(13)
翌朝、教室で鞄から教本やら筆記用具やらを出して授業の準備をしているアンリのところに、突然知らない女子生徒が近づいてきた。
知らないとはいえ、どこかで見た顔だ。おそらく他クラスの生徒。廊下ですれ違うくらいのことはしていると思われる誰か。
「あなたがアンリ君よね?」
「…………そうだけど。何?」
昨日ウィルに教えてもらった魔法戦闘部でのロブの話を思い出して、アンリは警戒する。もしかすると魔法戦闘部の部員が、本当にアンリの話を聞きにきたのかもしれない。
しかし、アンリの予想は外れた。
「ええと、突然ごめんね? 私、実はサニアさんから頼まれて、去年まで彼女がやっていた交流大会の有志団体の代表を引き継ぐことになったの」
そう言って、彼女はアンリに一枚のチラシを差し出す。チラシには大きく「模擬戦闘大会」と目立つように書かれていて、その下に実行委員会委員長として「二年二組リディア・アベスタ」とあった。彼女はその名前を指差して「これ、私よ」と言う。
「去年はサニアさんを中心に三人で運営していたんだけど、今年は私を代表に十人で実行委員会をつくったの。全員書くのは大変だから、ここには私の名前だけだけど……」
ふうんと相槌を打ちながら、アンリは去年の交流大会のことを思い出す。
イーダにある三つの中等科学園が共同で開催する交流大会は、五日間の日程で行われる。五日間のうち、学園主催の大きな公式行事が行われるのは最後の二日間だけ。初めの三日間は、学園生の有志団体による自主的なイベントが中心となる。
そんな自主イベントのひとつとして毎年開催されている模擬戦闘大会。主催する団体を変えながらも、綿々と引き継がれて続いている人気イベントらしい。
昨年その主催者となったのが、サニア・パルトリというアンリのひとつ上の先輩に当たる人だ。正確には彼女を含めて三人で有志団体を結成し、周りの助けも得て運営したと言っていた。だが、中心となったのがサニアであったことは間違いない。
彼女はわざわざアンリの好物を景品に設定し、アンリの出場を誘ったのだった。
まんまと出場させられたアンリは色々ありながらも優勝し、見事に景品のココア一年分を手に入れた。色々あったおかげで、今でもそのココアはやや苦い味がするようにアンリは感じている。
隊長がなぜかロブの名を騙って模擬戦闘大会に参加したのもそのときだった。なぜそんなことをしたのか正確なところは謎のままだが、おそらく対戦したい相手がいたのだろう。
色々あったが、振り返ればそう悪い思い出ばかりでもない。
「懐かしいね。去年はけっこう楽しかったよ」
「本当? それならよかった。サニアさんのように上手くはできないかもしれないけど、私たちも、皆に楽しんでもらえる大会にしたいと思っているの」
主催者であったサニアも今年は三年生。交流大会の公式行事に力を入れるべき年で、昨年のように彼女が中心になって模擬戦闘大会を盛り上げることは難しいのだろう。
そしてそのサニアからイベントの主催を引き継いだのが、今アンリの目の前にいるリディアだということらしい。そのやる気に満ちた目が、アンリをしっかりと捉えている。
「それでね。大会をより面白くするためにも、去年優勝したアンリ君には、ぜひまた大会に出場してほしいの」
お願い、と言ってリディアがもう一枚出してきた紙は、模擬戦闘大会一般の部の申込用紙だ。大会は昨年と同様に一般の部、中等科学園生の部、初等科学園生の部の三つに分けて行われるらしい。
「アンリ君は去年も一般の部の出場だったでしょ? だから今年もぜひ、そっちで出てほしくて」
「ええと……去年俺は魔法器具を使ったわけだけど。今年も使える?」
昨年の模擬戦闘大会においてアンリが優勝できた秘訣は、魔法器具使用可という特別ルールのためだった。実際に魔法器具を使用した参加者は少なかったようだが、一般の部に出場したアンリやアイラ、中等科学園生の部に出場したマリアは魔法器具を戦闘に用いて、自身の実力以上の魔法力で上位まで勝ち残ったのだ。
もちろん、アンリは魔法器具の力に頼っていたわけではない。魔法器具の力を頼っているように見せかけることで、威力の強い魔法が使えることを誤魔化したのだ。
そんな魔法器具を、今年も使うことができるのか。
アンリのその問いに、リディアは困ったように眉を八の字に歪めた。
「ええと。実は今年は、ダメなことになっちゃったの……」
リディア曰く、魔法器具使用可とした昨年の模擬戦闘大会はこれまでにない盛り上がりを見せたが、同時に戦闘の規模もこれまでになく大きくなってしまったのだという。これ以上威力の強い魔法の撃ち合いになっては交流大会の安全性に大きく影響するとのことで、魔法器具の使用は禁止されてしまったのだ。
「……でも、それだとマリアは」
「もちろん、魔力放出困難症みたいな障害を克服するための魔法器具は大丈夫よ。そういう魔法器具は、いくつか例外として使える規定をつくったの。それで学園側からも認めてもらった。ただ、アンリ君がやったような魔法器具の使い方は認められなくて……」
なるほど、とアンリは頷く。自分が派手に戦ったせいでマリアの出場にまで制限がかかってしまったのでは申し訳ないと思ったところだが、そうではなかったことがわかって一安心だ。
「どうかな、アンリ君? 去年と同じようにできないのは申し訳ないけれど、アンリ君なら魔法器具なんてなくても一般の部でいいところまで行けるって、私は思っているのよ」
初対面のはずのリディアからそんなことを言われたので、アンリは苦笑しながら「なんでそう思うの」と尋ねる。そんなアンリに、リディアは得意げに微笑んだ。
「私、模擬戦闘大会が大好きで、毎年必ず見に行っているの。もちろん去年もね。だからわかるの。去年のアンリ君は魔法もすごかったけれど、何より試合中の動きが良かった。あれは戦い慣れている人の動き方だよ。だから、多少魔法の威力が弱くなったところで、アンリ君の良さはなくならないというわけ」
魔法以外にそんなところが見られているのか、とアンリは感心してリディアの言葉を聞いた。気をつけるべきは魔法の威力だけではないらしい。今から気をつけたところで、遅いかもしれないが。
それに、とリディアは楽しそうに言葉を重ねる。
「昨日、授業でロブ先生に魔法戦で勝ったって聞いたから。授業中なら、魔法器具だって使っていないでしょ? そんなアンリ君なら、一般の部でも絶対大丈夫」
結局はその話か、とアンリはがっくり項垂れた。
アンリが考えさせてくれと言うと、意外にもすんなりとリディアは了承してくれた。
「一般の部の申込みは、交流大会の初日まで受け付けることになってるから。でも、やっぱり目玉になる人に出てもらえるかどうかでお客さんの入りも違うし、気持ちが固まったら早めに教えてくれる?」
昨年のサニアのような、何がなんでもアンリに出てもらいたいという気概は見られない。アンリの意思を尊重しようという姿勢に、アンリはほっと安堵する。
しかし、それも束の間だった。
「ところでアンリ君。去年出場していたロブ・ロバートさんっていう人のこと、覚えてる? 仮面を被って出てきた、剣の達人よ。アンリ君との対戦はなかったけど、ずいぶん注目を集めていたでしょう?」
アンリの表情が固まったことに気付かずに、リディアはこそこそと小声で続けた。
「私ね、ロブ先生があの人だったんじゃないかと思うのよ。あの人は剣で勝ち上がったけれども、魔法が使えないというわけではなかったでしょ?」
昨年の模擬戦闘大会を木剣だけで勝ち上がった強者、ロブ・ロバート。仮面で顔を隠した彼は魔法を一切使わずに勝ち上がり、それでいて最後の試合で一度だけ、高度な魔法力を示した。
もっとも魔法を使わないことを自身にルールとして課していたらしい彼は、そのままそこで棄権したのだが。
「今年もあの人に出てほしいと思っているんだけど、連絡先がわからなくて。ロブ先生だったらいいなっていう希望でもあるんだけどね。ねえアンリ君、どう思う?」
どうと言われても……とアンリは困って言葉を探す。ロブ・ロバートと名乗っていた人物が今中等科学園に来ているロブとは違う人物であることをアンリは知っているが、それを「知っている」と言うわけにはいかない。
「ええと……さ、さあ? 俺にはわからないなあ」
視線を逸らしつつ、アンリは言う。相手がサニアなら、アンリが何かを誤魔化そうとしていることに勘付いただろう。しかし幸いなことに、初対面であるリディアはそんなアンリの様子には気づかなかったようだ。
まあいっか、とリディアはさっぱりと笑った。
「どのみち、ロブ先生が出てくれたら盛り上がるだろうし。ダメで元々と思って声をかけてみるね」
アンリ君もよろしく、と言ってリディアは教室を出て行った。




