(15)
アンリがウィルと話すことができたのは、次の休み時間になってからだ。
しかし残念ながら「マーク・ガロ」に関する話はできなかった。アンリと共にウィルの席に集まった皆の興味は、どうやらアンリがぽろりとこぼした言葉のほうに注がれていたらしい。普段は控えめなエリックまでも、興奮した目をアンリに向けていた。
「ねえアンリ君。防衛局の職業体験で、隊長さんの魔法実演があるって本当?」
話題が話題だけに声を抑えるだけの配慮はあるようだが、話すにあたって教室の外に出るほどの余裕はなかったらしい。アンリにとってこれは、ほかの同級生たちには間違っても聞かれたくない話題なのだが。どうしたものかと首を捻ってから、アンリは言葉を選ぶようにして答える。
「ええと……うん、まあ。知り合いに聞いた感じだと、そうらしいけど」
「あ、ごめん」
「でもさ、防衛局の隊長の魔法って、どんだけすごいの?」
アンリの遠回しな言い振りに、エリックはこれが避けるべき話題であることに気付いたようだ。けれどもそれだけでは、ハーツの言葉を抑えるには足りなかったらしい。
アンリはため息をついて、周りに聞かれないよう声をひそめた。
「ええと……たぶん、魔法の威力で言えば、一番隊で二番目くらいなんじゃないかな」
一番隊の隊長はお飾りの役職ではなく、実力を伴った立場だ。規格外のアンリを除けば、一番隊で最も高い魔法力を有している。つまり、一番隊で二番目の実力者ということだ。
アンリの答えに、ハーツが目を輝かせた。話を控えようとしていたエリックまで、結局は興味津々という顔をしてアンリを見つめている。
仕方がないなと呆れつつ、アンリはほかの同級生たちに漏れないように、いっそう声をひそめて続けた。
「使える魔法の種類と器用さなら、隊長は隊で一番だよ。実演ではきっと、見応えのある魔法が見られる。……屋外でやるなら、この辺りからもちょっとは見えるんじゃないかな」
職業体験プログラムは研究部の体験カリキュラムと違って、このイーダの街中で行われることになっている。
おそらくは、国家防衛局のイーダ支部が拠点となるだろう。しかしイーダ支部で魔法実践を行うための訓練場や実験室は、隊長の魔法の魅力を存分に引き出すためにはやや狭い。
(訓練場内でできる範囲のことをやるっていうのが普通だけど……隊長なら、学園生を喜ばせるために街外れの屋外演習場を使うくらいのこと、やってもおかしくない。そうしたら、離れたところでも少しは見えるだろうし)
可能性を示唆しただけなのに、アンリの言葉に対する友人たちの反応は凄まじかった。エリックやハーツ、イルマーク、マリア。皆が期待にきらきらと目を輝かせている。更には何故か、屋内にせよ屋外にせよ魔法実演を見ることができるはずのウィルまでが、期待の眼差しをアンリに向けている。
「ということは、僕は屋外でないと披露できないような大魔法を目の前で見られるかもしれないってことだよね」
ウィルの喜びの声。それを期待していたのかと納得したアンリは苦笑しつつ「ま、可能性の話だけれどね」と肩をすくめた。
冷静になったウィルからアンリにとって必要な情報を聞き出すことができたのは、結局昼休みになってからだった。
「マーク・ガロ? 九組の生徒だね」
アンリがその名前を出しただけで、ウィルはあっさりとクラスを言い当てた。
「大人しくて目立たない生徒だったはずだよ。でも九組にしては魔法が上手いんだ。こないだの、防衛局の職業体験の選考試験にも出ていたよ」
ウィルからの意外な情報に、アンリは「えっ」と声をあげる。
つまりマークは最初から魔法器具販売店を希望していたわけではなく、防衛局戦闘部の職業体験に行き損ねて、この体験先に決まったということのようだ。
「じゃあ、魔法器具に興味があるっていうわけじゃないのか」
「それは本人に聞いてみたほうがいいよ。戦闘部が駄目だからといって、急に魔法使用無しの体験を選ぶというのも珍しいように思うし。どちらにも、それなりに興味があるということかもしれない」
なるほどと頷くアンリに対し「魔法のことならアンリも覚えているんじゃないか?」とウィルが情報を付け足した。
「マークは選考試験のときに、すごく上手に水魔法を使っていたよ。水魔法を、全て的の中心に当てたんだ」
それなら覚えがあると思って、アンリは大きく頷いた。
三十人ほどいた受験者たちの中でも、ひときわ丁寧に魔法を使った男子だった。魔法の正確さだけで言えばウィルに匹敵するほどだ。しかし魔法の威力が弱かったので、結局戦闘部の職業体験に選ばれることはなかった。
「その人なら覚えてる。もったいないな、あんなに魔法が上手いのに。防衛局が駄目だったからって、魔法を使わない体験先を選ぶなんて」
「……それ、アンリが言う?」
ウィルの言葉の意図をすぐに理解することができず、アンリは首を傾げかけた。アンリが魔法を使う職業体験を選ばなかったのは、アンリにとって魔法を使う仕事が今更だからだ。もったいないという表現は当てはまらない。
しかしアンリもすぐに、ウィルの言わんとすることを理解して苦笑した。
アンリにどんな事情があるかは、はたから見る限りではわからない。事情を知らぬ人はアンリのことも「もったいない」と思うだろう。事実、担任のレイナからはそのようなことを言われている。
「マークにも何か事情があるのかな」
「そこまでは僕も知らないよ。どのみち近いうちに挨拶に行くんだろ? 下手に先入観を持たずに、本人に聞いてみるといいんじゃないか」
ウィルのありがたい助言に礼を述べたアンリはさっさと昼食を済ませ、昼休みの残り時間で九組のマーク・ガロに挨拶に行くことに決めたのだった。
マーク・ガロとひと言ふた言話したアンリは、改めて「もったいない」と思った。
「つまりマークは、こないだの選考試験で駄目だったからって、魔法を使う仕事は諦めようと思っているってこと?」
アンリが確認のために問いかけると、マークは気圧されたように気まずそうな顔をしながらも、小さく震えるように何度か頷いた。
「ぼ、僕、あんまり魔力を貯められなくて、強い魔法が使えないんだ。それでも頑張ろうって思った時期もあったけど……やっぱりこんなんじゃ役に立たないって、こないだの選考試験でも思い知ったよ。だから……その……いっそのこと、魔法なんて使わないほうが良いんだろうと思って」
それで魔法の使用機会が無い、むしろ魔法の使用が禁じられてさえいる職業体験を選んだのだと、マークはしどろもどろに言った。魔法士としてではなく魔法を使えない人間として生きていく道を、これから探すつもりだと言う。
「えっと……魔法器具のことも正直、詳しくはないんだ。もちろん日常使っているものくらいなら多少はわかるけど、それだけで……。で、でも、アンリの足を引っ張らないように頑張るよ」
弱々しくも決意を込めて語るマークを前に、アンリは心中でため息をついた。
これでは本当にもったいない。マークは自身の魔法の実力に気付かずにその道を諦め、たいして興味も持っていない道を選ぼうとしているのだから。アンリは今回の体験先を選ぶにあたって担任のレイナに呼び出されたが、彼にはそうやって説得してくれる人はいなかったのだろうか。
「……ねえ、マーク。俺はあの選考試験を見ていたけれど、君の魔法はとても良かったよ。たしかに威力はなかったけど、すごく正確な魔法だった」
せめてひと言伝えておこうと思ってアンリがそう言うと、マークは気弱な微笑みを見せた。
「ありがとう、一組の君にそう言ってもらえると嬉しいよ。……でも、どんなに正確さを磨いても、威力が出せないと、やっぱり使えないからさ」
「使えないなんてことはないと思うけど」
アンリの反論にも、マークは弱々しく首を横に振る。どうやら魔法を諦めなければならないというマークの考えは、相当凝り固まってしまっているらしい。
一方アンリは、威力の小さな魔法しか使えずとも活躍している魔法士の存在を知っている。だからこそマークを説得したいという思いがあるのだが、問題はそうした魔法士たちが、アンリにとって防衛局の知り合いばかりということだ。防衛局の戦闘職員という身分を隠しながら、そうした実例を説明するのは難しい。
説得できるはずの材料を持っているのに、説得には使えない。アンリにとっては歯痒い限りだ。
(……どうやって説得すべきか、ウィルに相談してみようかな。どのみち今更体験先を変えることはできないんだし、急ぐことはない)
マークが最終的に将来の進路を決めてしまう前にはなんとか説得したい。けれども、職業体験前でなければならない、ということはないはずだ。
そう考えて、アンリはこの場で説得することを諦めた。「何はともあれ、来週の体験ではよろしくね」とアンリが握手を求めると、マークはほっとした様子でアンリの手を握り返す。
「もう来週なんだね。それまでに、少しは魔法器具のことを勉強しておくよ。よろしくね」
「根を詰めすぎないようにね。俺も魔法器具に興味があるとはいえ、販売店で働くなんて初めてだから。一緒に頑張ろう」
今度のアンリの言葉には、マークも大きく首を縦に振ったのだった。




