(25)
そうして迎えた職業体験三日目、最終日。アンリたちは朝から相談窓口に立つことになった。
とはいえもちろん、アンリたちに相談を受けるだけの経験や能力はない。基本的にはイヴァンが客の対応をするのを、後ろから見学していることになる。
直接窓口応対ができないのは退屈かもしれないが、それでも良いか。アンリたちは一応、イヴァンからそんな確認を受けていた。もしも接客をやりたいのであれば、前日のように会計窓口に立つ仕事でも良いがどうするか、と。
しかしアンリは値札を見て代金を受け取るだけの仕事に辟易していたし、なにより相談窓口の仕事に興味があった。前日の会計窓口でも客から相談されることは多々あったが、商品の場所を尋ねられるような簡単な問い合わせ以外は、たいてい相談窓口へと案内することになっていたのだ。案内した先で、その相談がどう処理されたのか。客の困り事に対して、店はどんな魔法器具を紹介し、どんな解決策を提示するのか。
そうした流れに興味を持ったのはアンリだけではないらしく、マークも期待に目を輝かせて「相談窓口が良い」と希望したのだった。
最初に窓口に来たのは、初老の男性だった。
屋根裏に鼠がいるようなので、鼠捕りがほしいと言う。しかしイヴァンが「それでしたら生活用品の棚に」と案内しようとすると、男性は、それでは駄目だと首を横に振った。
「棚はもう見ました。しかし、私が望むようなものは無いのですよ」
聞けば男性は、家で猫を飼っているらしい。普通の鼠捕りの罠では、猫が引っかかってしまうかもしれない。
「恥ずかしながら、鈍臭い猫でしてねえ……そもそも、鼠を捕まえることもできないし。家の中に罠なんて置いたら、きっと引っかかってしまう」
魔法器具による鼠捕りは、単純なつくりのものが多い。近くで動く小動物を察知して、動きを封じるための衝撃波を発生させたり、捕獲のための魔法を発動させるもの。あるいは床や屋根裏に設置して、その魔法器具の上を通った物を捕獲するもの。さらには餌のような形をしていて、飲み込んだ動物の動きを封じるものもある。
いずれにしても、棚に並んだ商品の中に、猫と鼠を区別するような機能を持ったものはない。飼い猫がうっかり罠に近づけば、ひっかかって捕らえられてしまうこともあるだろう。
「鈍臭いわりには、好奇心が旺盛でしてね。屋根裏や狭いところでも、見慣れない物があれば自分から手を突っ込んでいってしまいかねない。下手に罠なんて置けないんですよ」
男性は「やれやれ」と深くため息をつくものの、悲しげに嘆く様子はない。鈍臭いと口ではけなしてみせているが、実際は家族の一員として可愛がっているのだろう。出来の悪い子ほど可愛いということなのかもしれない。
「では少々お高くなりますが、より安全性に特化した魔法器具をご紹介しましょう」
そうしてイヴァンはカウンターの下から分厚いカタログを取り出すと、迷うことなく的確なページを開き、店頭の棚に並べていない商品の紹介を始めた。
小さな鼠にだけ反応し、犬や猫のように大きなペットには反応しないようにつくられた鼠捕り。あるいは自分のペットの情報を登録しておくことで、ペットには発動しないようになる魔法器具。逆に害獣の情報を登録することで、その獣のみを捕まえる魔法器具。
どれも店頭に並んだ普通の鼠捕りに比べると、十倍以上の値段がしている。
「受注生産ですが、今ご注文いただければ明後日にはご用意できますよ」
男性はイヴァンに示されたカタログの商品をひとつひとつじっくりと眺め、ときにイヴァンに商品の特徴や細かな仕様を尋ねた。そのうえで長い時間をかけて熟考し、ようやくひとつの商品の注文を決める。選んだのは、カタログに載っている鼠捕りの中でもかなり高価な部類に入るものだった。
「あの子の安全のことを思えば、多少の出費はやむを得ませんな」
そう言って、男性は爽やかに笑って帰っていった。
相談窓口に来るのは、商品を探している客だけではない。購入したばかりの商品の使い方の確認、以前に購入した商品の修理依頼、装飾用魔法器具の研磨依頼。
「明るさの調整でしたら、ここのつまみを回してください。右に回せば明るく、左に回せば暗くなりますよ」
「こちらの修理は、お預かりしてから五日ほどお日にちをいただきます。……申し訳ございませんが代替品の貸出は取り扱っておりません。類似の機能を持った使い捨ての魔法器具で代用される方が多いようですね」
「こちらのイヤリングは、周囲の魔力の濃度に応じて色や輝きを変える特性のある石を用いております。最初の色にお戻しすることはできますが、色の変化もお楽しみいただける要素の一つなんですよ。……ええ、それがよろしいかと思います」
客の要望を聞きながら、イヴァンはひとつひとつ丁寧に説明し、助言し、提案していく。
それがうまくいくのは、彼の高いコミュニケーション能力と、魔法器具に関する膨大な知識量ゆえだろう。
イヴァンの一歩後ろに立ってやりとりを眺めていたアンリとマークは、次の相談にイヴァンはどう対応するのだろうと、毎度ワクワクと胸を躍らせるのだった。
もちろん、イヴァンにも応えられない要望はある。
「特定の人にしか使用できない武器ですか。魔力をお持ちの方用であれば、特定の魔力に反応して使えるようになる武器というのはございますが」
「いや、それでは困るな。魔力を持っていない者もいるんだ」
客は傭兵団の一員で、団で使う武器を求めているのだと言った。盗賊対策で雇われることが多い傭兵団で、戦闘中にもし敵に武器を奪われても勝手に使われないように、仲間だけが使える武器がほしいと言うのだ。
「では、お仲間内で同じ魔力石をお持ちになるというのはいかがですか。特定の魔力石に反応して作動する武器であれば、ご用意がございます」
「……しかしそれでは、魔力石ごと奪われれば同じことだろう」
ずいぶんと慎重な客だ。万が一にも仲間以外に使われてはならないと考えているようで、イヴァンもこの注文には「ふむ」と唸った。
「それですと、身体的な特徴……たとえば手の大きさ、肌の色、目の色。そうした情報を元に特定の人物にのみ使用を許可する武器というものはございますが……」
「それだ、それが良い」
「しかし、使用できる人数に限りがございます。現状、最も多く使用者の登録ができる武器でも五人が限度です」
「それでは困る。我が傭兵団は総員三十人を超える。その誰もが使える武器が欲しいのだ」
そうでしょうね、とイヴァンも深く頷いた。
どうやらイヴァンにとって、この客とのやり取りは初めてではないらしい。イヴァンは話の内容以上に客の状況を把握しているし、客は無愛想ながらもイヴァンを信頼している様子の見える話し振りだ。きっと馴染みの客なのだろう。
「……テイバ殿には申し訳ございませんが、やはり現状、ご要望にお応えできる魔法器具はございませんね」
熟考の末にイヴァンが残念そうに首を振ると、客は諦めた様子で深くため息をついた。
「そうか。……こちらで駄目なら、きっと他の店にもないだろう。また、何か良い品の情報が入ったら教えてくれ」
そう言って、客は何も買わずに帰って行った。
イヴァンは丁寧に頭を下げて客を見送ってからアンリたちの方を振り返り「まあ、こういうこともある」と気まずそうに笑ったのだった。
こういうのはどうだろう、とアンリは昼休憩のときに自分の思いつきを口にした。
「特定の魔力に反応して起動する武器はあるんですよね? それなら魔力石のほうに、特定の条件下でしか使えない仕組みを入れておいて、その仕組みを仲間内で共有すればいいんじゃないですか」
合言葉を決めておく、あるいは突起を三回押すだとかの簡単な方法で良い。何かのきっかけがなければ使えないように魔力石を調整しておいて、その仕組みを仲間内だけで共有しておく。その魔力石の魔力に反応するように、武器を設定しておけば良い。
万全を期すならば、武器のほうに、使用者の手を離れて数秒で効果を失う仕組みを組み込んでおくのが良いだろう。こうすれば、起動後の武器が奪われて悪用される心配もなくなる。
さらに発展させるなら、そうした魔力石を武器の中に埋め込んでしまえば、いちいち魔力石と武器とを別に用意する必要もなくなるのではないか。
そんなアンリの思いつきに、イヴァンは興味深そうに耳を傾けていた。話が終わると「なるほどね」と面白そうに笑顔で頷く。
「たしかにそれなら、彼の意に沿う武器になりそうだな。技術的にも可能だろう。……しかし僕の知る限り、既製品ではそういう商品はないね」
「でも、工房に相談したらつくれるんじゃないですか?」
アンリの言葉に、イヴァンは肩をすくめた。
「できるかもしれない。でも、うちは基本的に、そうした工房へのオーダーの仲介はしないんだ。もちろん、良い商品が提供されるように、お客様からのご要望は定期的に工房にお伝えするけれども」
こんな物が欲しい、こんなことをしたい、こんなことに困っている……こうした客の相談に対してイヴァンたちができるのは、既存の品による解決方法の提案まで。既存の商品ではどうしようもない相談には、そのことを説明して諦めてもらうしかない。
「既製品でどうにもならない場合に、魔法器具を製作する工房に個別に依頼したいという方もたしかにいらっしゃる。けれど私たちが付き合いのある工房は、個人からの注文は受けないところがほとんどなんだ。だから、仲介はできない」
代わりに客から挙がった要望は、商品開発の助けになるようにと、まとめて工房に伝えることにしているのだという。結果として新商品が生み出されることもあるが、まるきり相手にされないこともある。そして商品化につながるにしてもたいていは、客の相談から月日が経ってのことになる。
「店に相談してくるお客様は、基本的には『今』その問題に対処する方法を探しているんだ。解決できる商品が一年後には開発されているかもしれません、なんて説明はできないさ」
だからこそ、工房における新商品の開発の可能性があったとしても、客に対する説明は「要望に応える商品はない」に尽きるのだ。多少歯痒く思うこともあるが仕方がない、とイヴァンは言う。
「アンリ君のアイデアは良いように思うけれど、店から工房に対してそういう提案をすることもほとんど無い。魔法器具の製作に関しては、工房の領分だからね」
店員が素人考えに思いつくようなアイデアには工房の職人ならすぐに気付く。むしろ工房ならば、それよりもさらに進んだ案を生み出すだろう。だから、その領分に店が手を出すことはない。店員が考えるべきは新しい魔法器具開発のことではなくて、既存の魔法器具をいかに上手く使うかだ。
そこまで説明してから、イヴァンは「でも」とやや面白がるように笑った。
「アンリ君は発想が柔軟だね。魔法器具は、売るよりもつくるほうが向いているかもしれないよ」
既製品の種類や使い方を勉強して客に勧めるよりも、客の要望に応じて新たな魔法器具に関するアイデアを練る。そのほうが向いているだろうとイヴァンに言われ、アンリは苦笑した。
イヴァンにはもちろん言わないが、元々魔法器具製作の経験のあるアンリにとって、そちらの方が馴染みのある考え方であることには違いなかった。




