(9)
ミルナの言いなりに動いても、たまには良いことがある。
実験室でミルナに勧められた外套を羽織って実験に参加したアンリは、ミルナを単なる厄介者と見ていた先ほどまでの自分を反省していた。
「すごいですね、これ。もう一回試してもいいですか」
「もちろん。何度だってやってみてちょうだい。気に入ってもらえたなら何よりよ」
実験室は訓練場と似たようなつくりをしていて、防護壁も数十枚張ってある。訓練場との違いは色々と計測するための魔法器具が置いてあること。それから、この設備を管理しているのが戦闘部ではなく研究部であるということだ。
戦闘部の隊長の権限は、この部屋には及ばない。
アンリは外套を羽織ったまま、実験室奥に立てられた的に向けて無造作に氷魔法を放った。
魔法の威力は、アンリがふだん戦闘職員として魔法戦闘を行うときに使用している程度にしていた。通常の魔法戦闘職員でも、これほどの強さで氷魔法を使う者は滅多にいない。中等科学園生の魔法としては、余計に不自然な強さだろう。バリッと耳障りな音とともに、氷に打たれた的が砕けて派手に散らばる。
一方でアンリの近くに置かれた計測用の魔法器具は、それほど大きな魔力の動きを検知していない。せいぜいアイラが氷魔法を使うとき程度の強さ。つまり、多少強いものの、一応は中等科学園生が使う魔法の範疇に収まっているということだ。
魔法に使われる魔力量を少なく見せること。アンリがあれほど試行錯誤して、最終的には訓練場を壊すにまで至った望みを、この外套は簡単に叶えてくれている。
「すごいですね。これ、本当に魔法器具じゃないんですか?」
「ええ、もちろん。特殊な魔法素材を含む繊維を織り込んでいるだけだから。これだけで魔法器具とは呼ばないわね」
つまり、魔法器具禁止という模擬戦闘大会のルールにも則っている。この外套を着て戦闘に臨むことができれば、優勝はぐっと近づくだろう。外套という形は目立つかもしれないが、有志団体による模擬戦闘大会なら制服や学園指定の戦闘服である必要はないので、規則違反にはならないだろう。
欲しい。
「ミルナさん、この外套……」
「あ、ちなみにね。今は外套の形で作っているけれど、お望みなら戦闘服に仕立てることもできるのよ。どうかしら、使ってみる?」
使わせてもらえないかとアンリが口にする前に、ミルナがさらに好条件を提示した。アンリとしては願ったり叶ったりだが、ここまで良くしてもらうと逆に不安になる。こうまでして、ミルナに何の得があるのだろうか。また別の厄介事が降ってくるのではないか。
不安が表情に出てしまったのかもしれない。アンリの顔を見てミルナは「そんなに心配しなくても大丈夫」と笑った。
「今回のことに見返りなんていらないから。先行投資っていうやつよ」
ミルナとしてはアンリを安心させるつもりだったのだろうが、アンリにとっては意図が掴めず困惑するばかりだ。「先行投資」などと言われては。結局は見返りを求められているということではないか。
そんな顔をしないで、とミルナはくすくすと笑う。
「アンリくんはすぐに顔に出るんだから。……大丈夫。つまりね、今アンリくんが戦闘部に連れ戻されちゃうのは、私にとってあまりよろしくないのよ」
研究部のミルナにとって、アンリが戦闘部にいるか中等科学園にいるかはあまり大きな問題ではない。魔法器具の開発や実験に手を借りられればそれで良いのだ。
ただ、アンリが学園にいることで、ミルナにとって得になることが一つある。「アンリくんの視野が広がることよ」とミルナは言った。
「前は戦闘職一筋という感じだったけれど、今は私たちの研究にも興味を持ってるでしょう? 私にとって、それはとても大切なことなのよ」
「……俺、前から魔法器具製作には興味ありましたけど」
「それは趣味としての話でしょう。でも今は、将来の進路としても考えてくれている。違う?」
たしかにそうかもしれない、とアンリは考える。学園に入る前、アンリは自分に戦闘職員として生きる以外の将来があることなど想像もしていなかった。しかし今では研究職も悪くないと思えるし、魔法器具販売の職業体験も悪くはなかった。部活動で取り組んでいる魔法工芸は仕事にできるほど向いているとは思えないが、それでもそうした職業の選択肢があることは知っている。
「あくまで選択肢であって、研究職になりたいと思っているわけじゃないですよ」
「いいのよ、それでも。可能性が少しでも生まれたということなんだから。今、アンリくんが戦闘部に連れ戻されちゃったら、その可能性が全くなくなってしまうでしょ。それは残念だもの。だから私は、必要な支援は惜しまないつもりよ」
だから頼って、というミルナの言葉に、アンリはやや頷くのをためらった。
ミルナの言葉は嘘ではないだろう。だが先行投資と言うからには、やはり何かしらの見返りは求めているはずだ。アンリが研究職に就くなら見返りが十分だということはわかる。だが、もしも研究職に就かない道を選択したならば。ミルナはアンリにどんな見返りを求めてくるのだろうか。
「そんなに不安そうな顔をしないの」
ミルナはアンリの顔を見て、面白そうに笑った。
「大丈夫よ。研究職に進まなかったからって、怒ったりはしないから。もちろん今までと同じように、研究に協力してくれればありがたいけれど」
怒ったりはしない。その言葉を聞いて、アンリは少しだけ安堵する。もちろんミルナのことだ、言葉のどこかに罠があるかもしれない。けれどもそれを気にするよりも、今は彼女の協力を得ることのほうが大切だ。
悩んだのはほんの数秒。アンリはミルナの提案に乗ることにした。
「わかりました。これを戦闘服に加工してもらっていいですか? あ、もちろん戦闘職員用のじゃなくて、一般的な感じの」
「交渉成立ね。いいわ、とびきりデザインの良い服を作ってあげる。数日中には仕上げるから、楽しみにしていて」
「ええと、派手なのはやめてくださいね……目立たずに、さりげない感じのが良いんですけど」
アンリが不安になって言い添えると、ミルナはやや機嫌を損ねた様子で口を尖らせた。
「わかってるわよ。良いデザインというのはね、派手だったり奇抜だったりするもののことを言うわけじゃないのよ。使う人の意に沿いつつ、その人の想像を上回って便利で使い勝手の良いもののことを言うの。きっと、アンリくんが思っている以上のものを作ってみせるんだから」
そういうものかと安堵したアンリは、改めて「よろしくお願いします」と深く頭を下げた。任せてちょうだい、とミルナは自信満々に胸を張る。
それから彼女は「そういえば、この戦闘服のことは副隊長さんには内緒よ」と、周囲を憚るように小声になって付け足した。
「模擬戦闘大会でアンリくんがどうやって戦うかなんて、知られたら対策を取られてしまうかもしれないでしょう。その対策をして、さらに対策を取られて……そんなことをしていたら、きりがないもの」
「それだけじゃないですよ。そもそも俺が卒業後に戦闘部に戻らないかもしれないなんて話になったら、ロブさんはきっと、何がなんでも俺を連れ戻そうとする。だからそもそも、この話はここだけの秘密です」
模擬戦闘大会で優勝できるか否かで、アンリの中等科学園在籍を認めるか否かを決める。
ロブがそんな甘いことを言っているのは、たとえこの勝負に負けたとしても我慢するのは数年だという前提があるからだろう。どのみち中等科学園を卒業すれば、アンリは防衛局の戦闘部に戻る。それなら、もしもアンリが模擬戦闘大会で優勝したとしても、ロブにとって失うものは少ない。
しかしその前提が崩れたとしたら。アンリが学園卒業後、防衛局に戻らない可能性があるとしたら。そのことを、ロブが知ったら。
きっとロブは、もっと本気でアンリを連れ戻そうとするだろう。もちろんアンリも真剣に抵抗するつもりだ。しかし、本気のロブは、今よりもずっと面倒で手強いに違いない。あるいはアンリも抗いきれないかもしれない。
そうね、とミルナも頷いた。
「余計な情報を与える必要はないもの。この話は私たち二人と、あとは隊長さんだけの秘密にしましょう」
「隊長?」
ミルナの言葉に引っかかってアンリが問い返すと、彼女は「ええ、そうよ」と頷いてから首を傾げた。アンリが問い返したことを不思議に思っている様子だ。
「もしかして、聞いていなかった? この特殊繊維を織り込んだ戦闘服を作ってみてくれと私に頼んできたのは、隊長さんよ。きっとアンリくんが必要になるからって。だからこんなに都合良く用意できたのよ」
そうして今日、試作品ができたと報告に行ったところ、ちょうどアンリが防衛局に来ているところだと教えてもらったということらしい。食堂にいるだろうというヒントをくれたのも隊長だという。タイミングから考えるに、アンリが訓練場を壊し、隊長から説教を受けた後のことだろう。
あれだけ厳しくアンリを叱り、訓練場の使用禁止まで言い渡した隊長だが、その直後には何食わぬ顔でアンリのために動いてくれたというわけだ。
思わずアンリはため息をつく。つい先刻、食堂で途方に暮れてついたため息とは全く違うものだ。
そんなアンリに、ミルナはにっこりと笑いかけた。
「ちゃんと期待に応えられるように、頑張らないとね」
アンリは深く頷いた。




