(32)
数日後、アンリは簡単な魔力灯を持って、雑貨屋のトマリのところへ来ていた。
「おや、もうできたのかい。早かったねえ」
魔法器具をつくってみないかとトマリに誘われ、課題をもらってから既に十日以上経っている。アンリからすれば、魔力灯一つをつくるには十分すぎる期間だ。けれどもトマリにしてみれば、その程度の期間で初心者たる学園生が一つの魔法器具を仕上げてきたことは「早い」と判断できるところだったようだ。
「見たところ、ちゃんと図面のとおりにできているようだしね。どれ、アランにも見せてみよう」
出てきた名前に、アンリは思わず背筋を伸ばす。以前、最初にこの店に挨拶に来たとき、アランの剣幕には驚かされた。あの調子で怒鳴られてはたまらない。
しかしトマリに呼ばれて店の奥から出てきたアランは、アンリを見るとやや渋い顔をしたものの、頭ごなしに大声を上げるようなことはしなかった。魔法器具を見てやれというトマリの言葉に素直に従って、アンリの持ってきた魔力灯を手に取る。
そうしてしばらく魔力灯を観察したアランは、やがてそれをトマリに返すと、アンリをまっすぐに見て言った。
「……いいんじゃねえか。これなら店に置いても売れる」
その口調が先日会ったときに比べて随分と静かで穏やかだったので、アンリは拍子抜けして返す言葉を見失った。何も返さずにぼんやりとしているうちに、むしろアランの方が気まずそうに視線を逸らし、早口に続ける。
「調子に乗るなよ。こんなの最初の試験みたいなもんだ。まあ、適性があるってことは認めてやる」
そう言いつつもトマリに返した魔力灯に目を遣って、外装のつくりが正確だとか、魔力石の加工が丁寧だとか、明るさが基準通りで適切だとか、ひとつひとつ評価できる点を挙げていく。最終的には「悪いところは見当たらねえな」と悔しそうに、言いづらそうに言った。
対してトマリは、アランの言葉を聞くほどに顔が緩んでいく。
「うんうん、そうだろうと思ったよ。一目見て、文句なしだとわかる出来だね。どうだいアンリ君、卒業後は我々の店で働かないか」
穏やかながらも野心を含んだトマリの視線に、アンリはやや身を引く。魔法器具をつくることを仕事にする。その選択肢を考えたことはあるが、さすがに勢いに任せて首肯できるものではない。
「ええと、それはまあ……ちょっと考えさせてください」
「ああ、そうだね。アンリ君は二年生だったか。卒業まではまだしばらくあるからね。……しかし決めてくれるなら、今から少しずつ職人としての修行を始められるんだがなあ」
惜しむように、それでいてアンリの興味を惹くようにトマリが言う。見え透いた勧誘に引っかかるのは癪だが、気になるのも事実だ。おそらく、トマリが思っているのとは違う意味で。
アンリは早く魔法器具のつくり方を学びたいと思っているわけではない。一般的な魔法器具のつくり方、その学び方に興味があるだけだ。
「修行って、どういうことをするんですか?」
「おっ、気になるかい? 気になるよねえ」
トマリは嬉しそうに笑って、近くの棚から大きく分厚い冊子を取り出した。アンリに見せるためにあらかじめ用意していたとしか思えない、滑らかな動きだ。
「やると言ってくれるまでは全てを見せるわけにはいかないけれどね。少しだけ見せてあげよう」
冊子の表紙をめくり、トマリが最初の頁を指し示す。最初の頁は冊子全体の目次になっているらしく、魔法器具の名前がびっしりと並び、そこに頁数が書かれている。
「この冊子には、ここに書いてあるだけの魔法器具のつくり方が記されているんだよ。修行と言うと大袈裟に聞こえるかもしれないが、実際にはこの冊子を使って、最初の頁から順番に魔法器具をつくっていくんだ。それによって、必要な知識が得られるようになっているんだよ」
目次を見れば、たしかに冊子の最初のほうには魔力灯などの簡単な魔法器具が、後ろのほうには魔法補助具のように複雑な魔法器具が載っているようだ。
「これはアランの師匠の師匠のそのまた師匠がつくった練習用の冊子でね。古いけれども、今でも本当に役に立つ。このあいだ渡した魔力灯の図面は、この最初の一つを書き写したものだよ。せっかくだから、次の項まで見せてあげよう」
魔力灯の次に書かれていたのは収納具だった。もちろん先日イヴァンの店で見たような最新の物ではなく、もっと基本的な、鞄の容量を大きくするだけのもの。そのつくり方が、ほとんど手取り足取り教えるかのように、丁寧に一から十まで記されている。
「……すごい」
「そうだろう。この冊子で勉強すれば、君だってすぐに収納具がつくれるようになる。ここに書いてあるのは鞄型だが、一度つくり方を覚えれば、小さい物から大きい物まで、色々とつくれるようになるよ」
トマリの言葉の半分もアンリは聞いていなかった。アンリは別に、収納具がつくれることに感動したわけではない。魔法器具のつくり方をこれでもかというほどに初心者向けに、細かくわかりやすく解説した冊子に感激したのだ。
他の魔法器具についても、同じようにつくり方が解説されているのだろうか。だとすれば、魔法補助具のような複雑な魔法器具の解説には、一体何頁使っているのだろう。
アンリは思わず冊子に手を伸ばした。トマリは敏感に察知して、すっと冊子を引っ込める。
「興味があるかい? しかしねえ、部外者にこれ以上見せるわけにはいかないねえ」
うっとアンリは息を詰まらせる。トマリの言うことはもっともだ。店の職人の修行方法を、そう簡単に他人に見せるわけにはいかないだろう。そのうえトマリには、アンリを勧誘したいという下心があるのだ。
けれどもさすがにアンリにも分別はある。ここで誘惑に負けて、誘いに乗ることもできない。
「……すみません、ちょっと欲が出ました。収納具だけで良いので、もう少し見せてもらっても良いですか」
アンリがそう言うと、トマリはつまらなそうに口を歪ませて、それでも冊子は元の位置に戻してくれた。アンリは少々気まずく思いながらも、せっかくなので見せてもらえた収納具の設計図を、穴が開くほどに見つめ、じっくりとよく読む。
収納具に加工するための鞄の選び方。必要となる魔力石の種類と入手方法。魔力石の加工の仕方と、鞄への取付方法。細かい留意点と、応用のために役立つ豆知識。
説明は丁寧で初心者にもつくりやすそうだが、アンリからすれば、少々まどろっこしいやり方だ。
「あの……ちなみにこれ、ここに書いてある方法でつくらないといけませんか」
アンリが思わずそう問うと、トマリは「ん?」と首を傾げた。
「なんだい、このつくり方じゃあ嫌かい」
「嫌というわけじゃないんですけど」
トマリの声色に若干の不機嫌を感じ取って、アンリは慌てて首を振った。この店の職人になるわけでもないのに、店のやり方に文句を付けたいわけではない。
眉をひそめるトマリとは対照的に、アランは面白そうに笑った。
「いいじゃねえか、生意気で。お前ならどうつくる?」
しまった、とアンリは少し前の自分の発言を後悔した。魔法器具がつくれることは明かさずに、初心者として一から魔法器具のつくり方を学んでみようと思っていたのに。
「いや、ええと。どうつくろうって思ったわけじゃないんですけど、なんとなく……他にもやり方があるかなと思って」
アンリが無理やり誤魔化すと、アランはつまらなそうに舌打ちしたが、トマリは納得したように「ふむ」と頷いて、それから元のとおりに、にこやかで人の良い笑みを浮かべた。
「そうかい、そうかい。好奇心旺盛なのは良いことだ。……そうだねえ、私は売るのが専門だから、つくるほうは疎いのだけれど。でも、つくり方がこれ一つじゃないことは知っているよ」
もっと効率良くつくる方法もある、もっと良い性能でつくる方法もある。それは知っているが、だからといってつくり方を様々取り入れてしまっては店の商品としては扱えないのだ、とトマリは言った。
「お客様はうちの店の、この形の、この性能の商品を求めてやって来る。そこに違うつくり方の商品が紛れていたらいけないんだよ。たとえそれが、より性能の良いものだったとしてもね」
もちろん良いものを追求することも大切だが、同じ品質の物を安定して提供することのほうが魔法器具の場合には重要だ、とトマリは言った。
「魔法工芸品のような観賞用の商品なら違うけれどもね。魔法器具の場合には、お客様はその機能を求めているんだから。いつでも同じ機能を提供できて、いつでも修理に応じられる。そんな商品でなければね」
たとえばアランは腕の良い職人だが、アランにしかつくれない魔法器具を大々的に売り出した場合、アランがいなくなったときに店も客も困ることになる。だから、基本的には店の職人なら誰でもつくれるような製品しか店には並べない。冊子には、そうした製品のつくり方が書いてあるのだ。
「もちろん魔法器具のつくり方は、ここに書いてあるのが全てではないよ。でも、うちの店で働く職人さんたちには、まずこの冊子に書いてある物のつくり方を覚えてもらうんだ」
なるほど、とアンリは深く頷いた。
実際のところ普段のアンリなら、この冊子に載っているような収納具のつくり方はしない。もっと効率的なつくり方を知っている。しかし誰にでもできる方法かと言われると自信がない。以前、防衛局の研究部で魔法器具をつくってみせたとき、研究員であるミルナに呆れた顔で「そんなつくりかた、アンリくんにしかできないわよ」と言われたこともあった。
おそらくアンリのつくった収納具では、トマリの言うような「いつでも同じ機能を提供できて、いつでも修理に応じられる」という条件を満たすことはできないだろう。
魔法器具製作は好きだし、得意だともアンリは思っている。しかし、もしも魔法器具製作の職人になるのなら、商品として店に並べられる物をつくるための修行が必要だ。本当に仕事にするつもりなら、今までのように好き勝手につくっているだけでは駄目だ。
「どうだい、魔法器具づくりに興味は持てたかい?」
改めて尋ねるトマリの言葉に、アンリは本心から深く頷く。魔法器具づくりが好きだからこそ、一から学び直す必要を強く感じていた。
もちろん、仕事にするのであれば、という話だ。
「……興味はすごくあります。でも、まだ卒業後の進路までは思い切れないので。もしも俺が魔法器具製作の道に進むことになったら、そのときにまた教えてください」
アンリがそう言うと、トマリは「まあ、そうだろうね」と笑いつつ、やや残念そうに肩を落とした。




