(18)
昼休みになると、アンリはすぐに教員室に向かった。今回は明らかに自分の責任だから仕方がないと、アンリは既に諦めていた。朝、突然レイナを連れてきたロブには物申したいところもあるが、誰にも言わずに中庭で訓練を始めてしまったアンリに元々の原因があることは間違いない。
意を決して教員室の扉を開いたアンリを迎え入れ、レイナはやや疲れたような声色で言った。
「結論から言うと、今朝の訓練であれば今後も続けて構わない」
条件としては、水魔法以外の魔法を使わないこと。生活魔法であっても火魔法や土魔法など、水魔法以外の魔法は禁止。
「もちろん今日のように、ウィリアムに氷魔法を使わせるのも認められない。それから、君に関しては水魔法でも、見本としてやってみせる以上の魔法は使わないことだ」
アンリが独自に的当て等の訓練をすることは禁止ということだ。この指示を、アンリはやや不満に思って聞く。たしかに普段アンリ自身が訓練することはないが、こうしてレイナから禁止されると「なんで俺だけ」という思いが強くなる。
アンリの不満を感じてか、レイナがため息混じりに言った。
「全体を見回して危険がないかどうかを見る役が必要だ。今朝の訓練を見る限り、君が適任だろう。その役を担う君が、自分の魔法の訓練にうつつを抜かしているようでは困る」
それに、とレイナは肩をすくめて加える。
「君の魔法の威力は底が知れない。自覚が無いとは言わせないよ。ただの水魔法であったとしても、君ならとんでもない規模で繰り出すことが可能だろう。昨年の頭に、アイラの魔法を止めたときのように」
アンリは驚きにハッと息を呑んだ。一年の最初の頃、防衛局研究部の体験カリキュラムに参加するよりも前の話だ。実演で訓練室を壊しそうになったアイラの魔法を止めるために、アンリは規模の大きな水魔法を使った。魔法の出所がアンリであることを知られないようしっかりと隠蔽魔法を使ったおかげで、アイラ以外の誰にもバレなかったと思ったのだが……。
動揺するアンリを前に、レイナは「やれやれ」と息を吐いた。
「その反応だと、やはり君だったんだね」
「え」
「私だって当時気付いたわけではないし、確信があったわけでもない。先日、君が隠蔽魔法を使えることを知って、その可能性に思い至っただけだ」
つまり、可能性があるからと鎌をかけただけらしい。アンリはまんまとそれに引っかかったというわけだ。
「どうやって進級時の検査をすり抜けたのかは、今は聞かないでおこう。それよりも、朝の訓練の話だ」
進級時の魔法検査で使用可能な魔法を申告する際、アンリは隠蔽魔法を申告していない。もちろん担任であるレイナはそのこともよく知っているだろう。それでいて、アンリがやったのかもしれないという可能性を排除せずに鎌をかけたという事実。アンリが周りに示している以上の高い魔法力を持っているということについて、レイナはなぜか確信を持ってしまっているらしい。
言及されないだけで、レイナに知られていることがどんどん増えていっている。アンリは苦い思いで俯いたが、幸いアンリにとって苦痛となる話は長くは続かなかった。
宣言通り、レイナは朝の訓練のことに話を戻す。
「今の訓練を続けるだけならば、このまま中庭を使っていても構わない。だが、おそらく早々に他の魔法の訓練がやりたくなるだろう。そうなったら、訓練室を使いなさい」
どうやら水魔法以外の魔法も、中庭でやってはいけないというだけで、完全に禁止ということではないらしい。しかしレイナの言葉を聞いて、アンリは不思議に思って首を傾げた。
「でも先生。訓練室は、朝は使えませんよね?」
訓練室は、申請すれば貸してもらうことができる。しかし申請できるのは授業の終わった夕方の時間のみで、朝方の貸出しはしていないはずだ。だからこそ、朝の訓練には中庭を使っていたのだが。
問題ない、とレイナはあっさりと答える。
「朝の貸出しをしていないのは、希望者がいなかったからだ。希望するなら明日からでも使えるようにしておくから、通常の貸出申請書に朝の時間を書いて持ってきなさい」
そう言ってレイナがアンリに渡したのは、本当に通常の貸出申請書だ。複数ある訓練室の中から利用する部屋を選び、利用日と利用時間、利用者、利用目的、監督教員を記入して提出せよということらしい。
そんな単純なことだったのかと、アンリは拍子抜けする気分だ。しかし申請書の「監督教員」の欄には眉をひそめた。
「この監督教員というのは……」
「利用目的が生活魔法の訓練であれば、その欄は空欄で構わない。水魔法以外でも、生活魔法に留まる限りは場所を訓練室に変えるだけで、今まで通りに訓練するといい。だが、もしも戦闘魔法の訓練に手を出すのであれば、誰か教員に立ち合ってもらうこと。戦闘魔法なら、どんな魔法でも同じだ」
今朝、ウィルがロブに言われてやったような氷魔法による的撃ち。あれも、生徒だけではやるなということだろう。
アンリにとっては複雑な気分だ。生活魔法を含めて全ての魔法で教師の立ち合いが必要だ、などという窮屈な約束にされなくてよかった。そう安心する気持ちがある一方、初歩的な戦闘魔法くらいなら自由にやらせてくれてもいいじゃないかと不満な思いもある。
それでもアンリは、表面上は素直に「わかりました」と頷いた。ここで下手に反発して、基準を厳しくされたらたまらない。
アンリが頷いたのを確認すると、レイナは「それから」と厳しい口調で続けた。
「今後、魔法について何か新しいことをする際には、まず私に相談しなさい。今回の訓練に大きな問題はなかったが、それは結果論だ。やり方によっては危険もあったかもしれない」
魔法力を上げるための努力は大切だが、できる限り危険のない形でやってもらいたいとレイナは言った。その言葉は本心からのものなのだろう。真剣な目が、アンリを見つめている。
「相談をもらえれば、危険性がないかを一緒に考えることもできる。今回のように、別のやり方を提案することもできる」
たしかに、訓練室が使えるようになったのはレイナのおかげだ。先に相談していれば、もっと早くから訓練室を使うことができていたのかもしれない。
「君たちの自主性を否定するつもりはない。だから、思いついたことを全て止めろと言うこともない。ただ、やるならできるだけ安全が確保できる方法にしてほしい。だから、何かやるならまず相談してからにしなさい。良いね?」
レイナが真剣に生徒の安全を考え、そのうえで生徒の自主性とのバランスを取ろうとしていることがわかり、アンリは気まずい思いで頷いた。
この程度で相談なんて必要ない、下手に話して止められたら面倒だ……そんな浅慮で黙っていたことが恥ずかしい。
「わかりました。ご心配をおかけして、すみませんでした」
「わかれば良いよ。……まあ、実際のところはそれほど心配しているわけでもない」
アンリが頭を下げた後、レイナの口調は突然軽くなった。肩をすくめるようにして、小さく笑みさえ浮かべて付け足す。
「今朝の訓練で、君の指摘は正確で適切だった。普段から、あの子たちの魔法をよく見ている証だろう。そんな君が、安全性を無視したことをするとは思えない。ま、他の生徒が勝手に真似をしても困るから決まりは作らせてもらうが、あまり固くなる必要はない」
今朝の訓練についての話はここまでだ、とレイナは明るく言った。
教員室から出る前に、レイナはアンリに「それからもう一つ」と別の話を付け足した。
「ロバート氏から話したいことがあるそうだ。今日の午後の授業が終わった後に、またここに来てほしい」
「…………それは、俺だけですか?」
「いや、君とアイラ、そしてウィリアムの三人だ。他の二人にもあとで声をかけるよ」
アンリとアイラとウィル。三人を集めて、ロブは一体何の話をするつもりだろうか。
レイナとの話が無事に済んで安心したのも束の間。アンリはまた新たな不安に頭を悩ませることになったのだった。




