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ここから第8章です。
隊長との必要なやり取りは全て通信魔法で済む。
そう思っていたアンリは、その隊長から久々に防衛局の本部に呼び出されたことを意外に思っていた。そのうえ防音の魔法器具により機密性が守られているはずの隊長の部屋で、わざわざ隊長自ら盗聴防止の魔法を使い、人払いをして二人だけで向き合うことになるとは。
「……いったい、何があったんですか」
「いや、その。大したことじゃないんだがな」
只事ではなかろうと緊張するアンリの前で、隊長は気まずそうに目を逸らす。
二人で話すためだけにこんなに仰々しい場をつくっておいて、たいしたことではないなどということはないだろう。しかし隊長の態度を見るに、実は本当にたいしたことがないのかもしれない。
そんなふうにアンリが考えを巡らせて待っているうちに、隊長も覚悟を決めたらしい。「実はだな」と躊躇いを振り切るように口を開いて、そのまま早口に続けた。
「アンリが学園に在籍することに反対する、けしからん輩が防衛局内にいるんだ。今後の学園生活に、そいつの妨害が入ることを警戒しなければならない」
「…………はい?」
仰々しい場を設けたうえに言いづらそうに間を取った隊長の口から出てきた言葉に、アンリは間抜けな返事しかできなかった。
隊長によれば、アンリが防衛局の戦闘職員という職を休んで中等科学園に通っていることに対して、今になって防衛局の中で反対の声を上げる者が出てきたらしい。
その者の主張は単純だ。アンリにとっては中等科学園などで学べることは少なく、その能力は防衛局でしか伸ばすことができないものである、と。加えてアンリを手放すことは防衛局の戦力低下に繋がるため、やってはならないことだったとも言っているらしい。
すぐにでもアンリを中等科学園から連れ戻して戦闘職員の身分に戻さなければ、強硬手段も辞さない構えだという。
そんな隊長の説明を聞いたアンリは怒ることもできずに、ただ驚き呆れるばかりだ。
「どこの誰ですか、今さらになってそんなことを言い出したのは」
アンリが休職して中等科学園に通い始めたのは一年以上前。これまで大きな声も上げずに、今になって強く物申すとは。いったいどういうことだろう。
「いやあ、その。今さらというか、ね」
しかし隊長も何やら歯切れが悪い。この件に対して、何か後ろめたいことがあるのかもしれない。煮え切らない隊長の態度に苛立ちを覚えて、アンリはやや声を張った。
「こんな話までしておいて隠さないでくださいよ。そもそも俺の存在を知っている人自体が限られているんですから。隠そうにも限りがありますからね」
アンリが十五歳という若さで防衛局の戦闘職員という身分を持っていることは、機密というほどではないがさすがに喧伝するようなことでもなく、防衛局内でも知っている者が限られている。同じ一番隊に所属する同僚たちや、たまに仕事を共にする一桁台の隊の戦闘職員たち。それからアンリの魔法器具製作を支援してくれる研究部の面々。
アンリの現状に反対することは、アンリのことを知っている者にしかできない。つまり、相手はその中の誰かだ。消去法で考えれば、答えに辿り着くこともそう難しくはない。
「一番隊の皆は学園に通うことになったときに応援してくれたから除外ですね。よく顔を合わせる人たちも違いますよね、そんな文句は言われたことがないから。だから、俺が最近会ってない人で……あ」
このとき、アンリはひとつの可能性に思い至って、言葉を止めた。
「もしかして、帰ってきたんですか?」
「うん、まあ、そうだな」
「……まさかとは思いますけど、もしかして、俺のこと伝えてなかったんですか?」
「…………うーん、まあ、そうだな」
極めて言いづらそうな隊長の答えに、アンリは抗議の気持ちを込めて、深々とため息をついた。
ロバート・ダールという男がいる。
身分は防衛局一番隊の副隊長。
一番隊から三十番隊まである防衛局戦闘部において、通常隊長と副隊長は各隊にそれぞれ一人ずつ置かれる。しかし一番隊だけは別で、隊長は一人だが、副隊長は二人置くことになっている。
ロバートは、その二人のうちの一人だ。
ただ「副隊長」と呼ぶとどうしてももう一人と被ってしまうので、アンリは彼のことを親しみを込めて「ロブさん」と呼んでいる。だいたいの隊員が同様に、彼のことを愛称で「ロブ」と呼ぶ。
防衛局におけるロブの立ち位置は特殊だ。彼は一番隊副隊長という地位にあり、人事権や指揮権など、戦闘部全体におけるある程度の権限を持つ。しかし彼自身の任務は、隊そのものの任務とはやや趣を異にしている。
彼の任務は、国外における防衛局の活動支援と情報収集。諜報員のような非公式の任務ではないが、国外に活動の拠点を置く任務だ。アンリの知る限り、彼はここ十年その任についている。さらに直近三年は、一時的にもこの国に戻ってはいないはずだった。
その彼が、この度帰国したということだ。
仲間の帰国。それだけで言えば喜ぶべき話題であり、懸念すべきことは何もないはずだ。
それでも、アンリの表情は固い。
「それで、ロブさんはいつ帰国したんですか」
「一昨日だよ。昨日、これまでの任務の報告を受けるのに合わせて、アンリのことを説明した」
「これまでも定期連絡くらいはありましたよね。俺のことくらい、話しておけばよかったのに」
いやあ、と隊長は苦笑しながら頭をかく。その顔を見て、アンリは確信した。おそらく隊長は、説明すれば反対されること、そして副隊長が反対した場合に面倒なことになるということがわかっていたのだ。
面倒事を先送りにして、その結果、今に至るというわけだろう。
「それで、ロブさんはなんて」
「さっきも言ったけど、アンリを防衛局に戻せってさ。アンリの希望もあって通わせてるんだとは言ったが、納得はしていないようだった。何をするつもりかはわからないが、油断はしないほうが良い。あいつのアンリに対する執着は相当なものだからな」
「……なんとかしてくださいよ。じゃないと、去年の交流大会で隊長がロブさんの名前を勝手に使ったこと、チクりますよ」
アンリの冷たい一言に、隊長はぎくりと肩を震わせて「それもあった」と頭を抱えた。あんなにふざけたことをしておいてまさか忘れていたのかと、アンリは呆れ返って物も言えない。
「……去年の段階では帰国はまだ全然決まっていなかったからな。しばらく帰らないなら、バレないと思っていたんだが」
隊長は小声でぼそぼそと、言い訳するように呟く。
昨年、アンリの在籍する中等科学園の行事である交流大会で、隊長は防衛局職員という身分を隠して模擬戦闘大会に出場するために、偽名を使った。その偽名が「ロブ・ロバート」というものだ。国内にいないからといって副隊長の名前を使うなんて、ずいぶんふざけたことをする。そんなふうに当時のアンリは呆れたものだが、まさかそれから一年足らずで本物のロブが帰国することになるとは、さすがに隊長も思っていなかったのだろう。
たった一年前のこと。今年の交流大会でも、もしかすると話題になるかもしれない。それを何かの間違いで本物のロブが耳にしてしまったら。面倒なことになるのは目に見えていた。
「……と、とりあえず。俺のほうでも、あいつを説得する努力はするから。アンリも、気をつけておいてくれ」
そんな頼りない言葉を最後に、隊長は部屋に張っていた盗聴防止の魔法を解いた。
気をつけろと言われても。
隊長の部屋を出て防衛局の敷地をでるまでの間を、アンリは副隊長と鉢合わせしないように細心の注意を払って歩いた。おかげで無事に首都を脱出することはできたが、それで安心することはできない。
(なにしろ、相手はあのロブさんだからなあ……)
飛翔魔法で中等科学園のあるイーダの街に向かいながら、アンリはこれから起こり得る面倒事を思って顔をしかめた。




