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(9)

 クラスメイトたちの視線が集まるのを感じながら、アンリは訓練室の中央に立った。正面、五歩離れた位置にロブ。


「待たせたね、君が最後だ。君はどんな魔法を見せてくれるのかな」


 ロブの顔に浮かぶのは、指導員としての演技の笑顔だ。爽やかな笑みに胸焼けしそうな気分になりながら、アンリも精一杯にこやかな笑顔を浮かべる。


「お手柔らかにお願いしますよ、ロブ先生」

「さて。その余裕があれば良いのだけれどね」


 アンリの嫌味にも動ずることなく、ロブは肩をすくめるだけだった。


 すぐにレイナから、試合開始の合図がなされる。


 いつものアンリとロブの模擬戦闘ならば、ロブが先攻を取る。ロブの不意打ちにより始まる戦闘だけでなく、正式な模擬戦闘でも同じだ。模擬戦闘では、実力の低い方が先に攻撃するという不文律がある。ロブとアンリとであれば、魔法の実力はアンリのほうが上だ。


 しかし今回であれば、先攻はアンリで良いはずだ。上級魔法戦闘職員と中等科学園生。傍目に見て、どちらの実力が低いかは明らかだろう。


 そこでアンリは攻撃のために、まず、指先に集めた魔力で右手の周りに小さな水球を十個ほど浮かべた。先ほどの模擬戦闘でウィルが氷の針を大量に撃ち出していたのを思い出す。水魔法の攻撃力は低いが、同じことをすれば目眩しにはなるだろう。


 ところがその水球を発射する前に、アンリははっとして左手で別の魔法を構築した。作り上げたのは、最上級の隠蔽魔法付きの結界魔法。突然背中側から迫ってきた魔法を、結界魔法で防ぐ。不可視の魔法が結界魔法に防がれて、音もなく消えていった。


(…………いやいやいやいや。まさかだろ)


「どうした? 攻めてこないのかい?」


 アンリが動揺して動けずにいると、ロブが澄ました顔で首を傾げた。どうやら表向きの演技を止めるつもりはないらしい。


 アンリはやけになって、右手で用意した水球十個を分割して百に増やし、全てをロブに向けて飛ばした。ロブが水魔法に気を取られているうちに、横に大きく走る。


 走っている間にも、不可視の魔法が上から落ちてくるのを感じ、アンリは頭上に結界魔法を張った。結界魔法に当たって魔法が消える瞬間、ロブが一瞬だけ、ほんの僅かに悔しそうに表情を歪める。

 その顔を見て、アンリは確信した。


(やっぱりロブさんか。簡単な模擬戦闘だからって、その裏で別の魔法戦闘をやろうなんて……無茶苦茶だな)


 クラスメイトや周りの教師に見えるような形で展開する、水だとか火だとかの単純な魔法による模擬戦闘。その裏で、光も音も、魔力の気配すら隠してしまうほどの強力な隠蔽魔法を使って、互いにしかわからない強力な魔法の撃ち合いをしようというわけだ。

 勝負に乗ってやる筋合いはない。けれども、さすがに攻められれば防がないわけにもいかない。


(面倒だけど、ロブさんが魔法を撃ってくるなら、それを防ぐ。で、表の模擬戦闘をできるだけ早くに終わらせる……模擬戦闘さえ終われば魔法を撃ってはこないだろう、たぶん)


 方針を決めると、アンリはロブの横手から火魔法でつくった火の玉を数十個飛ばす。ロブを囲むように火の玉を浮かべ、その輪を狭めることでロブの動ける範囲を狭めていく。


 あわせて最初に飛ばした水魔法のうち、まだロブに消されていなかったいくつかを敢えて火の玉に突っ込ませた。じゅわっと水が蒸発する音とともに、蒸気が生まれてロブの視界を遮る。


 その直後、アンリは見えも聞こえもしない魔法が左手側から迫るのを感じた。隠蔽魔法がかかっていて魔力の気配さえ希薄だ。それでもアンリはなんとか感覚を頼りに避け、そのままロブの後ろに向けて駆ける。


 表の魔法で次に何をすべきか。視界と動きを奪ったのだから、次はいよいよ攻め込むべきだろう。飛んでくるいくつかの不可視の魔法を結界魔法で防ぎつつ、アンリは木魔法で創った短剣でロブに後ろから斬りかかる。


 ロブは振り向きもせずに、アンリの短剣を結界魔法で防いだ。それから右手を大きく振って、周囲の水魔法と火魔法とを掻き消す。


「攻撃はここまでかな?」

「まさか。これからですよ」


 アンリは大きく飛び退くと同時に、氷魔法で地面からロブに向けて数本の槍を生やした。生活魔法だけで勝負しようと思っていたが、それだけではどうにも決め手に欠ける。少々迷ったが、この程度の戦闘魔法なら許容範囲だろうと思い直して、使っても良いことにした。次いで風魔法で、ロブを中心に小さな竜巻を起こす。これも許容範囲ということにする。


 竜巻で動きを制限されたロブに、氷の槍の先端が迫る。ダメ押しとばかりに、アンリは天井近くから雹を降らせた。一部は竜巻の風で散らされてしまうが、竜巻の中心ではロブを上から襲うだろう。


 逃げ道のないロブは、先ほどのように魔法を掻き消すか、結界魔法で攻撃を防ぐはずだ。そのタイミングで全ての魔法を解除して、魔力切れを装って降参しよう。アンリはそう思っていた。


 ところがふと気付けば、いつの間にかアンリも不可視の魔法に囲まれていた。気付くのが遅れたのは、戦闘魔法を使うかどうかで悩んだり、どのタイミングで負けようかなどということを思案していたせいだ。周囲への警戒をうっかり怠ってしまっていた、その隙を突かれた。


(ああ、もう……鬱陶しいっ!)


 アンリはレイナに気付かれないよう最大限の注意を払って隠蔽魔法を展開し、その中で、周囲の魔法を全て掻き消した。加えて苛立ちまぎれに、ロブの足元に追加で土魔法を飛ばす。足を取られて周りの魔法の解除に手間取ればいい……最後の嫌がらせのつもりで、ロブの足元の地面を泥状に溶かした。


 ロブの足が地面に沈む。してやったり、とアンリはほくそ笑んだ。


 ところが、アンリが調子に乗っていられたのもそこまでだ。


 足を取られたロブが、そのままその場に尻餅をついた。その顔に浮かんでいるのは驚愕だ。どうやら土魔法で足を取られたのが、よほど想定外のことだったらしい。なぜだろう、と考えてアンリもはっとした。うっかり、直前に展開した隠蔽魔法の効果の範囲内で土魔法を使ってしまったらしい。


 おそらくロブは、表に見える形で展開している模擬戦闘において、感知できない魔法が使われることを想定していなかったのだろう。前触れもなく届いた土魔法に、対処もできずに尻餅をついたというわけだ。


 このときアンリの使った魔法が土魔法だけだったならいい。しかしアンリの作った氷の槍も、竜巻も、降り注ぐ雹も健在だ。土魔法への驚愕で、ロブの対処は一拍遅れている。このままでは、氷の槍か雹か、どちらかがロブを斬り裂くだろう。


 いつものロブとの魔法戦闘ならば。多少怪我をさせたところで、すぐに治療をすれば良いだけだ。けれどもこの授業の場において、アンリは治療の魔法を使うわけにはいかない。


 アンリは舌打ちをして、全ての魔法を解除した。槍も、竜巻も、雹も、瞬く間にその場から姿を消す。それからアンリは誤魔化すように、氷で作った長剣を手に素早くロブに駆け寄った。氷剣による攻撃こそが本命で、ほかの全ての魔法が目眩しであったと見せかけるように。


 ロブのすぐ横まで迫ったアンリは、そのまま剣を上段から振り下ろし、座り込んだロブの肩口のところでピタリと寸止めした。


「勝者、アンリ・ベルゲン」


 レイナによって、アンリの勝利による試合終了が静かに宣言された。






 手元の氷剣を消したアンリは、座り込んだままのロブに手を差し伸べる。その手を取ったロブは立ち上がりながら、一瞬、面白くて仕方がないという顔を浮かべた。

 しかしすぐに取り繕って、元の爽やかな笑みを浮かべる。


「いやあ、一本取られた。まさかあれほどの大規模な戦闘魔法を目眩しに使うなんてね。魔法の使い方が上手い」


 服についた泥汚れを払いつつ、ロブは先に模擬戦闘を終えたアイラやウィルにも目を向けた。


「君たちも、それぞれ魔法の威力や使い方がとてもよかった。同じ条件で三回くらいやれば、一回くらいは私に勝てるだろうね」


 そう言って肩をすくめると、ロブはまだ唖然として物も言えないでいるクラスの生徒たち全体に目を遣る。


「今の試合を見たことは、君たちの糧にもなるだろう。本当はここで私から講評をすべきなんだろうが、もう授業の時間も残り少ないからね。講評は、次の授業の機会にさせてもらおう」


 あまりにも当たり前の様子で語るロブに、生徒たちは徐々に驚愕から醒めていく。


 そうだ、ロブ先生は指導のための模擬戦闘をしただけだから、十分に手加減をしていたはずだ。その範囲では、負けるということもあり得るだろう。そうでなければ、上級魔法戦闘職員が中等科学園生なんかに負けるはずがない……生徒たちの頭の中に、そんな理屈が構築されていく。


 そうして皆がようやく目の前で起こったことを常識的に受け入れられるようになった頃合いに、ちょうど授業終了の合図が鳴った。

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