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中等科学園に通っているのはアンリ自身の希望であって、隊長やサリー院長を説得したところで意味がない。
そんなふうにアンリが主張しても、ロブにはあまり効果がなかった。意外そうに目を丸くしたものの、「それなら」と腕を組み、首を傾げてこう言っただけだ。
「俺がまず説得すべきは、アンリ本人というわけだな?」
「……説得が必要ないっていう話にはならないんですかね?」
アンリの言葉に、ロブは面白そうに笑いながら「ならないな」とはっきり言った。
「たしかに今はまだ、腕は鈍っていないようだ。だが、時間の問題だ。中等科学園なんてぬるいところに、あと二年以上だろ? そんなにいたら、鈍るどころか腐っちまう」
「そうとも限りませんよ。中等科学園でだって、得るものはあります」
「防衛局で得られるもののほうが大きいだろ」
肩をすくめて持論を展開するロブ。当たり前のことを言わせるなと言わんばかりの彼の態度に、アンリは段々と苛立ちを覚え始めた。
「中等科学園は今しか通えないんですから。この期間くらい、学園に通ったっていいじゃないですか」
「この期間くらい、なんて油断が失敗の元だ。魔法力が落ちてからじゃ遅いんだ。回復に時間がかかるどころか、二度と同じ水準まで戻せないかもしれない」
「……そもそも、俺の腕が鈍ろうが腐ろうが、ロブさんにとやかく言われる筋合いはないんですけど」
アンリの強気な言葉に、ロブは初めて不機嫌そうに眉を歪めた。
「なに言ってるんだ、馬鹿。お前の腕が落ちたら、俺がこうして模擬戦を楽しめる相手がいなくなるじゃねえか」
勝手なことを言うロブに、アンリは苛立ちを通り越して呆れて反論を見失う。
言いたいことは色々ある。そんな勝手な我儘に巻き込むな、とか。そもそもルールも無しに一方的に魔法を仕掛けてくることを模擬戦とは言わない、とか。だいたい、ほとんど帰国もしない相手のために魔法力を磨いておけなんて、勝手すぎる。
アンリが黙ったのを契機として「さてと」とロブが腰を上げた。どうやら今日この場で、力尽くでアンリを連れ帰ろういうわけではないらしい。
「今日はひとまず、アンリの気持ちを確認できただけで良しとしよう。どのみちアンリを中等科学園に通わせろっていうのは、隊長の命令でもあるからな。そこを覆さない限り、お前を連れ戻すことはできない」
自由奔放で自分勝手極まりないロブではあるが、意外と真面目なところもあって、命令違反はほとんどない。アンリの中等科学園在籍が命令である限り、それを破ってまでどうこうしようという気はないようだ。
しかし拍子抜けしたアンリがほっと安堵の息をついたのも束の間。ロブは「だがな」と念を押すように、強い口調で付け足した。
「この命令は絶対のものじゃない。お前や隊長の考えさえ変われば、どうにでもなる。今日は帰るが、俺は諦めるわけじゃねえからな。そのつもりでいろよ」
そう言って、アンリからの返事も待たずにロブは部屋を出ていく。
残されたアンリは、深く大きくため息をついた。
なんとかしてくれるはずじゃなかったのか。
向ける先を失ったアンリの苛立ちは、その夜、通信魔法で隊長にぶつけられることになった。
「昼間、ロブさんがこっちに来ましたよ。宣戦布告をされました」
『あー、なるほど。道理で夕方から、ロブの機嫌が良さそうだと思った』
苛立つアンリに対し、隊長はあくまでも呑気だ。その口調にまた苛立ちが募り、アンリはつい大きな声で言い返す。
「道理で、じゃないんですよ! 学園なんかで突然魔法戦闘を挑まれたこっちの身にもなってください。これで先生にでもバレたら、どうしてくれるんですか」
『うーん……まあ、その辺はあいつも気は遣ってるだろうさ。一応、アンリが身分と実力を隠していることは言ってあるから』
たしかに戦闘を繰り広げた際の空間魔法は、内部で使われた魔法が外に漏れないような仕組みになっていた。あのとき、もし仮に部屋のすぐ外に教師がいたとしても、アンリの魔法には気付かれなかっただろう。
アンリの身分を隠すこと。ロブはそれも命令の一つと捉えて、真面目なことに、忠実に守っているというわけだ。
しかし、だから良いというわけではない。
「ロブさんが次に出国するのはいつですか?」
『……それ、本人には聞くなよ? 傷付くからな?』
そうは言っても、ロブ自身が嫌がらせのようなことをするからいけないのだ。彼がアンリの学園生活に口を出しさえしなければ、アンリもこんな薄情なことは聞かない。
しかしどのみち隊長から返ってきた答えは、アンリにとっては益のない情報にしかならなかった。
『今のところ、次の出国の予定は未定だよ。今回は国外にいた期間が長かったからね。しばらくは国内に留まってもらうことになっている』
長く国外での任務に就いていたロブは、外国の情勢に明るい。隊長の意向として、今回の帰国中にそうした情報を詳しく聞いておきたいらしい。
また、逆にロブ自身は国内の情勢にやや疎くなっている。それを補完し、次の任務に備えるためにはある程度の期間が必要だ。
任務の都合だ。こればかりは、アンリが文句を言ったところで変えられるようなものではない。アンリにできることは、ただその期間が短くあるように、ロブがさっさとまたどこか別の国へと旅立つようにと、祈ることだけだ。
募る苛立ちと無力感とで、アンリは不機嫌に舌打ちした。
「……わかりました、仕方ないですね。できるだけ鉢合わせしないように、俺、しばらくそっちに行くのは控えます」
『あー、うん、そうだな。ええと……まぁ、こっちに来ないこと自体は構わないよ、休職中だからね』
このとき、隊長が歯切れの悪い返事をしていたことに、アンリはもう少し注意を払うべきだったのかもしれない。そうすればアンリはこの後に起こることを、止めることはできずとも、せめて心の準備くらいはして待つことができたかもしれない。
しかし実際にはアンリは自分の苛立ちを抑えることに必死で、隊長の態度がおかしいことには気づかなかった。そうして、今後も連絡が必要な場合には通信魔法を使う旨をほとんど一方的に言い置いて、その日の通信は終了したのだった。
通信魔法の向こうで隊長が今後に対して不安な気持ちを抱きつつ、ひとまず何も聞かれなかったことへの安堵で胸を撫で下ろしていたことにも、もちろんアンリは気付いていない。
そうして翌日の朝。
一組の教室で教壇に立ち爽やかな笑みを浮かべるロブの姿を見て、アンリは心臓が止まるかと思うほどの衝撃を受けたのだった。




