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 その日の職業体験は、それで終了となった。


 男を捕らえた後の店員たちの対応は素早かった。防衛局に通報し、客を出口へ誘導して一時閉店の看板を掲げ、床に散らばった魔法器具を回収して点検し、棚やカウンターの傷も全て調べて被害状況を記録した。


 やがて防衛局の地区担当がやってくると速やかに男を引き渡し、現場にいた全ての店員が事情聴取に応じる。アンリやマークもいくらか事情を聞かれたが、子供だからか被害者だからか、話は簡単に終わった。


 店員たちが極めてテキパキと対応したため、被害の調査にはそれほど時間がかからなかった。それでも、全てが終わって再び店を開く頃にはイヴァンは疲れた顔をして「今日はもう終わりにしよう」とアンリたちに言ったのだった。


「二人とも、住んでいるのは学園の寮かい? 学園にも状況を説明する必要があるし、店の者に送らせるよ」


 せっかく体を動かして眠気を覚ますことができたアンリとしては、もう少し体験を続けたい気持ちもあった。

 けれどもイヴァンは帰らせるのが当たり前のような口振りだし、マークも早く帰りたそうな顔をしていた。そんななかで平然と「続けたい」などと言うのも気が引けたので、アンリも大人しく帰路につくことにしたのだった。






 その日の報告を受けた学園では、アンリやマークに予定通りに翌日も職業体験を続けさせるか、少し議論となったようだ。アンリは担任のレイナに呼び出されて意向を確認され、マークも自身のクラス担任といくらか話をしたらしい。


 ちなみにアンリに対するレイナの確認は、おざなりなものだった。呆れまじりに「君ならその程度は大した問題でもないだろう」と言って、形ばかり「それで、継続でいいね?」と確認しただけだ。確認方法に釈然としないところはあったが、職業体験を継続すること自体に不服はなかったので、頷くしかなかった。


 結果として、翌日も職業体験は継続することが決定された。


 当事者であるアンリとマークが、どちらも継続を希望したという点が大きかったらしい。マークがアンリと同様の問われ方をしたとは思えないが、本人が「続けたい」と言ったことは確かのようだ。

 アンリにとって、それは少し意外なことだった。






「継続で良かったの? 怖かったんだろ?」


 ちょうど夕食時に寮の食堂でマークを見つけたので、アンリは彼と食事を共にすることにした。マークは一日の疲れを顔に滲ませながらも、アンリの問いには笑顔で答える。


「怖かったよ。でも、今日のようなことが毎日起こるわけじゃないんだから」


「そりゃそうだけどさ」


「そんなことを怖がって途中で終わりにしたら、何もできなくなっちゃうよ。せっかく色々わかって面白くなってきたところなんだし、あと一日なんだから、最後までやりたいじゃないか」


 マークが第一に希望していた体験先は、魔法器具販売店ではなく防衛局戦闘部だった。彼にとって今の職業体験は、望んで選んだ場ではないはずだ。それでもその体験先に面白さを見つけることができたのは、彼がくさることなく前向きに取り組んだからだろう。


 彼の姿勢に感心して頷くアンリに対し、マークは首を傾げた。


「それよりも、アンリ君こそ良かったの? 平気そうにしていたけど、ナイフを向けられたのはアンリ君だし。怖くなかった?」


「俺は別に。ああいうのは……」


 ああいうのは慣れているから、と言おうとして、アンリは慌てて口を閉じる。普通の中等科学園生が、ナイフを向けられて脅されていることに慣れているはずがない。これは、言ってはいけない言葉だ。


「……ああいうのは、下手に怖がらない方が良いんだ。怖いと思っちゃうと、動けなくなるから」


「そんなこと、わかっていても怖くなっちゃうものだと思うけれど」


「そのあたりは……向き不向きじゃないかな」


 そのあたりは慣れだ、と言いそうになってすぐに言い換える。同級生との会話も意外と難しい。普段、ウィルや元魔法研究部の友人たちと話すときには感じない難しさだ。


「……怖くて動けなくなったとしても仕方ないよ。マークの言うとおり、今日みたいなことはそうそうあることでもないんだし」


「そうなんだけどね……本当は僕も今日のアンリ君みたいに、いざというときに動ける、人の役に立てる人になりたいんだ。でも僕、怖がりだからさ。とても、アンリ君のようにはなれる気がしないよ」


 マークの思い詰めたような言葉に、アンリは眉をひそめた。

 いざというときに怖がらずに勇気を持って動けることは、たしかに人の役に立つだろう。けれども、人の役に立つ方法は他にもあるはずだ。


「俺みたいになる必要なんてないよ」


 アンリは思わず、強く訴えるように身を乗り出して言った。


「別に、いざというときに動けることだけが人の役に立つっていうことじゃないだろ。マークにはマークのできることをすれば良いんだから」


「でも僕、魔法力もないし……」


 ひたすら後ろ向きなマークに対して、アンリはあえて笑いかける。


「前にも言ったけれど、マークには魔法力があるよ。そんなに悲観するなって。それに、かりに魔法力がなかったとしても、それが何だって言うんだ。たとえば俺たちはイヴァンさんが魔法を使うところを見たことないけど、あの人は、役に立たない人じゃないだろ?」


 昨日と今日の二日間だけでも、イヴァンにどれほど助けられたことか。丁寧に仕事を教えてくれて、わからないことにはすぐに答えてくれた。親身な接客は商品を売るための戦略かもしれないが、それでもイヴァンに「ありがとう」と心からの礼を言って帰っていく客は多かった。


 それは決して、イヴァンが高い魔法力を持っているからとか、強いからとか、いざというときに動けるからとか、そういうことではない。

 イヴァンの人柄。そして販売員という仕事への適性と経験に基づく能力によるものだ。


「それは、イヴァンさんはそうだけれど……」


「マークだって、マークに向いた仕事を見つけて経験を積めばいいんだ。マークなら絶対、皆から頼りにされる、人の役に立つ人になれる」


 二日間共に過ごして、アンリにも少しずつマークのことがわかってきた。自分に自信がなくて、ときに必要以上に自分を卑下することがある。けれどもそんなときを除けば、何にでも前向きに取り組んでいる。適性のある分野で努力すれば、きっと大成するだろう。


 そのうえ根が真面目で気遣いができる彼は、どんな場所でも周りに慕われるに違いない。能力と性格が合わさって、誰からも頼りにされる、彼が理想とするような人になれるはずだ。


「色々試して、マークにとって向いている仕事を探せば良いんだよ。今回の体験だって、そのための機会だろ? 明日も頑張ろう」


 アンリが強い調子でこう言うと、マークもようやく、少しだけ笑顔を見せた。


「うん、そうだね。……アンリ君が言うようなことができる自信はないけど。何にしても、あれこれ言う前に、まず目の前のやるべきことをすべきだよね」


 どうやらアンリの主張の全てが受け入れられたというわけではないらしい。マークにとって職業体験こそ「目の前のやるべきこと」で、それを頑張ろうというアンリの呼びかけには、素直に応じてくれたということだけのようだ。


 意外と頑固だなとアンリは呆れたものの、ひとまず今日のところは、彼に笑顔が戻ったことで良しとするとにした。

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