(9)
三十人のうち、最後の二人となったアイラとウィルの魔法実技は、圧倒的だった。
試験順は成績やクラスに関係なく、くじで決められているので、成績上位の二人が最後の実技になったのは偶然だ。しかし、もしもこの二人が先に魔法を実演していたなら、もしかすると他の生徒の何人かはやる気を削がれて棄権してしまっていたかもしれない。
そう思えるほどに、二人は完璧だった。
まず先に、二十九人目として魔法の実演に立ったのはアイラだ。自分の順番になったアイラはいつも通りの澄ました顔で印のところに立つと、的に向けて腕をあげ、試験開始の合図を待った。アイラが実力者であることは誰もが知っているので、見学者は全員黙り込んで、アイラの手元を注視する。
訓練室の静寂を破る試験開始の合図。その直後、十個の的は瞬く間に燃え落ちていた。
燃え落ちた的は全て、灰になって床に散らばった。的としての形は一切残らない。先ほど二組のレオ・オースティンが放った魔法とは、威力が明らかに違った。
「そうそう、あれが炎魔法だよ」
皆が唖然として静まり返った中での発言だったので、アンリののんきな声は、訓練室に思いのほかよく響いた。隣からマリアがじとりと睨んでくるし、試験を終えた生徒たちの中からも鋭い視線が感じられて、アンリは「しまったな」と口を閉じる。しかし、言ってしまったことが戻ってくるわけでもない。
視線を耐えて、アンリは首をすくめた。だがそんな時間は、そう長くは続かなかった。
アイラの魔法実演が終わってすぐに、ウィルの試験の順番になったからだ。
的が立て直されたのを確認したウィルは、気負うことなく待機スペースから出てきて、印の位置に立った。的に向けて腕を掲げる。
ウィルの実力は、アイラほどに知れ渡っているわけではない。それでも先ほどのアイラの実演の直後だからか、皆、静まりかえってウィルの動きに注目していた。
やがて、開始の合図が鳴った。
ほとんど同時に、ドドドッと大きな音が響く。ウィルの氷魔法が、的を穿つ音だ。端から順に、間髪入れずに的が落ちていく。全ての的を落とすのにかかったのは、ほんの一、二秒だろうか。
落ちた的を見ると、太めの針のように成形された氷が、的の中心を射抜いている。十個の的全て、寸分の狂いなく、ど真ん中に氷が突き刺さっていた。
(そういえば今朝の訓練でも、真ん中に当てたがってたっけ……)
魔法の威力ではアイラに敵わないと思って、正確さで勝負することにしたのだろう。
ウィルのことだから、正確さが点数に入らないことはわかっていたはずだ。それでもやったのは、点数でなくてもどこかでアイラに勝りたいと思っているからに違いない。負けず嫌いのウィルらしい。
試験終了の合図を待って、ウィルは満足げに、堂々と元の待機スペースへ戻った。
静まりかえっていた見学者たちも、試験が終わるに至ってようやくざわつき始める。
「すごいなあ、ウィリアムのやつ……」
「アイラ・マグネシオンと比べても遜色無いんじゃないか」
「いやいや、さすがにアイラほどじゃないだろ」
(……いや)
周囲の言葉に、アンリは心の中だけで反論する。
(今回のアイラは正確性より威力重視だったから、正確さだけなら、ウィルの方が上だ)
口に出して、またマリアからとやかく言われるのはごめんだ。だから口には出さないが、アンリから見て、今日の二人の魔法の正確さを比べれば、ウィルに軍配が上がるのは明らかだった。
ウィルの氷魔法は、全てが綺麗に的の中央を射抜いている。
一方でアイラの炎魔法では、的の真ん中に当たったものは少なかった。掠るだけでも的を燃え上がらせる威力があるのだから、アイラ自身、中心など狙わなかったに違いない。
アイラが勝負をしなかったところにウィルは力を注ぎ、そして勝った。ずるいと言う者もいるかもしれないが、勝ちは勝ちだ。
(うかうかしていると、俺もいつかウィルに負かされるかもしれない……)
いつだったか模擬戦闘でアイラに負けたことを思い出して、アンリは顔をしかめた。
全員の試験が終わり、訓練室内は受験者と見学者とが混ざってがやがやと賑わい始めた。
「お前、意外とやるなあ」
「もうちょっとがんばれただろ」
「いつの間にそんなに魔法の腕をあげたんだ」
見学者からの勝手な言葉に、試験を終えて気楽になった受験者たちが苦笑して、あるいは得意げに笑いながら応じる。アンリもほかの同級生たちと同じく、ウィルに駆け寄って「おつかれさま」と声をかけた。
「すごかった。いつの間にあんな氷魔法を使いこなせるようになったんだよ」
「使いこなしているわけじゃないよ、今日はたまたま上手くいっただけ」
たまたまで射貫くことができるのは、十個の的のうちせいぜい五個か六個まで。十個の的すべてのど真ん中を射貫いたのは、明らかにウィルの実力だ。きっとアンリに隠れて特訓でもしていたのだろう。
「謙遜しなくてもいいだろ。少なくとも、アイラよりも正確だったよ」
「ほんとに?」
アンリの言葉に、ウィルは嬉しそうに顔を輝かせた。やはり努力を認めてもらえるのは嬉しいのだろう。それ以上謙遜する様子は見せず、素直に喜んでいる。
「ふんっ」
そんなウィルの喜びに、誰かが後ろから水を差した。
「えらっそうに。どうせ自分は試験を受けるだけの自信がなかったんだろ」
振り返れば、そこにはアンリを睨む一人の男子生徒の姿。先ほどの試験において火魔法で素速く的を撃ち落とした二組のレオ・オースティンだ。
その言葉はどうやらウィルにではなく、アンリに向けられているようだった。
「そのくせ口だけ出して。何様のつもりだ」
「…………」
憎しみさえこもっているかのような視線に対し、アンリはただ唖然として見返すことしかできなかった。そんなアンリの反応さえ気に入らないのか、レオは目をいっそう鋭く細めて、舌打ちまでする。
「言い訳も思いつかないくらいなら、最初から何も言うんじゃねえよ」
それだけ言うと、レオは踵を返した。友人に声をかけられることも、誰かに声をかけることもなく、真っ直ぐに出口に向かう。
「……俺、あいつに何か悪いこと言ったっけ」
アンリが呆然と呟くと、ウィルが呆れたようにため息をついた。
「さっきのアイラの魔法のときのじゃないか。『あれが炎魔法だ』って、彼の魔法と比べていたんだろ? こっちにまで、ちゃんと聞こえてたよ」
「そ、そんなに大きな声出してないだろ」
「周りが静かだったからね。アンリって、本当に不用心というか……これに懲りたら、口には気をつけなよ」
エリックやマリアに引き続きウィルにまでこんなことを言われて、アンリには「気をつけます」と頷くことしかできなかった。
「それで、誰が合格すると思う?」
ウィルが興味津々にアンリに尋ねたのは、寮の部屋に戻ってからのことだった。きっと皆の前でアンリがまた迂闊なことを口走らないようにと、気を遣ってくれたのだろう。
「僕はどうだろう。威力と速さ、足りていたかな」
「ウィルは大丈夫だよ。そもそも戦闘魔法を使ったのがウィルとアイラしかいなかったんだから」
今日試験を受けた一組の生徒の中には、戦闘魔法を使える者もいる。しかしおそらく、的当てに使えるほどの水準にはまだ達していないのだろう。試験で戦闘魔法を使ったのは、ウィルとアイラだけだ。
「でも威力だけじゃなくて、速さも評価の一つだろ?」
「それにしても、アイラの次に速かったのはウィルだよ。あと、さっき何か言ってきた奴かな。あいつはウィルと同じくらい速かった」
見学者たちが炎魔法と見紛うほどの、威力の強い火魔法で的を落とした男子。魔法の威力や難易度では戦闘魔法を使ったウィルに劣るものの、全ての的を撃ち終えるまでの速さは、ウィルと同程度だった。
もしかすると三人目は彼かもしれない、とアンリが思うほどだ。
「二組のレオ・オースティンだね」
「知っているの?」
アンリは見学の時に、イルマークから教えてもらったのでその名前を知っている。しかしウィルはその話を聞いていなかったはずだ。元からの知り合いだろうか。
首を傾げるアンリを前に、ウィルはため息をついた。
「アンリ、もう入学してから一年経つんだ。同じ学年の人たちの名前くらい、覚えられるだろ」
「えっ、嘘だろ……そういうもの?」
当たり前だ、とウィルは深く頷いた。
一クラス三十人、十クラスで三百人。とてもではないがアンリには覚えられる気がしない。そもそもこれまでの人生の中で覚えた人の名前を数えても、三百人には至らないのではないか。クラスの人の名前を覚えるだけで精一杯だ。
「うぅ……人の名前を覚えるって、苦手なんだよ。でも、ウィルがそう言うなら……」
ウィルが言うなら努力しよう、そう言いかけて、アンリは言葉を止めた。
何事につけても常識人のウィルだが、ただ一つ、常識外れな点がある。それは並外れた記憶力だ。どんなに複雑な森の道でも、一度通れば覚えられるだけの記憶力がウィルにはある。
記憶力に関してだけは、ウィルの常識を信じてはいけないのだ。
「……が、頑張ってみるけど、あんまり期待しないで」
自信の伴わないアンリの言葉に、ウィルは「仕方がないなあ」と大袈裟に肩をすくめてみせる。
そんなウィルの仕草を見て、アンリは苦笑しつつ、この件に関しては後でエリックに確認しようと心に決めていた。




