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まだ悩んでいるんだ、とウィルはためらいがちに言った。
「そもそも入学した頃は、防衛局に入るなんて大袈裟だと思っていたんだ」
ウィルの父親は、家の近くの工房で魔法器具製作の仕事をしている。幼い頃からその姿を見てきたウィルにとって、魔法器具とは身近な場所でつくり、生活の中で活用するものだった。
魔法も同じだ。魔法とは、身の回りを少し便利にするもの。遠出をするのに荷物を小さくまとめたり、増えすぎた本を棚にうまく収めたり。なくても生きていけるが、あると少しだけ役に立つ。その程度のもののはずだった。
もちろん、防衛局職員や傭兵のように、魔法を戦闘のために使う職種があることは知っていた。そんな職種に憧れを持つ同級生も、初等科学園のときから多かった。けれどもウィルは冷めていて、どんなに憧れたところでそんな仕事に就く者はごく一部だということを十分に理解していた。自分がその職を目指すことはないし、身近な人がその職に就くこともないだろうと思っていた。
しかし中等科学園に入り、周りのほとんどが魔法による戦闘に憧れている現実を見る。そのうえウィルは何の間違いか一組にクラス分けされ、魔法力の高い友人が周囲に集まった。クラスの中でも特に優秀とされるアイラ・マグネシオンは、卒業後に防衛局の戦闘職員となることが確実だろうと皆から噂されていた。
「え、そんな噂があったの?」
「だって彼女、明らかに戦闘向きじゃないか。本人が防衛局を希望しているのかどうかは知らないけどね」
とにかく、とウィルは話を続ける。
「僕が思っている以上に、みんな、魔法は生活寄りのものというより戦闘寄りのものとして考えているようだったんだ」
どれだけ多くの魔力を貯められるか、どれだけ威力の強い魔法を使えるか。皆、それを基準に魔法力というものを語っていた。
生徒だけではない。中等科学園で魔法力の測定といえば、測るのは魔力量と魔法の威力だ。それがクラス分けの基準にもなり、成績にも繋がる。
「最初は反発する気持ちもあったよ。魔法って、強さだけじゃないだろうって。だから防衛局に進むっていう進路を、積極的には考えられなかったんだ」
考えが変わったのは、入学してまもなく、防衛局研究部での体験カリキュラムに参加してからのことだ。
元々ウィルは、体験カリキュラムに参加したいとは思っていなかったという。ところがクラスのほとんどが参加を申し込む気でいることを知った。そして、カリキュラムの参加者選考が魔法の試験によって行われることも知った。
「カリキュラムに参加したいって、アンリには言ったけどさ。本当はカリキュラムに参加したかったんじゃなくて、選考試験に合格したかっただけなんだ。皆があまりにも魔法の威力にこだわるから、威力にこだわらずに魔法を磨いてきた僕でもそんな皆に勝てるんだぞって、見せびらかしたかった」
そうしてウィルは思惑通りに、選考試験に合格したのだ。
ウィルとしてはそれで十分だったが、もちろん合格したからにはカリキュラムに参加すべきだろう。アンリと一緒ということもあって、辞退する選択肢は考えなかったという。
そうしてオマケのようなつもりで参加した防衛局の体験カリキュラムにおいて、ウィルは気が付いたのだ。防衛局での仕事というのが、思っていたほど特殊ではないということに。
もちろんアンリのような存在は特殊だ。しかし、たとえば素材探しに護衛として同行してくれた戦闘職員。ウィルの班に同行したのは、三年前に中等科学園を卒業したばかりという若手だった。野外活動では頼もしかったが、食事や休憩のときの話し振りは、友人と話すのとほとんど変わらなかった。
あるいは防衛局の建物の中で出会った、研究部の職員たち。彼らは特別に魔法力が高いというわけではない。持ち前の熱意、探究心、知識欲。それらが高じて、防衛局の職員となった人たちだ。
「僕、防衛局って、もっと特別な人の集まりだと思ってたんだよね。でも、ちょっと失礼かもしれないけど、意外と普通の人が多いと思って」
生まれつきの強大な魔法力。何万人に一人しか持たないような稀有な力。防衛局に集まるのはそんな特殊な力を持った人……それこそアンリのような人ばかりだろうと、ウィルは勝手に思い込んでいた。だから、普通の人が防衛局で働いているという当たり前のことにひどく驚いたのだ。
「それにさ、行ったのが研究部だからっていうこともあるだろうけど、誰も魔法の威力にばかりとらわれてはいなかったんだ。そのことにも驚いた」
魔法の威力にばかりこだわっている同級生たち。彼らが目指す防衛局。しかしその防衛局の中では、魔法の威力だけが重視されているわけではなかった。
自らの限りある魔法力で、状況をいかに打開するか。護衛についてくれた戦闘職員は、いわゆる強い魔法力を持っているというわけではなかった。ただ工夫して、威力の弱い魔法でも、的確に、効果的に使っていた。それは護衛のための戦闘だけでなく、移動や野営の準備においても活かされていた。
それこそウィルが理想とする魔法の使い方だ。
「そこから防衛局に興味を持つようになったんだ。防衛局は思ったよりも良いところだっていうことがわかったからさ。……でも、だからそこで働きたいかというと、まだよくわからないんだ」
防衛局に魅力を感じたのは事実だ。けれども同時にウィルは、自分がいかに世間知らずであるかもよく実感した。世間をよく知れば、より魅力的に思える場所が見つかるかもしれない。
あるいは防衛局も、よりよく知ればまた幻滅するようなことが出てくるかもしれない。
「ロブさんのような人もいるしね」
「……それは、僕にはまだよくわからないけれど」
ともあれ、ウィルは漠然とではあるが、防衛局も含めて幅広く将来を考えたいと思うようになった。
「将来どういう道に進むかはわからないけど。でも、まずは防衛局のことをもっと良く知りたい。それから、どんな道に進んでも困らないように、魔法力は上げておきたい」
「その場合の魔法力って、どういう意味? 戦闘用の魔法ではないということ?」
少し意地悪な質問かもしれないとは思いつつ、アンリははっきりと尋ねた。
防衛局での研修が始まったとしても、日々の訓練には付き合うつもりでいる。ウィルの目指す方向性くらい、知っておいたほうがいい。アンリが今まで教えてきたのは、主に戦闘に役立てるための魔法の訓練方法だ。もしもウィルの考えが別のところにあるのならば、やり方を変えなければならない。
アンリの問いに、ウィルは少し迷ってから「いや」と首を振った。
「たしかに僕は、正確な魔法を適切な場所で使えるように、戦闘力以外の魔法力を付けたいと思ってる。でも、それだけだとこの学園で上位の成績に入るのは難しいだろ? まずは上位に入っておかないと、いざっていうときに思うような道が選べない。だから、今は戦闘力も含めて、総合的に魔法力を鍛えたいと思う」
ウィルの言葉に、アンリは「なるほど」と頷きつつ、ほっと胸を撫で下ろした。これまでの訓練も、ウィルにとってはちゃんと糧になるものだったようだ。
「じゃあ、俺との訓練はこれからも続ける?」
「それはもちろん。よろしく」
アンリの問いに、ウィルは大きく頷いた。
それから少し言いづらそうに「あと……」と言葉を足す。
「実は、魔法力を上げたいと思ってアンリに教えてもらったり、魔法戦闘部に入ったりしているうちに、最近は魔法力を上げるための方法論みたいなことにも少し興味が出てきたんだ」
「方法論……っていうと、指導法みたいな?」
ウィルの言葉にアンリは、ロブの指導を受けることにしたハーツの動機を思い出す。ハーツは田舎の子供たちに魔法を教えたいと言っていた。ウィルも、ハーツと同じようなことに興味を持ったのだろうか。
ところがウィルは「うーん」と悩むように首を傾げた。
「いや。僕には教える相手なんていないし、教師になろうなんて大層なことを考えているわけでもない。ただ自分も含めて、人がどうやって魔法を上達させていくか、その過程に興味があって……」
「もしかして、進学して研究したいの?」
アンリは目を丸くして尋ねた。
ウィルが言っていることは、平たくいえば、魔法に関する研究をしたいということだ。魔法を身につけることを主とした中等科学園に対して、さらに一歩進んで専門的な研究を行うための高等科学園。中等科卒業後に高等科へと進学すれば、ウィルの希望は叶うだろう。
ただ、魔法の分野における高等科学園への進学率は決して高くない。魔法開発や魔法器具製作などの研究なら防衛局や工房などに就職することで叶うので、わざわざ高等科への進学を希望する人が少ないのだ。
しかしウィルの希望を聞く限り、叶える場は高等科しか無いように思われる。開発以外の魔法の研究は、高等科以外では難しい。
これまで身近な友人から高等科学園への進学を希望する話を聞いたことのなかったアンリにとって、ウィルの話は驚愕に値するものだった。
そんなアンリに、ウィルははにかむように笑う。
「いや、絶対そうしたいというわけじゃないよ。防衛局にも行きたいと思っているくらいだし。ただ、選択肢としては一応考えてるってこと」
恥ずかしがるようなウィルの言葉を聞きつつも、アンリは「すごいなあ」と目を丸くしたまま呟いた。その呟きを否定するように、ウィルは首を横に振る。
「何もすごくなんてないよ。まだ悩んでいるんだって、言ってるだろ」
「でもさ、それは将来のことをちゃんと考えているからだろ? やっぱりすごいよ。応援するからさ、俺にできることがあったら言って」
「ありがとう。とりあえず、今まで通りに訓練に付き合ってほしいな。あと、恥ずかしいからこの話、絶対に誰にも言わないで」
「恥ずかしがることなんて、ないと思うけど」
そう反論しつつも、ウィルがあまりに気まずそうにアンリのことを睨むので、アンリは肩をすくめて「わかったよ」と頷いたのだった。




