(17)
始めたのは、いつもやっているのと全く同じ訓練だ。
一年生三人とテイルはいつものように、自分の前に水球を浮かべて維持する訓練。
最近では四人とも自分の拳くらいの大きさの水球を綺麗に作り上げ、安定して維持することができるようになっている。だから日によってアンリは様子を見つつ、二つ目の水球をつくって同時に浮かせてみたり、水球の形を色々と動かしてみるようにと指示することもある。だが。
「コルヴォ。今日はまだ増やすように言ってないよ」
アンリに言われるよりも前に、コルヴォが水の球をひとつ増やした。胸ほどの高さに、二つの水球が浮かんでいる。アンリが苦笑しながら指摘すると、コルヴォは慌てたように「だ、だって」と言い訳をした。
「ほら、いつもと同じようにできてきたと思ったから……」
「まだ全然だ。球の表面が波打ってる。いつもならもっと落ち着いた球を作れているだろ」
コルヴォのつくった球は二つとも、表面にさざなみが立つような揺れが見られる。いつもなら波を立てずに、つるりとした水晶のような水球を作るのに。まるでひと月くらい前に戻ってしまったかのようだ。
アンリの言葉にコルヴォは慌てたように水球の状態を確認し、それから魔法を解除してもう一度、今度はひとつだけ水球を浮かべる。
「テイルとウィリーは、いつもより球が大きい。もう少し小さく収めるように意識して。サンディは……いいよ、二個目をつくってみようか」
ところが「やった」と喜びの声をあげたと同時に、サンディの作った水球も大きく形を崩してしまう。アンリが苦笑いして「やっぱりやり直し」と言うと、サンディも恥ずかしそうに、改めて新しく水球をひとつ作り直した。
四人とも、いつもより気合いが入っているのだろう。それが空回りして、余計な力が入ってしまうのだ。
「皆、落ち着いて。いつも通りにやれば、もうちょっと上手くできるはずだから」
四人に声をかけながら、アンリは鞄の中から丸い木の板を取り出す。こちらはウィルの訓練用の的だ。近くの木に板を吊るす。
「ウィルは、今日はどの距離でやる?」
「うーん。皆を見てると僕も自信がなくなってくるね。今日は少し近めで、この辺りから」
ウィルは的から二十歩ほど離れたところに立つと、目印として足で地面にばつ印を描いた。
「ウィルなら大丈夫だから、そこからあと五歩後ろ。あんまり簡単だと訓練にならないだろ」
「僕だって緊張くらいするんだけど」
欠片も緊張を感じさせない口調で文句を言いながらも、ウィルは印を消して五歩下がり、もう一度バツを描く。
「じゃ、そこからで。目標は?」
「九割かな」
「九割五分。百発撃って、外していいのは五発まで。頑張って」
ウィルの訓練に対するアンリの役割は、ウィルの低すぎる目標を彼の実力に合わせて補正することだけだ。これだけ言っておけば、あとはアンリが細かく指導しなくてもウィルは自分でやってくれる。的に向けて水魔法を百発放ち、そのうち九十五発以上を的の中央に正確に当ててみせるだろう。ウィルに関しては、ロブが見ていることによる緊張も心配いらないはずだ。
そうしてアンリは再び四人に目を向ける。ちゃんと水球は維持できているようだが、いつもに比べて出来は悪い。
「コルヴォ、もっと球を小さく。ウィリーは、今度は小さすぎるよ。もう少し大きく、自信持って。サンディとテイルは、もう少し安定して維持できるように」
とりあえず指示は出してみるが、四人とも今日は苦戦している。この調子では、今日は球をひとつ維持するだけで朝の訓練が終わってしまうだろう。ロブの前でいいところを見せたいと思っているらしい四人には可哀想だが、こればかりは本人たちの問題であって、アンリにはどうすることもできない。
出来はともかく全員の訓練が軌道に乗ったことを確認して、アンリはロブとレイナを振り返った。
「ええと……これが、いつもやっている訓練ですけど」
レイナは真剣な目で一年生三人を睨むように見つめている。止めようとしないのはこの訓練方法を受け入れてくれているからなのか、あるいは訓練を見ると決めたからには終わりまで口を出すまいと考えているからなのか。
一方で、ロブは面白そうな顔をしてウィルのことを見ていた。
「なかなか正確な魔法を使うね」
ロブの言うとおり、ウィルの魔法は正確さが売りだ。それを更に伸ばすための訓練で、ウィルはほとんど難なくそれをこなしている。
離れた的に向けてひたすら水魔法を撃つ訓練。的に使っている板には魔法が当たることで赤く色付く仕掛けがある。十数発の水魔法を撃って、赤くなっているのは的の中央の一点だけだ。今のところ一つも外していない。やはりウィルは普段の訓練と同じ精度を保てているようだ。
「ねえ。君にはそれだと簡単すぎるんじゃないかい?」
結局ロブは見るだけでは飽き足らず、ウィルに声をかけた。ウィルが水魔法を中断したのを見て、ロブが近寄る。
「同じことを別の魔法でやって見せてくれないか。そうだな、氷魔法とか」
「ちょ……ロバートさんっ」
さすがに聞き捨てることができなかったのだろう。レイナが静止するように声を上げる。しかしロブは「いいから、いいから」と笑ってレイナに手を振った。
「大丈夫ですよ、先生。周りに被害を出さないことについては私が保証します」
その言葉に、レイナは苦い顔をして黙り込む。ここで強く反対しては、ロブの顔を潰すことになると考えたのかもしれない。あのレイナを黙らせてしまうなんて、やはり上級魔法戦闘職員という肩書きは凄い物なのだなと、アンリは今更ながら感心する。
ロブから新しい指示を受けたウィルは、不安げにレイナとアンリをうかがっていた。アンリが「ロブ先生が言っているんだから」と促し、レイナが仕方がないとため息をつきつつ頷くと、ようやく覚悟が決まったようだ。的に向けて手を伸ばし、先ほどまで水魔法を撃っていたのと同じようにして氷魔法を撃った。
ロブに促されるままに、そのまま氷魔法を連続して十発ほど撃ち続ける。
ウィルの撃った魔法は全て的の中心に当たり、赤く色のついた部分が増えることはなかった。
「うん、いいね。やはり精度が高い」
ウィルの魔法を見て、ロブは満足げに微笑む。ウィルもさすがに緊張したのか、ロブの反応に安堵したようなため息を漏らした。
「この調子で、もっと遠くからでも同じ精度で魔法が使えるように訓練を続けるといい。この間の部活動のときには突飛な魔法をと言ったけれど……それとは別に、普通の魔法を正確に撃てる技術というのも、大切なことだからね」
「は、はい……ありがとうございます」
それからロブは、水球浮かべに苦戦している四人にちらりと目を遣った。それだけでも四人の魔法が不安定に揺れたのを見て、ロブは苦笑する。
「そんなに私のことを気にしないで、いつも通りにやってくれて良いんだけど。君たちはどんなときでも落ち着いて魔法を使えるように、気持ちの面を強くしたほうが良いかもしれないな」
そうしてロブは最後にアンリのところにやってきた。
「君は訓練をしないのかい?」
「必要なら見本くらいは見せますけど、それだけです」
そうかい、と頷くとロブはレイナのところに戻っていく。そうしてロブを非難するように厳しい目を向けるレイナに対して、にこやかな笑みで肩をすくめてみせた。
「まあ先生、そう怖い顔をせずに。私の見る限り、彼らはそれほど危険なことはしていないと思いますよ」
「それは見ればわかります。ですが」
「たしかに先生にもお立場があるでしょう。他の生徒への影響も考慮して、何かしらの基準や対応も必要でしょうからね。しかし今ここでそれを論じれば目立ちますし、そろそろ授業の時間ではありませんか?」
ロブの言うように、いつもならそろそろ訓練を切り上げて、それぞれ教室に向かう時間だ。周りの教室には少しずつ生徒が集まってきていて、中庭で何をしているのかと窓から顔を出す生徒もいる。
レイナはロブの言葉で少し冷静さを取り戻したらしい。周囲の教室を見回し、アンリたちに目を遣り、それからロブの爽やかな笑顔を見て、諦めたように大きく息を吐いた。
「……たしかに、おっしゃる通りです」
レイナのその言葉に、アンリはほっと安堵した。この場で説教が始まったらどうしようと、正直なところ気が気でなかったのだ。今後の訓練が禁止されるだけなら仕方ない面もあるが、多くの生徒の前で、見せしめのように説教されるのはごめんだ。
今日はこの辺りで終わりにするようにとのレイナの言葉で、一年生三人とテイルとは残念そうに水魔法を解除した。結局ロブに良いところを見せられずに終わったことが悔しいようだ。
ウィルは的撃ちを終えて、使い終わった的を木から外す。ロブに邪魔をされて水魔法の百発撃ちができなかったから、成功率の目標を達成できたかどうかは保留だ。撃った分については一度も外さなかったので成功率十割と言えなくもないが、たくさん撃つことにより疲れが出ても外さないことこそが訓練の目的なので、もっと回数をこなしてからの成功率でないと意味がないとアンリは思っている。
ウィルから受け取った的を、アンリは元の通りに鞄の中にしまう。そうしてここを去る準備ができたところで、レイナが静かに言った。
「アンリ・ベルゲン。君は昼休みに私のところに来なさい」
「…………はい」
またか、とアンリは諦めとともに思う。
今日ここにレイナが現れた時点で覚悟していたとはいえ、できることなら避けたいところだった。




