(15)
「学園生が泥棒を捕まえたと聞いてね。魔法士科なら知っている子かもしれないと思って、無理を言って来てもらったんだ。悪かったね」
ロブは悪びれもせずに、すらすらとそんなことをのたまった。本当に悪い奴だと、アンリは眉をひそめて表情で抗議する。
アンリたちを連れて来た二人の若い警備担当は、ロブからの合図に従って外へ出た。
天幕の中がロブとアンリ、そしてイルマークの三人だけになる。その瞬間を狙って、アンリは天幕を覆うように魔法で結界を張った。誰も入ってこないようにするための人避け。そして、中の会話を外に漏らさないようにするための防音の機能を備えた結界だ。
アンリの素早い対応に、ロブは笑みを引き攣らせる。
「ええと、二年一組の子だったよね。突然呼び出してしまって、本当に悪かったね。気を悪くしたかい?」
「あ、ロブさん。そういうのいいんで。イルマークは全部知ってますから」
接客用と思われる椅子に断りもせずに座りながら、アンリは投げやりに言った。おそらくロブは、イルマークがアンリの素性を知っているということを知らないのだろう。だから、外向きの顔を崩さないのだ。
さっさと話を終わらせるには、余計な気遣いが無用であることを伝えるに限る。
アンリの期待通り、ロブはいったん呆れたように目を見開いたが、すぐにやれやれと深くため息をついた。
「……あーあ。俺は隊長の言いつけを素直に守って、お前のことを黙っていてやってるっていうのに。あの命令は、従う必要もなかったわけか」
「いや、そんなこともないんですけど……」
そう言われてしまうとアンリも弱い。ロブが隊長の命令を守ってアンリの立場を口外せずにいてくれること。それで助かっている面は確かにある。
なにせ、アンリの立場を知っている友人はごく一部に限られている。そしてアンリの実力は知っているが立場は知らない、コルヴォたちのような存在もいるのだ。誰にどこまで話しているか、それを個々に説明するのも面倒くさい。
「ああ、君も座るといい。アンリの気が利かなくて悪いね」
立ったまま二人の様子を窺っていたイルマークに、ロブが優しげに言った。ロブの言葉に従って、イルマークがアンリの隣に座る。自分だけ勝手に座ってしまったアンリはきまり悪く思うが、イルマークに気にする様子のないことが救いだ。
だがそもそも、イルマークに椅子を勧めるにあたってアンリを引き合いに出す必要など無かったはずなのに。そういうところに、ロブの性格の悪さが滲み出ている。
不機嫌に顔を歪ませるアンリを見て、ロブはにやりと笑った。
「そう怒るなって。別に、取って食おうというわけじゃないんだから」
「じゃあどういうつもりですか。……というか、なんでこんなところにいるんです? 暇なんですか?」
アンリの問いをまじめに受け取ることもなく、ロブは笑いながらアンリの向かいに座る。そうして「暇じゃないさ、仕事中だからな」と、得意げに言った。
「交流大会の警備班長になったんだ。今年は俺がここの警備の責任者だ。安心して交流大会を楽しめ」
やっぱりそうか、とアンリは頭を抱える。警備本部の天幕群の中にいるのだ。警備の仕事に携わっていると考えるのが普通だろう。しかし規模が大きいとはいえ、防衛局戦闘部の一番隊副隊長がやる仕事ではない。
だが、前例がある。
ロブはにやにやと笑いながら、楽しそうに続けた。
「去年は隊長が警備をやったって聞いたからな。なら、今年は俺がやってもいいだろ?」
そういうことだ。通常は若手の戦闘職員を数人派遣して警備の一部を担わせるだけなのに、昨年の交流大会では一番隊の隊長がわざわざ警備に参加した。
それに倣って、今回は副隊長であるロブが警備に加わるということだろう。
「……何が目的ですか」
昨年隊長が警備を務めたのは、その必要があったからというわけではない。隊長自身の極めて個人的な目的のために、権力を濫用した結果だ。隊長は一年限りのつもりでいたし、翌年の警備は従来通り、若手の職員に任せるはずだっただろう。
それをロブは、なんの目的があって覆したのか。
「人聞きの悪い言い方をするな。俺は、街の治安を思って参加したんだ。なにしろ、これだけ大規模な行事だ。何があってもおかしくないからな」
「……なら、ちゃんと仕事してくださいね」
昨年の隊長のように警備の期間に休暇を取るなど言語道断だ。いや、百歩譲って休暇は良しとしてもいい。それは本人の権利だ。だが、それをもってアンリの邪魔をしようというなら、許すわけにはいかない。
アンリの強い視線に、ロブは笑って肩をすくめた。
「当然だ、仕事はちゃんとやるさ。気付いてるか? こうやってお前の文句を聞いている間も、俺はちゃんと仕事をしてる」
アンリははっとして、周囲に意識を巡らせた。ロブの魔法の気配を探る。薄くてわかりにくいが、たしかにロブは魔法を使っている。
「これは……知覚魔法ですか。もしかして、街全体に張り巡らせているんですか?」
「よくわかったな。そういうわけだ。交流大会の間、イーダの街中での事件事故は、全部把握できる。俺にしかできない仕事だろ?」
まさか街ひとつ全てを自身の魔法で覆うとは。アンリは呆れて、一瞬言葉を見失った。たしかにロブは広域的な魔法を得意としている。だからといって、普通は学園の行事程度のことで、街一つにわたって知覚魔法を展開したりはしない。
それからアンリは「あれ?」と首を傾げる。
「じゃあ、さっきの泥棒はどうなんですか。気付いていて何もしなかったんですか?」
街中の事件事故を全て把握できるというのなら、先程、準備中の露店から商品を盗もうとした男のことにも当然気付いていたはずだ。アンリが男を捕らえる前に対処することもできたに違いない。
なぜ、そうしなかったのか。ロブはアンリの問いには答えず、にやにやと笑みを浮かべるばかりだった。
それでアンリも気がついた。
「さては、俺の近くだからってわざと見逃しましたね。……仕事をしてください」
「いやいや、仕事はちゃんとしているさ。だけど、まもなく解決する事件に敢えて手を出すのは馬鹿らしいだろ? 君の協力には感謝しているよ、どうもありがとう」
最後の一言を例の胡散臭い笑顔とともに告げるロブの前で、アンリは不機嫌を隠すことなく舌打ちした。アンリの機嫌を損ねることに関しては、とことん天才的な男だ。
それでいてロブは「まあ、怒るな」と笑いながらアンリを宥める。
「アンリに会う口実がほしかったんだよ。一応、街中のパトロールもするからな。ばったり会うよりは、先に伝えといたほうがいいかと思っただけだ。別に、アンリの学園生活を邪魔しようってわけじゃない」
「なら、真っ昼間から呼び出さなくたっていいじゃないですか。もう十分に邪魔されてますよ」
アンリの主張に「それは悪かったね」とロブは髪の毛一本ほども悪くは思っていなさそうな声で応える。
「早いほうがいいかと思ったんだ。まあ、とにかくこれで目的は済んだからな。お前がそんなに忙しいなら、もう帰ってもいいぞ。……イルマークも悪かったね。アンリに付き合わせてしまって」
「いえ、私は別に構いませんが」
突然自分に話が回ってきたことで、イルマークはピンと背筋を伸ばす。そんなイルマークに、ロブはどこから取り出したのか、紙袋をひとつ手渡した。
「これ、お礼とお詫び。まだ前日なのに早々に開店している露店があったから、買っておいたんだ。アンリは受け取ってくれなさそうだから、君に渡しておくよ。一年生たちも含めて、仲間で分けて食べるといい」
紙袋の中身はチョコレート菓子だった。一口大の菓子が数十個詰まっているようだ。魔法工芸部で分けても余りが出るほどの数だ。
チョコレート菓子をもらったことでやや心の落ち着きを取り戻したアンリは、ロブの「一年生たち」という言葉で、そういえばと首を傾げた。
「ロブさんは結局、コルヴォたちに訓練をつけているんですよね。どうなんですか、あいつらは」
「ん? ああ、まあ悪くはないが……」
アンリから問われることを想定していなかったらしい。ロブは言葉を探すような間を置いてから「ま、誤魔化しても仕方ねえか」と諦めた様子で肩をすくめた。
「もうちょっと上手く育てられるかと思ったんだけどな。安心しろ、誰もお前に勝てるほど強くなっちゃいねえから。ハーツも似たようなもんだ。……スグルっていう三年生のほうなら見込みはあったんだが、あいつはお前と同じ模擬戦闘には出ないしな」
今の教え子たちのことを饒舌に語るロブ。それを聞いて、アンリはほっと安堵した。ロブの話がどこまで本当かはわからないが、言葉の通りなら、アンリにとって警戒すべき相手はエイクスとアイラだけということになる。
一方で、スグルならという言葉には不安も覚えた。アンリ自身についてというよりも、アンリが指導している先輩たちについての不安だ。
「スグルさんは、そんなに強くなったんですか?」
「ん? そうだな。強くなったというか、あいつは元々センスがあるんだろう。飲み込みが早いんだ。教えたことをすぐに実戦で使える力がある」
ロブはいったい何を教え、スグルはいったい何を学んだのだろうか。気にはなるものの、あまり探りを入れすぎると、アンリがサニアの指導に当たっているということがバレてしまうかもしれない。バレたらいけないということもないが、ロブに知られると面倒くさそうだ。
「うまくいけば、公式行事のほうの模擬戦闘で優勝するかもしれないな。見るのを楽しみにしてるんだ」
「……見るのはいいですけど、ちゃんと仕事もしてくださいよ」
あまり観戦に集中されると、余計なことに気付かれかねない。それ以前に、そもそも余計なことはせずに、警備に集中していてほしい。
ロブはにやりと笑って「わかってるよ」などと、わかっているのかいないのか判断のつきにくい調子で言うだけだった。




