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ここから第9章です。
第8章からの続きの話なので、登場人物紹介は挟みません。
アンリにとって嵐のような数日が過ぎた。
爽やかな笑顔を振り撒いたロブは学園の人気者となったが、学園生たちも、それが期間限定のイベントであることは十分に理解していた。
ロブが去ることになったからといって泣くほど悲しむ生徒はおらず、誰もがほんの少しの寂しさとつまらなさを感じながらも、元通りの学園生活が戻ってきたことを受け入れている。
そんな中でアンリだけは、ロブが去ったことを心の底から喜び、日常への回帰に安堵していた。
「なんだかアンリさん、ご機嫌ねえ」
「えっ。そ、そんなことありませんけど」
「あるでしょう? 明るい気持ちが作品に出ていて、いい感じだもの」
魔法工芸部の作業室。アンリとしてはいつも通りの作品づくりに励んでいるつもりだが、部長のキャロルからすると、そうは見えないらしい。
「良いアクセサリーがたくさんできれば、きっとランメルトさんも喜ぶでしょうね。もう必要な数は用意できたの?」
「ランメルトさんのところに納品する分は、これで最後です。あとは残った時間で、アナさんのお店に持って行くやつをつくろうと思っています」
「そう。順調なようで何よりね」
世間話をするような気軽さでしっかりと進捗状況を確認するのは、部長としての役割を意識しているからだろう。交流大会も間近に迫ってきた。そろそろ、残りの日数を意識して作業すべき時期だ。
「アンリさんは優秀ね。逆に、私たちのほうが見習わないといけないわ」
「先輩たちは公式行事の準備で忙しかったんでしょう? これからが本番じゃないですか」
「……そうなんだけれどねえ」
キャロルは苦笑しつつ、作業室を見回す。
交流大会が近づき、部活動に参加する人数が増えてきた。魔法工芸部としては珍しいほどの賑わいだ。しかし、その中で一生懸命になってせっせと作品作りに励んでいるように見えるのは、アンリを含めた一、二年生が中心だ。
三、四年生はといえば、まだ作品づくりの手前の段階にいる。何をつくろうか、どうやってつくろうかと、作品のコンセプトからして考え中なのだ。作業に進むことができず、手を止めて考え事に没頭している。
そんな光景を眺めて、キャロルはため息をついた。
「去年の先輩方もこんな感じだったけれど、いざ自分たちの番になると、本当に間に合うのか不安になってくるのよ」
そう言うキャロルはといえば、彼女の作業台にはすでに綺麗に完成したランプが数個、堂々と置かれていた。手のひらに収まるくらいの小さなランプは、昨年交流大会でつくった作品の小型版だ。今年の公式行事の展示会にも、似たようなランプを用意しているらしい。
つくるものを早くから決めていた分、彼女の作業はほかの三、四年生に比べて一歩進んでいた。あとは必要な数だけ揃えれば、交流大会を迎えられる。
「皆、キャロルさんのように公式行事で出すのと似た物をつくるわけにはいかないんですか?」
「うーん、もちろん部活動として駄目というわけではないのよ。ただ、展示販売のほうが日が早いのよね。自分のとっておきは、やっぱり公式行事でお披露目したいでしょう」
なるほど、とアンリは頷いた。
交流大会は五日間。そのうち公式行事が開催されるのは後ろの二日間だ。
一方で、魔法工芸部が作品の展示販売を依頼する店の露店は、交流大会の初日からイーダの街中を賑わせる。部活動で製作した作品は、初日から皆の目に触れるところに置かれるということだ。
「じゃあ逆に、キャロルさんは良いんですか?」
「いいのよ、私は。これが学園でのライフワークのようなものだから」
キャロルがつくっているのは、火を灯すことで様々な輝きを見せる魔力石を埋め込んだランプ。今回の交流大会に限らず、昨年の交流大会や、新人勧誘のための展示。これまでにもそうした様々な場で展示してきた作品だ。今さら数日の差でためらうことはない。
「それに当然、公式行事で出すものとお店で売るものは、違うものよ」
かたや公式行事の大きな会場で展示し、人に観てもらうことだけを目的につくる公式行事用の作品。
かたや広さの限られた露店に置いて、お祭り騒ぎを目的に通りを歩く人々に買ってもらうための商品としての作品。
同じつくりをした作品であっても、大きさや見た目、機能は大きく異なることになる。
「だから公式行事の展示も、ちゃんと観に来てね」
「もちろんです」
言われなくてもそのつもりだ、とアンリは大きく頷いた。
作業室での作品づくりを早めに切り上げて、日が沈むまでの短い間に、アンリはサンディと共にランメルトの店を訪ねた。
二人で台車を使って、大きな木箱を慎重に店に運び込む。木箱の中身は、魔法工芸部の面々がつくった作品の数々だ。アンリやサンディのつくったものもあるが、ほかの部員の作品も含まれている。
「おう、お疲れさん。またたくさん持ってきたな」
持ってきた木箱をその場に置いて待つと、すぐランメルトが店の奥から出てきた。アンリたちの前で箱を開け、作品をひとつひとつ丁寧に取り出す。
「うん。最初の頃に比べたらずいぶん良くなってきたじゃねえか、これなら売れる。……ん? これはもうちょっと頑張れるんじゃねえか?」
そんなことを呟きながら、ランメルトは作品を二カ所の棚に置き直していく。
横の棚に置いたものは合格、後ろの棚に置いたものは不合格。これまで何度も作品を持ち込んだアンリたちには、もうそのルールがわかっている。
幸いにも、アンリとサンディの作品は全て合格のほうに振り分けられた。不合格とされたのは、持ってきた作品のうち一割ほど。何度も作品を持ち込み、跳ね返されてはつくり直すことを繰り返すうちに、だんだんと合格率は上がっている。
最初こそ「こんなんじゃ駄目だ」「基礎からやり直せ」と強い言葉で作品を突き返していたランメルトも、今では子供たちの努力を認めているのだろう。返品の言葉も穏やかだ。
「こっちのは持って帰れ。このままでも売れないことはないが、もうちょっと頑張れるだろう。どうしたら良いかメモをつけたから、つくったやつに渡してやってくれ」
いつの間に書いたのか、ランメルトの手元には何やら要点を走り書きしたようなメモ。アンリたちは不合格の棚に振り分けられた作品とそのメモとを一緒に元の木箱に詰めて、持ち帰る準備をする。
「もうすぐ本番だな。お前らはこれ以外に、交流大会で何かすんのか」
いつもなら「暗くなる前に」と追い出すようにアンリたちを返らせるランメルトだが、今日はやや時間が早いためか、雑談をする気になったようだ。交流大会が近づき、街が活気づいてきたからということもあるだろう。
ランメルトの質問の意図をはかりかねて、アンリは首を傾げながら答える。
「部活動では他のお店に置いてもらう作品もつくってますよ。俺は、もう少し違う感じの装飾品にも手をつけていて……」
「そうじゃなくて。交流大会じゃ、ほかにも色々出し物とかがあるだろう」
そういう意味か、とアンリが納得して「それなら」と答えを改めようとしたところ、隣からサンディがよく聞いてくれましたと言わんばかりに、元気よく声をあげた。
「それなら私たち、模擬戦闘大会に出ますよ! 模擬戦闘大会の一般の部で良い成績を残せるように、今、特訓中なんです!」
きらきらと目を輝かせるサンディを横目に、アンリは苦笑する。模擬戦闘大会への出場のことをアンリはできるだけ隠しておきたいのだが、サンディは話したくて仕方がないらしい。
「ほう、模擬戦闘大会か。魔法工芸なんてやってるのは運動が苦手でのろまな奴ばかりかと思っていたが。二人とも、戦えるのか」
「戦えるなんてものじゃないですよ! アンリさんは……」
「サンディ、その話はいいから。それよりサンディたちが誰から指導を受けているか、話してあげたら?」
おそらくサンディは昨年アンリが優勝したことまで口に出そうとしたのだろう。あまり喧伝されたくないアンリは彼女の言葉を止めて、代わりに彼女が話したがりそうなほうへ話題を振る。
アンリの狙い通りに、サンディは誇らしげに「ふふふ」と含み笑いを漏らした。
「いいんですか? ……聞いてください、ランメルトさん。実は私、今、コルヴォとウィリーと一緒に、上級戦闘職員さんの指導を受けているんです! 模擬戦闘大会だって、きっと良いところまで勝ち進めますよ!」
突然ぐいっと前のめりになって語り出したサンディの姿勢に、ランメルトはぎょっとしたようだ。「そ、そうか、すごいな……」とやや身を引くようにして相槌を打つ。
「そうなんです、すごいんですっ! 私、頑張りますから! ランメルトさんも、時間があったら是非見に来てください!」
「え、ええと、見に行きたいのは山々だが、店があるからな」
「あ、そっか。……すみません、考えなしのことを言ってしまって」
気持ちが盛り上がっていた分、サンディの落ち込みは激しかった。肩を落とし、申し訳なさそうに眉を八の字に歪める。
彼女に悪気がないのはランメルトにもわかったのだろう。苦笑して「まあ、落ち着け」とサンディを宥める。
「気にするな。楽しみがあるのは良いことだ。見に行くことはできないが、結果は楽しみにしている。初戦敗退でもちゃんと報告しに来いよ」
サンディの顔が、一転してまたきらきらと輝く。「初戦なんかじゃ絶対負けませんから!」と、明るい顔で強く意気込みを表した。
店を後にするとき、アンリはランメルトにこっそりと呼び止められた。浮かれた様子で楽しげに店を出るサンディに気付かれないよう、ランメルトは小声で言う。
「嬢ちゃんの言っていた、上級魔法戦闘職員から指導を受けてるっていうのは本当か」
「ああ……本当ですよ。一年生三人だけですけど。一年生は授業で魔法を使う機会がないので、それならってことで指導を引き受けてくれたらしいです」
アンリは慎重に、コルヴォたちから聞いた内容だけで事情を説明する。ロブが何を企んでいるかなど、ランメルトに知らせる必要はない。
アンリの言葉にランメルトは「そういうことか」とほっとした様子で頷いた。
「せっかく魔法戦闘の才能があるのに、うっかり工芸に縛りつけちまったかと思った。あの子には色々注文をつけたから、時間がかかっただろう」
たしかにサンディは、ランメルトの店に納品するための彫刻にかなりの時間を費やしていた。その分、ほかのことに使える時間は少なかったはずだ。そのせいで彼女の才能を伸ばすための訓練に支障が出ていたのだとしたら……ランメルトはそのことを心配したのだろう。
「指導を受けることになったのはごく最近です。作品づくりも落ち着いてきたから、これから模擬戦闘大会に向けて頑張るつもりなんだろうと思いますよ」
「それならよかった。……どうだ、あの子は勝てそうか?」
「うーん、まあ。特別強い相手に当たるんでなければ、一、二回は勝てるんじゃないですか」
そうかい、と頷きながら、ランメルトは穏やかにサンディを見遣る。店の外で台車の準備をしていた彼女はランメルトの視線に気づいて店に目を向け、不思議そうに首を傾げた。アンリがなかなか店から出てこないことを疑問に思っているのだろう。
「それじゃあ、俺ももう行きますね。サンディだけじゃなくて、コルヴォもウィリーも頑張ってますから。応援してあげてください」
「おう。……しかしさっきの話だと、お前さんも出るんだろう? どうだ、自信のほどは」
「うーん、まあ。一応、優勝したいとは思っているんですけどね」
アンリが小声のままそう答えると、ランメルトは一瞬目を丸くして、それからすぐに吹き出した。サンディに聞かれないよう声を抑えていたことも忘れて、大きな声を上げて笑う。
「そうかい、そりゃいい。精々がんばれよ!」
どうやら冗談だと思われたらしい。
大笑いするランメルトに、アンリは苦笑を返すしかできなかった。




