(26)
午後の仕事が始まって少しした頃、相談窓口にやって来た店員が、イヴァンの耳元で何事かを囁いた。それを受けてイヴァンはアンリたちを振り返り、にっこりと微笑む。
「ここでの仕事はこれまでにしよう。君たちは運が良い。面白いものが見られるよ」
どういうことだろうとマークとアンリは首を傾げながら、席を立ったイヴァンの後ろに付いていく。向かった先は、職業体験の初日にせっせと働いた倉庫のほうだ。しかし商品を探すのではなく、そのまま倉庫の中を通り抜けて、奥の扉から外へ出る。
扉の外は屋外で、細い通路になっていた。通路の奥には今出てきたのと同じように大きな倉庫がもう一つ。
ここだよと言って、イヴァンはその大きな倉庫の扉を開けた。倉庫かと思いきや、建物の中はがらんどうだ。広いだけの空間の中央にいくつか魔法器具らしきものが置かれていて、その周りに数人が集まっている。
いったい何の場に連れてこられたのか。状況が飲み込めずにきょとんとしたまま立ち止まったアンリとマークに、イヴァンが笑顔を向けた。
「これからここで、魔法器具の実演があるんだよ」
イヴァンによると、この建物は学園の訓練室のような構造になっていて、魔法器具の性能を試すのに使われているのだという。客が魔法器具を試したいと言ったときにも使う場所だが、今日の用途は別らしい。
「工房から新製品の売込みがあってね。ここで性能を見せてもらうことになっているんだ」
朝、今日が実演の日であることを知ったイヴァンは、アンリたちに見学させることができないかと担当者に相談したらしい。先ほど相談窓口にやってきた店員は、その回答を持ってきたというわけだ。
「まだ発売前の製品だから、本来は実習に来ているだけの君たちに見せるところではないのだけれどね。昨日は迷惑をかけたし、アンリ君には助けてもらった。だから、今回は特別に許可しようということになったんだ」
新作の魔法器具の実演を、間近で見ることができる。
アンリとマークは顔を見合わせ、二人で目を輝かせた。
最初に実演に供されたのは、財布型の収納具だった。
収納具は空間魔法と類似の機能により、見た目よりも多くの物を収納することのできる魔法器具だ。店頭の棚にも袋型から鞄型、箱型、棚型まで、様々な形の収納具が並んでいた。
新製品とは言うが、それほど珍しい物ではない。いったい何が「新」なのか。
「収納具など、今さら実演するほどの物ではないと皆様はお思いでしょう」
部屋の中央で、財布型の収納具を手に持った女性が言った。工房の職人らしく、薄鼠色の作業着を着ている。
「しかし今日お持ちした収納具は、これまでの物とは根本的に違うのです。それをご覧にいれましょう。まずは、従来の製品からご確認ください」
彼女はいったん財布型の収納具を下へ置くと、それよりも一回り大きい収納具を手に取った。鞄の中にも入れやすく、俗に「ポーチ型」と呼ばれる形のものだ。
「たとえばこのポーチ型の収納具。中の容量をクローゼット一つ分にまで拡大することはできますが、出し入れできるのはポーチの入口を通り抜けられる物だけです。旅行にたくさんの服を持って行きたいと思っても、これでは嵩張るコートや飾りの付いた靴などをしまうことはできません」
女性は足元の箱から大きく暖かそうな真冬用のコートを取り出すと、手の上のポーチ型収納具の口にそれを押し付けた。袖くらいならうまく押し込めばなんとか入るが、肩から襟の辺りに至ると、畳んでも、ぎゅっと押し潰すようにしても、いかんせん大きすぎてポーチの口には入らない。
「このように通常の収納具では、中の容量こそ使う魔力石次第ですが、入れられる物ひとつひとつの大きさは、収納具そのものの大きさによって制限がかかってしまいます」
いかに容量の大きい収納具とはいえ、入れられるのは、その収納具の入口よりも小さいサイズの物だけ。常識だ。アンリでも知っている。
ポーチ型の大きさなら、せいぜい身の回りの小物やら小さなアクセサリーやらを入れられる程度だ。容量によって大量に入れることはできるかもしれないが、ひとつひとつの大きさには制限がある。
「しかし私たちの開発した新しい収納具は、従来の収納具におけるこの『大きさ』の課題を解決いたしました」
女性はポーチ型収納具を下に置くと、新製品である財布型収納具を再び手に取った。ポーチ型よりもひと回り小さく、少額の硬貨や紙幣を持ち歩くときに使う一般的な財布の形をしている。入口は先ほどのポーチ型よりも小さく、普通なら、中の容量がいくら大きくても便利とは言えない製品のはずだ。
「口でご説明するよりも、まずはご自身の目でご確認ください」
そう言って、女性は先ほど使った冬物のコートをもう一度持ち上げると、財布型収納具の口に軽く当てた。
するとどうだろう。強く押し付けることも無しに、コートはするすると吸い込まれるように財布の中に収まっていく。
次いで女性は、足下の箱から靴を一足取り出した。厚底の革ブーツ。飾り気はないが、ゴツくて大きい。それを、手元の財布の口に当てる。もちろん、自然に入る大きさではない。
けれどもコートと同じく、ブーツも当たり前のように財布型収納具の中にするりと引き込まれるようにして仕舞われた。
「さて、ご覧いただいたとおりです。私たちの開発したこちらの収納具では、入口の大きさに関わらず、容量いっぱいまで荷を詰め込むことが可能です」
さらに女性は足元の箱からジャケットを取り出して財布に入れる。タオル、スカート、大きな耳飾り、旅行用バッグ。様々なものを出しては財布に吸い込ませ、最後には足元の箱そのものを持ち上げると、それさえ簡単に財布の中に収めてしまった。
「いかがでしょうか。この収納具さえあれば、今までのように、荷の大きさに合わせた鞄を用意する必要はなくなります。旅行の荷物は格段に減るでしょう。日常生活にも役立つことは間違いありません。……もちろん安全機能付きです。人間を含め、生き物は入れないようになっていますので、ご安心ください」
女性はおどけた様子で自身の手をぴたりと財布の口に当てる。彼女自身が財布の中に吸い込まれるということはなかった。
女性による魔法器具の実演は、収納具だけに留まらなかった。防衛局で使われている戦闘服を元に製作したという、防御力の高い旅装一式。既存の魔力灯をより一層明るく輝かせるという、魔力石を含めた取替部品。通信具に取り付けることで通信元からの音を大きく周囲に伝えることのできる拡声具。周囲の音を一定時間記録することのできる録音具。
そして最後に取り出されたのが、消費魔力の節約機能と照準補助機能を備えた魔法補助具だった。
「これまでの魔法補助具でも、魔力の節約機能によって通常では使えない規模の魔法を発動させることはできます。しかし慣れない魔法を使うにあたって、狙いが定まらないというご相談は少なくありません」
たとえば普段、自分の実力相当に火魔法くらいしか使わない人が、魔法補助具を使ったとする。多少勢いを増した火魔法を使う程度なら、普段と同じ感覚で使えるかもしれない。
しかし更に勢いの強い炎魔法を使おうとすれば、話は別だ。火魔法の延長線上にある炎魔法ではあるが、しっかり扱おうとすれば相応の技術が必要となる。普段火魔法しか使っていないのであれば、魔法補助具で魔力を補助したからといって、簡単に炎魔法を操ることはできない。強弱の調整に失敗したり、狙いを外したりすることになる。
そんな人のために通常の魔法補助具に照準補助機能を備えたのが、この新製品の特徴だという。
「通常の魔法補助具と同様の消費魔力節約機能に加えて、使用者が狙いを定めることを補佐する機能を備えています。では、こちらをご覧ください」
そうして女性はまず、なんの魔法器具も付けずに魔法を発射する。弱い水魔法だ。魔法はあらかじめ設置してあった丸い的の真ん中に当たる。次に新製品ではなく、通常の魔法補助具を付けて氷魔法を撃つ。水魔法よりも強い魔法だが、魔法は的を外れ、奥の壁まで飛んでいった。
最後に「新製品」を装着する。その状態で撃つと、ひとつ前に撃ったのと同じく強い氷魔法が、今度は丸い的の中央に吸い込まれるように当たった。
「以上で、本日の新製品紹介を終了します。お付き合いいただきありがとうございました。どうぞ、皆様もご自由にお試しください」
女性の言葉を合図に、店の従業員と思われる数人が魔法器具の周りに集まった。アンリやマークも近くに寄らせてもらう。
店の従業員たちは魔法器具を囲んでああだこうだと色々と物を言い、構造だとか、形や大きさの種類だとかを工房の職人に尋ねる。それからそれぞれの魔法器具を手に取って熱心に観察したり、実際に使ってみたりする。
新製品に対する心象は良いようで、工房の職人と店の従業員とのやり取りは和やかだ。アンリとマークの二人はそんな大人たちの外側から、覗くようにして魔法器具を眺めた。触れてみたい、使ってみたいという気持ちはあるが、さすがに職業体験に来ているだけの身でそんな高望みはできない。
ところが周りの大人たちはそうは思っていなかったらしい。大人しくしているアンリやマークを見て、イヴァンが軽い調子で声をあげた。
「君たちも使ってみなよ。今日までは一応、店の従業員なんだから」




