(6)
その日の授業後。アンリは魔法工芸部には向かわずに、街中を西へ向けて歩いていた。西の門から街を出て、森へと向かう予定だ。
西の森は広く深く、人の立入りの少ない場所が多い。これからのサニアとの訓練に備えて、人目につきにくい広い場所を探すつもりだ。学園の訓練室を使っては、後輩が先輩に指導する光景が悪目立ちしてしまうだろう。レイナやロブに見つからないようにするためにも、人目につかない訓練場所が必要だ。
(学園の素材採取場のほうへ行ったら、魔法工芸部か魔法器具製作部に見つかっちゃうかもしれないから。それとは逆で、あっちのほうかな……)
西の門を出たアンリは、いつもとは違う道に足を踏み入れる。最初こそ広く踏み固められた道が続いていたが、枝分かれごとに道幅はだんだんと狭くなり、最終的には下草で覆われた獣道になった。道かどうかと悩んでしまうくらいの道を、アンリはせっせと草を分けて進んでいく。
たしかこの先に川とも呼べないくらいの細い水の流れがあって、それを上流へと登っていけば、樹木の少ない広い湿地に出るはずだ。時期によっては広い湖のように水に覆われてしまう場所だが、雨の少ない今なら、柔らかな土に覆われた広い空き地のようになっていることだろう。行きづらい場所にあるため人も少なく、訓練にはぴったりだ。
おぼろげな記憶を頼りにひたすら進むと、やがて足元に石が多く見られるようになった。ごつごつと大きめの岩も見られるようになったあたりで、水こそ無いが水の流れた跡と思しき筋が見つかる。アンリはそこから、ゆるい坂を筋に沿って登った。しばらく進むと、生い茂っていた木々が徐々に数を減らしていく。
もう少し進めばちょうど良い場所が見つかるのではないか。そんな期待を持って歩みを進めていたアンリだったが、目的の湿地帯にたどり着く手前で、ぴたりと足を止めた。
(誰かいる。一人……いや、二人。魔法で戦ってる? というより、この気配は……)
覚えのある魔力の気配に、アンリは止めた足を再び動かして、そのまま気配のしたほうへと近づいていった。緩やかな上り坂が終わり、平らな地面が目に入る。踏み込むと足が浅く沈み込む、水気の多い土。目指していた湿地だ。
高い樹木が少なく開けた湿地の奥のほう。アンリの位置からだとまだ遠く、小さくしか見えない人影が二人分。しかしいくら遠いとはいえ、二人のことを知っているアンリからすれば、誰なのかはわかる程度の距離だ。
(まさかあの二人が一緒にいるとは、思わなかったけど……)
アンリはそのまま、湿地を無造作に歩いて進む。ぬかるんだ地面は歩きにくく、思ったよりも訓練には不向きかもしれない。しかし魔法で少し水気を抜けば、多少はマシになるだろう。向こうにいる二人も、そうやってここを訓練場としたに違いない。
二人のうち一人がアンリに気づいた。こちらに目を向け、警戒する様子を見せる。それに倣うように、もう一人も同じく警戒する姿勢をとった。しかしこちらは、まだアンリの正確な位置には気づいていないようだ。おそらく、師匠の動きを真似ただけなのだろう。
アンリは自身の姿を隠すために使っていた隠蔽魔法を解除すると、二人に向けて大きく手を振った。それでようやく二人は、近づいてきた人間がアンリであることを認識したらしい。すでにアンリは、警戒を解いた二人が呆れた顔をしていることもわかる程度の距離に来ていた。
「お久しぶりです、エイクスさん」
二人のうち先にアンリに気づいたほうは、昨年の模擬戦闘大会で出会ったエイクス。三年生のスグルの家庭教師をしているとは聞いていたが、どうやら教えている相手はスグルだけというわけではないらしい。
「まさかアイラがエイクスさんとこんなところで特訓しているなんて、思いませんでした」
エイクスの隣に立って不機嫌そうにアンリを睨むもう一人は、アイラだった。
アイラがエイクスから魔法を習い始めたのは、昨年の終わり頃。魔法研究部の解散時にアンリと模擬戦闘をした、その少し前くらいからだという。
「幼い頃から魔法を教えてくださっている先生が、私の魔法力に合わせて新しい先生をと紹介してくださったの」
「稀代の天才だから見てやってほしいという手紙をもらってね。会ってみて驚いたよ。昨年の模擬戦闘大会でも才能を感じたが、会った頃には既に魔法器具無しでももう少しで重魔法にも手が届くというところまで成長していたからね」
それでか、とアンリは苦笑する。昨年末の模擬戦闘で、アイラはほとんど自分の力で重魔法が使えるようになっていた。元々、魔法力の高さと魔法に関するセンスの良さが際立っている彼女ではあるが、突然重魔法が使えるようになったことには違和感を覚えていたのだ。どうやら、エイクスからの指導を受け始めたことがきっかけであったらしい。
アイラがロブの誘いを断る際に使っていた「師」という言葉は、エイクスのことを指していたのだろう。
「もっとも彼女の魔力量だけでは、まだ重魔法を安定して使うことはできないがね。だから、ここで魔力量の補強も兼ねた訓練をしているのだよ」
「そういうことよ。邪魔をしないでもらえるかしら?」
特訓が見つかってしまったという気恥ずかしさもあるのだろう。アイラは不機嫌に顔をしかめて、きつい口調でアンリに言う。
しかしアンリにも、こんなに良い場所をただ諦めるのはもったいないという気持ちがあった。
「アイラがここを使う頻度はどのくらい? 魔法戦闘部の活動もあるんだから、毎日じゃないだろ。アイラがいない日に、俺も訓練に使いたいと思うんだけど」
「ほう、君が訓練を? 君ほどの力を発揮したら、森ごと吹き飛んでしまいそうだが……防衛局の訓練場を使ったほうが良いのではないか?」
エイクスが怪訝そうに眉をひそめるので、アンリは仕方なく訓練の目的を話す。アンリの正体を知らない先輩の訓練を手伝わなければいけないこと。自身も本来の実力を隠しつつ模擬戦闘大会で優勝するために訓練が必要であること。そうした動きを、学園の教師や防衛局の上司に知られないようにしたいこと。
ついでに、ロブとの約束のことを話す。中等科学園への在籍を続けたいから優勝したいのだと打ち明けて反応を窺ったところ、エイクスは「ふむ」と難しい顔をして唸った。
「なるほど、君にとっては厄介な問題だね。……しかし、悪いが今回も私は出場するし、今の話を聞いたからといって手加減をするつもりはない。学園生に簡単に負けたとあっては、今後の仕事に差し障りが出るからね」
やっぱり駄目か、とアンリは内心でため息をつく。同情を買って、あわよくば手加減してもらえれば……そんなアンリの思惑はあっさりと見破られたうえに、簡単に打ち砕かれてしまった。
仕方がないだろう。エイクスは貴族の家で家庭教師をしているのだ。自身に実力がないと思われてしまえば、仕事は減ってしまう。目立ってほしいという雇い主の意向もあるだろう。
「何より君がどうやって周りの目をかいくぐって優勝するのか、面白そうだ。手加減などしてはもったいないよ」
そう言ってエイクスはニヤリと笑った。どちらかといえば、こちらのほうが本音なのかもしれない。嫌な性格をしている……アンリは素直に気持ちを顔に出して、エイクスを睨む。
しかしエイクスは気にしたふうもなく「だがまあ」とのんびりとアイラに視線を遣った。
「アイラ、君はどうする? 模擬戦闘大会に向けて戦闘訓練をしたいという話でここまで来たわけだが、友人のピンチだ。出場を止めるというなら、訓練内容も変更しようか」
「構いませんわ、先生。私、アンリの条件のことは元々知っていましたから」
それはそうだ。ロブと約束をした直後、アンリは何か良い知恵が無いかと元魔法研究部の友人たちに事情を説明し、協力を仰いだのだ。結局、皆に相談しても解決策は見つからず、むしろアイラやウィル、イルマークからは「なぜそんな約束をしたのか」と呆れられるだけだったが。
その際に、アイラからはすでに「どんな事情があろうと手加減はしない」と宣言されていた。
「友人が学園に残れるかどうかというピンチだが、それでいいのかい」
「ええ。そもそも今回は、私も魔法器具の助けを得ることができませんから。元々の実力だけで臨めば、手加減したアンリにも負けてしまいますわ。先生の教えを受けて訓練して、ようやく良い勝負ができる程度でしょう。……先生から教わる機会も、アンリと良い勝負ができる機会も、どちらも貴重な機会ですから。その程度で逃してはもったいないわ」
さすがにそれは自身の実力を過小評価しすぎではないだろうか。アンリはそう思うのだが、エイクスは「確かにそうだ」と納得した様子で深く頷いている。
そうして弟子の意向を確かめたエイクスは、改めてアンリに向き直った。
「……というわけで、我々の手加減は期待しないでくれ」
「わかりました。で、この場所はどうでしょう? 日によっては、使わせてもらっても?」
せめて訓練の場所だけでも確保したいと思ってアンリが問うと、エイクスは気の毒そうな顔をして首を横に振った。
「我々だけの話なら、数日に一度しか使っていないから構わないのだがね。しかし、ここは意外と訓練場所として人気が高い。日々、誰かしらが使っていると思ったほうが良い。広いから二、三組が訓練するくらいなら問題ないが、君は誰にも見つからない場所を探しているのだろう? それなら、別の場所を当たるべきだ」
同情も買えず、訓練場所もめどが立たず。
何のためにここまで来たのだろうと、アンリは徒労感に大きくため息をついた。




