(16)
翌朝の学園への道のりは、アンリにとってこれまでになく憂鬱なものだった。
「コルヴォはなんであんなことを言っちゃったかな」
「まあ、仕方ないよ。一年生は授業でロブ先生に魔法を見てもらう機会がないからね」
隣を歩くウィルの言葉にアンリはため息をつく。
だからといって、アンリから魔法を教わっているだとか、その特訓を学園の中庭で朝やっているだとか、ぜひ見に来てほしいだとか……余計なことばかりペラペラと。緊張で硬くなっているわりに、口はよく回っていた。
そうしていつの間にか、朝の訓練をロブが見学することで話が落ち着いてしまったのだ。
「いいじゃないか。秘密の特訓というわけじゃないんだから」
「それはそうだけどさ。でも、もうちょっと俺の気持ちを汲んでくれたっていいだろ?」
魔法工芸部でコルヴォが熱く語っているあいだ、アンリはずっと止めろ止めろと視線で訴えかけていた。ところがコルヴォはまるで気付く様子もなく、ロブに対して熱い眼差しを送り続けたのだ。
アンリのことを「魔法を教えてくれる、師匠みたいな先輩」だなんて調子良く言っていたが、師匠に対する配慮が足りていないのではないか。
サンディとウィリーも同じだ。アンリがいくらコルヴォを止めてくれと目で訴えても、少しも気付いてくれなかった。
「アンリのことを上級戦闘職員に売り込むチャンスだとも思ってるんじゃないかな。アンリは三人にとって、自慢の先輩で命の恩人だから。アンリの役に立ちたいんだろ」
「余計なお世話だって……。はあ、憂鬱」
「そんなに嫌なら、今日の朝練は行くのをやめればよかったのに」
その手も無いわけではなかった。体調不良だとか急用だとか言って、今朝の訓練を休んでしまえばよかったのだ。コルヴォたちは悲しむだろうし、ロブは悔しがるだろう。けれどもアンリの心の平穏は守られる。
ただ、どうしても無視できない不安があった。
「俺がいないところであの三人が魔法を使ったとして。ロブさんの前だろ。張り切って、ろくなことにならない気がする」
「ああ、なるほど」
普段なら、アンリがいなければ三人も無理に訓練をしようとはしないだろう。けれどもせっかくロブが来てくれたのに訓練を中止するなんて、はたしてあの三人にそんな判断ができるだろうか。
訓練の場は防護壁も何もない中庭だ。いつもの訓練だけなら問題ないが、ロブがいるからと張り切って違うことでもしてしまったら。あるいはいつもの訓練でも力が入りすぎて何かやらかしてしまったら。やはり、そばで見ていないと心配だ。
それにもうひとつ、休むと言えない理由がある。
「実はテイルに言ってないんだよ。ロブさんが来るってこと」
「え、そうなの? それは……ちょっと気の毒だね」
朝の魔法の訓練は一年生三人とウィル、そして元クラスメイトのテイルと一緒に行っている。昨日の魔法工芸部での話をウィルには伝えてあるが、テイルにはまだ話せていなかった。
事情を知れば、テイルもきっと喜んでロブを迎え入れるだろう。しかしいつも通りの訓練と思って来たところに突然ロブが現れたとしたらどうだろうか。喜びよりも驚きが上回るに違いない。
「だから、ちゃんとテイルにも説明しておかなきゃと思って」
「なるほどね。アンリって、意外と責任感が強いよね」
そんなんじゃないよ、とアンリはため息をつきながら首を振った。
アンリとウィルが中庭に着いたときには、すでにやる気に満ち溢れた一年生三人と、驚きと期待に目を輝かせたテイルとが揃っていた。テイルはきっと、三人から話を聞いたのだろう。
「アンリ、おはよう。今日、ロブ先生が見に来るっていうのは本当?」
「おはよう。うん、まあ、来るとは言ってたね。……一応言っておくけど、見に来るだけのはずだよ。どのみちここじゃ大した魔法はできないし、指導とかは期待しないほうがいい」
「それでも見てもらえるんだろ? 楽しみだな」
テイルはあくまで前向きに、明るく表情を輝かせる。やはり上級魔法戦闘職員に魔法を見てもらえるのは嬉しいことらしい。
アンリが浮かない顔をしていたからか、テイルは不思議そうに首を傾げた。
「なんだ? アンリは楽しみじゃないのか?」
「いや……まあ……」
アンリは曖昧に笑いつつ目を逸らした。不自然に思われないようにするには、嘘でも「楽しみだ」と言うべきなのだろう。しかし、たとえ嘘でも演技でも、そんなことを言いたくない自分がいることをアンリは感じている。
なんと答えたら良いだろう。助けてウィル、とアンリが視線を動かそうとしたちょうどそのとき、中庭に、アンリたちとは別の足音が近づいてきた。
「おはよう、みんな」
爽やかすぎて違和感しかないが、少しだけ聞き慣れてきたロブの声。このときばかりはアンリも、タイミングよく現れてくれたロブに心中で感謝した。
しかしロブのほうを振り返ったアンリは、一瞬前の感謝の念をすぐに撤回することになる。
「お……おはようございます、ロブ先生。……レイナ先生も」
ロブの半歩後ろを歩いて一緒にやってきたのは、レイナだった。笑みの欠片もない顔で、アンリの挨拶に「おはよう」と静かに返す。
なんでロブはレイナを連れてきてしまったのだろうか。
アンリたちの朝の特訓は、秘密裏に行っているわけではない。けれども決して許可を取っているというわけでもなかった。
この程度の魔法を使うのに許可もいらないだろう。アンリがそう勝手に判断し、誰もいない朝の中庭なら文句も言われまいとたかを括って始めたものだ。
「つまり君たちは、もう数ヶ月も、ここで魔法の訓練を続けているのだね」
楽しみにしていた一年生三人やテイルには申し訳ないが、今日の訓練は始まらずに終わるかもしれない。レイナから説明を求められた時点で、アンリはそう覚悟した。
「……そうです。今年の頭くらいに、魔法を教えてくれって頼まれて。でも、別に難しい魔法にチャレンジしているわけじゃありません。あくまでも基礎の練習というか。周りを壊すような魔法の練習はしてません」
アンリの言い訳じみた説明を黙って聞いていたレイナは、話が一区切りついたところでようやく「それで」と冷たい声を発した。
「そのことは、誰か教師に相談したのか?」
「……………いいえ」
アンリの答えに、レイナの表情が固まる。普段なら厳しいとはいえ生徒への愛情が感じられるその顔に、今は厳しくアンリを咎める色しか浮かんでいない。
「相手は一年生だろう。魔法は覚え始めが肝心だ。誤った指導を受ければ今後の成長に支障をきたす。その危険性は考えなかったのか」
レイナの厳しい言葉に、アンリは俯くことしかできない。
その危険性を考えなかったわけではない。ただ、そもそもアンリには誤った指導をしない自信があった。アンリにはこれまでにも人に魔法を教える機会があったし、他人の魔法が上達していく過程を見る機会もあった。
しかしそれらはすべて、魔法戦闘職員としての経験だ。ここで「経験上問題のない方法をとりました」などと言うことはできない。
「まあ先生、そう熱くならずに」
返答に困ったアンリに助け舟を出したのは、あろうことかロブだった。
「その話は、彼の訓練方法を見てからでも遅くはないでしょう。どんな訓練をしていたのかを把握しておくことが大切ではありませんか?」
「…………そうですね」
レイナにしては珍しく、言いたいことを飲み込むような間を置いた答え方だった。アンリに対して言うべきことはまだあるが、ロブの言うことももっともだ。そんな葛藤が見える。もしかすると、ロブの顔を立てる必要性も考えたのかもしれない。
そんなレイナの葛藤になど気付かない様子で、ロブはその場の生徒全員に向けて明るく微笑みかけた。
「さあ、みんな。楽しい時間に水を差して悪かったね。いつもの訓練というやつを見せてくれるかい?」
どうなることかとハラハラしながら場を見守るしかなかった一年生三人とテイルが、いっせいに「はいっ」と元気に応える。アンリとウィルも、どうにか収まって良かったと安堵の視線を交わしながら頷いた。




