色で彩られた看板やのぼり旗。ポップな見た目は客を惹きつけ、楽しい気分にさせる。これが魔法戦闘部による出店だとは、言わなければ誰も気付かないだろう。
「良いアイディアだと思いますよ。街の賑わいにとても合っています」
「そうは言うけど、僕はこういうのは慣れないからさ」
慰めるようなイルマークの講評にも、ウィルはため息まじりに苦笑するばかり。アンリもイルマークと同意見なのだが、しつこく言ったところでウィルの気が晴れることはないだろう。ウィルだって、これが間違っていると思っているわけではない。本人が言うように、単に「慣れない」だけなのだ。
「まあ、頑張って。明るく笑っていればいいよ、せっかく可愛らしい格好しているんだからさ」
「……はいはい。せっかくだから買っていきなよ、味は美味しいからさ」
ウィルに促されて、アンリとイルマークは店の前にできた列に並ぶ。何を売っているんだろう、と首を伸ばして前方の様子を窺ったアンリは、そこで恐ろしいものを見て固まった。
「どうかしましたか、アンリ」
「イ、イルマーク、ちょっとあれ。あれってさ……」
アンリと同じように店の様子を窺おうと首を伸ばしたイルマーク。彼もそのまま、アンリと同じように固まった。
二人の横で、ウィルが苦笑しながら首を振る。帽子に付いた愛らしい蛙の目が、首の動きにあわせてゆらゆらと揺れた。
「信じられないだろう? 一組の知り合いが来ると、みんな同じような顔をするよ。まさかアイラが……ってね」
アンリとイルマークの二人が見つけたのは、店頭で客に商品を渡すアイラの姿だ。その身は薄茶色の服に覆われている。頭には三角形の耳がちょこんと可愛らしく付いていて、背中には大きな縞模様のついたしっぽが揺れていた。どうやらリスの姿らしい。
アイラが着ぐるみを着ている様子というのも珍しいが、これはもはや魔法戦闘部がそういう催しをしているのだから仕方がない。決まったことなら、と渋々ながら従うアイラの姿は想像できるというものだ。けれども今、店で接客しているアイラは、アンリたちが想像していたそんな姿からは全くかけ離れていた。
リスの姿をしたアイラは客を前にして、満面の笑みを浮かべている。
満面の笑みだ。
「どういうこと? あれって、本当にアイラだよな?」
「さすがにそんなことを言っては失礼ですよ、アンリ。……ですが私も、あんな顔をしたアイラは初めて見ましたね」
普段は澄ました顔をしていて、笑顔を見せることが少ないアイラ。勝負に勝ったときの勝ち誇った笑みだとか、アンリの常識の無さに対する嘲笑だとか……笑顔といえば、アンリはそんな顔しか向けられた覚えがない。マリアと一緒にいるときなどは自然な笑顔も見せるが、それにしても、控えめな微笑みであることが多い。
いくら接客のためとはいえ、満面の笑みを浮かべているアイラなど、想像もできなかった。
列が進むと、声も聞こえてくる。「お待たせいたしました」という声は、たしかにアイラの声だ。明るく快活な、お手本のような接客だ。客受けも良いようで、「ありがとう」と気分良く声をかけて帰っていく客もいる。そうして帰っていく客を、アイラはいっそう輝くような笑顔で見送るのだ。
元のアイラを知らなければ、好感を持てる店員の姿だろう。
しかしアンリやイルマークからすれば、何か見てはいけないものを見てしまったような気分だ。
「……これ、このまま列に並んでいて、アイラに怒られないかな?」
商品を受け取るときになって、アイラが急に表情を一変させる……そんなことがないかと、アンリは不安になってくる。知らない人に対しては笑顔を振りまいているが、知り合いが来たとなれば、アイラも態度を変えるのではないだろうか。
「今までのところ、一組の知り合いが来ても特に変化はなかったよ。アンリたちに対しても同じかどうかはわからないけれどね」
蛙の着ぐるみが可愛らしく肩をすくめる。「まあ、がんばって」と言い置いて、ウィルはそのまま去って行ってしまった。薄情者め、と思う間にもアンリたちの番が近付いてくる。
「いらっしゃいませ! ご注文はお決まりですか?」
受付はムササビの格好をした女子だった。アイラばかり気にしていてメニューを見ていなかったアンリは、慌ててメニューを見て「いちご味」を注文する。イルマークは「ぶどう味」。
注文と支払いを終え、いよいよ商品の受取口へ。
「お待たせいたしました、ご注文いただきましたいちご味とぶどう味です! ありがとうございました!」
目の前にいる客がアンリとイルマークであることはわかっているだろうに、アイラの笑顔は一片たりとも曇らなかった。
商品はただのアイスクリームなのだが、にこにこと笑うアイラから受け取ると、なんだか不思議なもののように思われる。
「ええと、あ、ありがとうアイラ」
「どういたしまして。……あなたたち、明日以降に今日のことを話題にしたら怒るわよ」
アイラの笑顔は変わらなかった。まるで作り物のような笑顔。
その笑顔からいつものアイラの声で釘を刺されて、アンリとイルマークは、ただ黙って頷くことしかできなかった。
魔法戦闘部の次は、ハーツのいる山岳部だ。
山岳部の出店では、大鍋でつくったスープを小さな容器に分けて売っていた。普段、登山の際に山中でつくって飲んでいるスープだという。香辛料がよく効いていて、体の温まるスープだ。
「いいな、山岳部は普段からこんなの食べてるのか」
「基本は山に登るときだけだよ。でも、入部すると登山の前に、まずこのスープのつくり方を教わるんだ」
ずいぶん昔の先輩の代から、代々伝わっているレシピだという。数年前から交流大会でこのスープを売り出すようになり、最近ではスープのレシピ知りたさに山岳部に入る新入生もいるのだとか。
「山で採れた物を入れると、また味が変わるからな。結局レシピを知るだけじゃ物足りなくなって、ずっと山岳部に居続けるっていうパターンが多いらしい」
かくいうハーツの恋人である一年生のマリーナも、その手合いだとか。話がのろけに移りそうになったので、アンリは咄嗟に話題を変えた。
「ハーツは今日は一日、ここで店番?」
「いや、店番は午前中だけ。午後はマリーナと街を回る約束してるんだ」
「あ、そう……」
ハーツにとってはどんな話題でもマリーナとは不可分らしい。イルマークは慣れっこだという顔をしつつ、小声で「最近のハーツはマリーナのことで頭がいっぱいなんですよ」とアンリに耳打ちした。アンリも諦めて「こっちのことは気にせず楽しんで」と言うに留める。「おう」と素直に応えるハーツの顔が明るいので、それで良しとしよう。
仕事の邪魔をしては悪いからと理由を付けて、アンリとイルマークは早々に山岳部の露店から離れることにした。




