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 夕方になって寮に戻ったアンリは、屋上に出て、通信魔法で隊長に連絡をとった。


『どうした、アンリ。久しぶりじゃないか』


 開口一番にそう言われて、そんなに久しぶりだっただろうかとアンリはここ最近のことを思い出す。マグネシオン家やら研究部やら、首都に行く機会はあったが、そういえば隊長のところに顔は出していなかった。少し前に隊長の魔法の気配を感じることはあったが、本人と会って話をしたわけではない。


「すみません。色々やることがあって、忘れてました」


『忘れていたとはひどい言い方だな。まあ、学園生活が充実しているなら何よりだ』


 学園生活だけでなく、マグネシオン家から依頼された魔法器具製作などもあったのだが……とアンリは思ったが、反論するほどのことではない。そもそもその依頼でさえ、アンリがマリアやアイラと学園で友人関係になったからこそもたらされたもので、学園生活の延長と言っても良いのかもしれない。


 それで用件はと促されて、アンリは隊長に連絡を取ろうと思った理由を思い出した。


「こないだの職業体験のことなんですけど」


『ああ、アンリが見事に強盗をやっつけたっていう?』


「そっちじゃなくて……」


 なぜそんなことを知っているのかとアンリは呆れたが、話には乗らずに自分の用件に集中する。ウィルに約束したことだ。防衛局の職業体験で隊長がどんな魔法を披露したのか。将来的に、ウィルも努力さえすればできるようになる魔法なのか。


『ああ、あれか。特別な魔法を使ったわけじゃないよ、基本五系統の魔法をそれぞれドラゴンの形にして、空に飛ばしたんだ』


 木、火、土、金、水の基本魔法。重魔法どころか戦闘魔法ですらないが、規模が大きく芸術的だったからこそ、ウィルが感激するほどに豪華に見えたのだろう。


『アンリなら簡単だろうし、うちの職業体験に参加してくれた三人なら、ちゃんと訓練すればいずれはできるようになる』


 基本的な魔法の威力を強くするだけなら、たしかに魔力を増やす訓練を続ければ、いずれはできるようになるだろう。これならウィルにも、期待を裏切らない良い話ができそうだ。そう思って、アンリは胸を撫で下ろす。


 ウィルが滅多にないほど興奮していたので、もっと物凄い魔法のデモンストレーションがあったのかと思ったのだ。案外、単純なことだったようで助かった。


 しかしすぐに別のことに思い至ったアンリは、「うーん」と唸って眉をひそめる。


『どうした?』


「……たしかにその魔法なら俺には簡単にできそうですし、友人にも説明しやすいですけど。でも、そういうことをやろうって思いつくのが、俺にはできないだろうなと思って」


 もしもアンリが隊長のように、職業体験に来た中等科学園生たちに魔法を見せる機会を得たとしたら。いったい、デモンストレーションにどんな魔法を選んだだろうか。


 勢いのある強い魔法を放つだけならば、アンリは誰にも負けはしない。隊長以上の魔法も簡単に扱えるだろう。


 けれども職業体験に参加した中等科学園生たちを楽しませ、将来自分にも同じ魔法が使えるかもしれないと希望を持たせる。デモンストレーションにそんな魔法を選ぶことができるかと言われれば、アンリには無理だとしか思えない。

 その発想力も含めて魔法力と呼ぶのなら、アンリの魔法力は、きっと一生隊長に及ばないだろう。


『アンリだって、大人になればそのくらいは思いつくようになるさ』


「そんなこと言われたって。できるようになる気はしません」


 アンリが諦めまじりに言うと、隊長は「ははっ」と声をあげて笑った。


『今はそうかもしれないね。でも学園で経験を積めば、ちゃんとできるようになる』


 そういうものだろうかとアンリは疑わしく思ったが、反論はしなかった。どうせ反論したところで、また反論されて終わりだ。隊長に口で勝つなんて、それこそできる気がしない。


 それに半信半疑ながら、隊長の言うことにも一理あるのではないかとも思えた。


 数日前のアンリには、ランメルトを満足させられるような魔法工芸品をつくることなど、まったくできる気がしなかった。それがマリアのための魔法器具をつくる過程で、意外にもすんなりと思い付くことができたのだ。


 同じように、今はできる気がしないことも、今後何かの拍子に不意にできるようになることがあるかもしれない。


 アンリの沈黙をどう解釈したのだろうか。隊長は笑いをおさめると、真面目な声色で付け足した。


『そもそも前のアンリなら、そんなふうに自分にできないことを考えることもなかっただろ? 学園に入って、成長している証拠だよ』


 そうだろうかと、アンリは首を傾げて考える。


 魔法の威力では誰にも負けない自信があった。けれども、決して自分が万能だなどと思ったことはない。魔法の繊細さでは隊長に敵わないし、魔法以外の様々な分野の知識では隊の仲間たちに到底敵わない。隊長を含めた仲間たちに比べて、自分にできないことが沢山あることは前から知っていた。


 しかし言われてみると、そうした「できないこと」について、改めて「できるようになりたい」と思ったことはあまりなかったように思う。子供だからできなくても仕方が無い。その分、魔法が使えるのだから良いではないか。周りのそんな評価に甘えて、自分でも自然とそう考えていたのではないか。


 今の自分にできないことを、できるようになりたいと思うこと。あるいは、いつかはできるようになるだろうと期待を持つこと。


 そんな考えを持つようになったのは、学園に通い始めてからかもしれない。


「……隊長。俺、最近ちょっと考えているんですけど」


『ん? 何を?』


 長い沈黙を経てアンリが口を開くと、隊長はすぐに聞く姿勢になった。ずっとアンリが黙ったままだったことに、不安が募っていたのだろう。その不安を増すことになるかもしれないと申し訳なく思いながらも、アンリは覚悟を決めて心の内を明かす。


「卒業した後のことです。俺、防衛局の戦闘職員以外の仕事を選んでも良いですか?」


 学園生活の中で、時々考えることだ。トマリの誘いに乗って、魔法器具製作の道に進むこと。魔法器具開発のような、研究職を選ぶこと。イヴァンのように、魔法器具を売る人間になること。あるいは向いていないかもしれないが、魔法工芸の道を志すこと。


 戦闘職を続けてきたアンリにとって、どれも経験の少ない道だ。だからこそ、将来の仕事として考えるには不安が大きかった。しかし、今はできないことが、そのうちできるようになるのであれば。こうした道を、将来の具体的な進路として考えても良いのかもしれない。


「俺、もし戦闘職を辞めたくなったら、辞めても良いですか?」


『……や、辞めたくなったのか?』


 隊長の声は、アンリの予想以上に動揺していた。声色にいつもの余裕が見られない。無理も無い。アンリがいなくなったら、一番隊の戦力は半減すると言っても過言ではないのだから。


 アンリは隊長を安心させるため、正直に自分の考えを話す。


「辞めたいわけじゃありません。可能性の話というか……そういう選択が許されるものなのかと思って」


 そもそもアンリが防衛局に在籍しているのは、かなり特殊な事情によるものだ。過大な魔力を持った子供が捨て子として見つかったこと。その子供を監視しなければいけなかったこと。そしてその子供に、魔力の扱いを教えなければいけなかったこと。


 そんな事情を持つアンリが、果たして自身の希望だけで防衛局を辞めることができるものなのか。


 アンリの問いに対して隊長は「そうか、可能性の話か」と安堵のため息をついてから、ゆっくりと答えた。


『たしかにアンリが防衛局にいるのは、特例的な扱いだ。それでも、規則に違反するような手段で在籍しているわけじゃない。正式に手続きをとれば、辞められないということはないさ』


 それから隊長は、少しだけ余裕を取り戻した声音で続ける。


『学園生活を続けていれば、そういう話を真面目にすることもあるだろうとは思っていた。まさか、こんなに早く話が出るとは思わなかったけれどね』


 まだアンリは二年生の前半。中等科学園生が進路について本気で考えるのは、三年生になってからが一般的だ。三年生からは交流大会でも公式行事への出席が必須になる。そうしたアピールの場を活用して、就職先を探すのだ。


 しかし二年生でも、将来を見据えた職業体験カリキュラムがある。それを経験したアンリにとって、将来を考えるのに早いということはなかった。むしろ隊長に尋ねるのが今になったというだけで、卒業後の進路については、漠然とではあるが以前からときどき考えていた。


「魔法器具を売っているお店の人から、職人にならないかって誘われたんです。もちろん断りましたけど、そういう道もあるのかと思って」


『アンリに目をつけるなんて、なかなか鋭い店だな。……さっきも言ったように、戦闘職員を辞めることは別に不可能なことじゃない。アンリがどうしてもその店の職人になりたいと言うのなら、そういう選択肢もあり得るよ』


 ここまで優しい口調で言った隊長は、すぐに『ただし!』と強く熱のこもった声で続けた。


『個人的には、俺は、アンリに戦闘職員を辞めてほしくないと思っている。もちろん一番隊の戦力という話もあるが……なにより、アンリとこうやって話せなくなるのは、つまらないからな』


 そう言われて、アンリも初めて現実的に、戦闘職員を辞めるということを考えた。


 一番隊の所属ではなくなれば、隊長とこんなふうに親しく通信魔法で話すことはなくなるだろう。隊長だけでなく、同じ隊の仲間たちとの交流もなくなってしまうかもしれない。一番隊で預かっているドラゴンのマラクとも、会えなくなってしまう。


「……たしかに、マラクと会えなくなるのは嫌ですね」


『マラクだけか? 強がらなくて良いんだぞ』


 笑いの混ざった声でそう言う隊長は、おそらくアンリが今、将来のことを想像して多少の寂しさを感じたことに気付いている。


『まあ、ゆっくり考えれば良いさ。アンリを中等科学園に通わせたのは、視野を広げるためでもあるんだから。卒業までの期間を有効に使って、色々な経験を重ねて、どんな仕事に就きたいかよく考えるんだ。アンリがやりたいと思うことを見つけたなら、応援するよ。それが戦闘職であってほしいとは思うが、無理強いはしない』


 隊長の優しい言葉に、アンリは気恥ずかしく思いながらも「ありがとうございます」と小声で礼を言う。


 通信魔法を終えてからも、アンリはそのまましばらく屋上に残った。遠くの空、沈みかけた夕日の方角を見据えて、一人で考えに耽る。


 自分の開発した新しい魔法器具でマリアが喜んでくれたことが嬉しかった。魔法器具開発の才能があるとミルナにはっきり言ってもらえた。トマリには、魔法器具製作の職人にならないかと誘われている。

 一方で、あれだけ悩んでいた魔法工芸の課題をクリアすることができた。悩んでいる間は向いていないのだろうと落ち込んだが、長いトンネルをくぐり抜け、ランメルトに認めてもらえたときには大きな達成感があった。


 それから、魔法戦闘のこと。ウィルの言葉は苛立ちに任せた雑言だったが、それでもアンリ自身、魔法戦闘職は自分に適した仕事だと常々感じている。魔法力が生かせるし、何よりアンリは、魔法の実践が好きだ。思う存分魔法を使える仕事など、今の魔法戦闘職員としての仕事しか思い付かない。


 どの分野にも、それぞれ魅力がある。今、どれを選びたいかと尋ねられても、アンリには答えられない。


(でも、隊長の言うように。卒業までに、ゆっくり考えれば良いんだ)


 思いのほか、真剣に相談にのってもらうことができた。冗談として一蹴されるか、迷惑がられるか……実のところアンリは、その程度の反応しか得られないと予想していた。しかし予想に反して、隊長は真面目に優しく、アンリのことをよく考えた助言をくれた。


 その助言に従って、今は学園生活を楽しもう。そのうちに魔法器具製作や魔法工芸、魔法戦闘のほかにも、更に別の道が見えてくるかもしれない。


 期待を胸に抱いて、アンリは屋上から下りて、ウィルの待つ部屋に戻った。





これで第7章完結です。

お読みいただきありがとうございます。


感想、評価、ブックマーク、いいねもありがとうございます。励みになります。



次から第8章です。

引き続きお読みいただけると幸いです。

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