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(2)

 はたしてアンリのあまり当たってほしくなかった予想が現実のものとなったのは、翌日のことだった。


 授業が終わり、いつものように魔法工芸部の活動に参加した後の帰り道。ちょうど魔法戦闘部の活動終わりと重なって、そちらに参加していたウィルとともに寮へ向かっていたとき。


 ほんの一瞬。下手をすると気付かずにやり過ごしてしまっていたかもしれないほどの、微かな気配。それに気付いてしまったアンリは、眉をひそめて盛大にため息をついた。


「どうしたの、アンリ」

「い、いや、別に。なんでもない」


 ウィルに問われて、アンリは慌てて首を振った。周りには学園から寮へと戻る中等科学園生がたくさんいる。ここで不審に思われる行動を起こすべきではない。相手だって、まさかこんなところで何か仕掛けようと思っているわけではないだろう。ただ自分の存在をアンリに知らせたいだけだ。


(それなら俺は……極力、無視するに限る)


 迫り来る面倒事への対処方法を決めて、アンリは努めていつも通りに、ウィルとの会話に勤しんだ。






 ところがアンリの態度に関わらず、厄介ごとは相手からやってきた。


「…………俺に客、ですか」


「ええ。ロバートさんとおっしゃる方ですよ。応接室でお待ちいただいていますから、アンリさんはそちらに向かってください」


 寮の入口で待っていた寮母のサラサの言葉に、アンリは表情を歪めた。隣ではウィルが、不思議そうに首を傾げている。


「ロバートさんって、もしかして……」


「いや、ウィルが思っている人とは違うよ」


 ウィルはおそらく、去年の交流大会のことを思い出しているのだろう。あのときロブ・ロバートというおかしな偽名を使っていたのは隊長だった。


 しかし今、応接室で待っているのは隊長ではない。本物のロブがこの国にいるときに彼の名前を騙ることなど、いくら隊長でもしないだろう。


 そのうえ、先ほど帰り道に感じた魔力の気配。それは紛れもなく、アンリにとって懐かしく、そして今最も会いたくない相手のものだった。


 面倒だなあ、とうんざりした気持ちをかかえつつ、アンリはウィルと別れて応接室へと向かう。扉の前で立ち止まって深呼吸。相手が本当にアンリの知るロブならば、この後なにが起こるのかは目に見えている。

 アンリは覚悟を決めて、応接室の扉を開けた。






 扉を開けて一歩中に入ってすぐに、アンリは飛翔魔法を発動した。応接間と思って足を踏み入れたその場に、床がなかったからだ。


(……だから嫌なんだよ)


 気付けば辺りは真っ暗で、何も見えない。振り返れば入ってきたはずの扉も消えている。


 舌打ちしつつも冷静に、アンリは周囲の状況を探る。光魔法で視界を確保することもできるが、そんなことをしたところで意味はないだろう。周囲に満ちる魔力の気配は、ロブのものだ。彼の展開する空間魔法の中に囚われたと理解すべきだろう。そんな中で明かりを点けたところで、何もない空間が広がっているのを見せつけられるだけだ。


(空間魔法に干渉して、魔法の解除を……なんて、簡単にやらせてもらえるわけがないよな)


 周囲の魔法に自身の魔力を混ぜて魔法の解除を試みるが、さすがにおいそれと主導権を渡してはもらえない。相手は防衛局一番隊の副隊長。中等科学園の友人たちの魔法に干渉するのとは、わけが違う。いくらアンリでも、真っ向から魔法に干渉して解除に持ち込むのは難しい。


(本人を叩くしかない)


 感知魔法を展開して、空間魔法が展開されている範囲の全体を探る。どこかにロブが隠れているはずだ。

 感知された魔力を頼りに、アンリは右方向へと水魔法を飛ばす。しかし魔法は何にぶつかることもなく、そのまま彼方へと飛び去ってしまった。


(外れた。避けられたか。いや、そもそもダミーだったかな)


 避ける暇を与えた覚えはない。最初から、その位置にロブはいなかったと思ったほうが良いだろう。魔力の塊でも浮かべておいて、あえてアンリに感知させたに違いない。狙い通りにアンリが引っかかったことを、どこかで笑っているのかもしれない。


(…………本当に、面倒くさいことをするなあ)


 アンリは感知魔法で探し出すことを諦めて、代わりに氷魔法を周囲に展開した。上下前後左右、隈無く全ての方向に、細かな氷の粒を隙間なく撒き散らす。どこに隠れていたとしても、氷の粒を全て避けることは物理的に不可能だ。そして粒のひとつでも当たれば、アンリにはそれを感じ取ることができる。


「わっ」


 アンリの右後ろ上方から、小さく焦ったような声が響いた。同じ方角から、氷が何かにぶつかった感覚。


 しかしアンリはその感覚を無視して、左前方に向けて手を伸ばした。逃げる間を与えないよう、躊躇なく、およそ室内で使うには度を越した威力で炎魔法を飛ばす。


「いっ……ま、待った!」


 本気で焦る声。同時に、周囲の魔力にわずかな揺らぎが生まれた。空間魔法のための魔力制御が疎かになった証だ。

 即時にアンリは炎魔法を解除して、空間魔法への干渉を再度試みた。一瞬の抵抗はあったものの、すぐに空間魔法の主導権はアンリに移る。


 アンリはそのまま力任せに、周囲に広がる空間魔法を打ち切った。






 魔法を切った後に現れたのは、寮の応接室。


 アンリはその入口で、飛翔魔法によって床からほんの少し浮いているような状況だった。魔法を解いて、床に降り立つ。


 周囲を見回して点検したが、壁や床、備品には傷ひとつなかった。今しがた繰り広げられた魔法戦の名残は見当たらない。


 ただテーブル奥のソファの前で、ソファからずり落ちるような格好で男が床に座り込んでいた。汗をびっしょりとかいて、頭を抱えている。


「お久しぶりです、ロブさん」

「……久しぶり、じゃねぇよこの馬鹿。殺す気か……。なんだよ、あの火力…………」


 恨みがましくアンリを睨み上げるロブ。その前髪が、ほんの少しだけ焦げていた。


「最初に仕掛けたのはロブさんじゃないですか。それに空間魔法さえ解除すれば、結界でもなんでも、防ぐ方法はいくらでもあったでしょう?」


 最後の最後まで場の維持にこだわったから、前髪を焦がす羽目になったのだ。ロブの自業自得。そんなアンリの主張に、ロブは「それはそうだが……」と呟いたきり、反論もできずに力無く項垂れた。


 アンリは座り込んだ彼の向かいのソファに腰掛ける。しばらく待っていると、ロブはゆっくりと立ち上がり、大きく伸びをしてソファに座り直した。


「いやあ、それにしても久しぶりだな、アンリ。元気そうで何よりだ」


 何事もなかったかのように爽やかに笑うロブ。彼にとっては今の魔法戦が、アンリが「元気そう」であることの判断材料だったらしい。


「お陰様で。いいかげん、会うたびに何か仕掛けてくるのはやめてくれませんか」

「なんだよ。俺とお前の挨拶みたいなもんじゃないか」


 ロブの主張に、アンリは眉を顰める。出会い頭に一方的に魔法戦闘を仕掛けられるのだ。普通はそういうやり取りのことを挨拶とは言わない。いくら常識のないアンリでも、そのくらいはわかる。


 ここ三年会っていなかったが、それ以前、任務の合間に一時帰国するたびに、ロブは今日のようにアンリに魔法戦闘を仕掛けてきていた。


 訓練場や副隊長室に限らず、廊下や食堂、玄関、研究部の執務室など。帰国したロブはアンリに遭遇すると、場所に構わず出会い頭に戦闘を繰り広げるのだ。

 一度は街中で戦闘を始めそうになったこともある。そのときは即座に隊長に止められた。仕掛けたのはロブだというのにアンリまでまとめて叱られたのは、苦い思い出だ。


 そんな戦闘を挨拶だとは、決して認めたくはない。しかしこうして魔法を交わすことで、ロブの帰国が実感できることは事実だった。


「……まあ、ロブさんが相変わらずだというのはわかりました」

「俺も、アンリの腕が鈍っていないことがわかって良かったよ。休職して中等科学園に通い始めたって聞いたときには心配したがな」


 おや、とアンリはロブの顔色を伺った。上機嫌な笑顔の中に、たしかに安堵の表情が見える。

 ロブがアンリを中等科学園から防衛局に引き戻そうとしている。その話を隊長から聞いたのは、つい昨日だ。しかしアンリの魔法の腕が鈍っていないことさえ確認できれば、もしかして学園に通い続けることを認めてもらえるのだろうか。

 もしもそうなら、百歩譲ってこの魔法戦闘を挨拶だということにしても構わないが。


「……それで、何の用です? わざわざこんなところまで」


 期待を胸に抱きながらも恐る恐る尋ねたアンリに、ロブは「ああ、そうだった」と笑みを深めた。


「安心しろ、アンリ。隊長も院長先生も、俺が説得してやる。俺がちゃんと、お前を防衛局に戻してやるからな」


 期待したぶん、落胆も大きいというものだ。

 どうしたものかと、アンリは頭を抱えた。

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