(7)
朝。授業が始まる前の、学園の中庭。
いつもアンリが一年生三人に魔法を教えているその場所に、今日は二人、新たなメンバーが加わっている。
一人はテイル、アンリの元クラスメイト。アンリは週に二回、今日のように一年生に魔法を教えているが、それ以外の日の朝はテイルと寮の近くを走るのが習慣になっている。
そんなテイルから、アンリは最近相談を受けていた。二年生になって魔法実践の授業が始まったが、どうしても上手く魔法を使うことができないという。どんな練習をしたら魔法ができるようになるだろうかと暗い顔で呟く彼を、アンリは「じゃあ一緒に訓練してみる?」と気軽に誘ったのだった。
もう一人はウィル。普段からアンリは寮の部屋で、ウィルの魔法訓練に付き合っている。
けれど魔法工芸部に貢献しようとするウィルの思いを聞いてから、それだけでは済まないとアンリが思うようになったのだ。ウィルが望むのであれば魔法訓練の機会を増やそうと、朝の訓練に誘った。それにウィルが、目を輝かせて応じてきたというわけだ。
特に今日の夕方、ウィルは職業体験プログラムの参加者選考試験を控えている。中庭でのこの特訓は、試験対策の最後の仕上げという意味もあるのだ。
「コルヴォとサンディとウィリーは、いつもの訓練で。テイルもやり方を教えるから、同じことをやってみるといいよ」
アンリの指示で、一年生の三人は「よしきた」とばかりに空中に水の球を浮かべた。
訓練を始めた最初こそ大きさも形も不安定な球しかつくれなかった三人だが、最近では、綺麗な水球を浮かべることができるようになってきている。特に今日は、新しく参加することになった先輩に良いところを見せたいという気持ちもあるのだろう。いつもよりも、いっそう気合いが入っているようだ。
三人が一斉に水球を浮かべたことに、テイルがぎょっとした顔を見せる。
「魔法の訓練……だよな?」
「授業に比べると地味だけどね。水魔法で、魔力制御の練習をしているんだ」
水魔法で拳大の水球を浮かべ、それを維持する訓練。地味だが、初心者が魔力制御を鍛えるにはちょうど良い。
そう説明すると、ようやくテイルの顔に納得の色が浮かんだ。
「俺も、それをやれば少しは上達するかな」
「たぶんね。とにかくやってみよう」
そうしてテイルも一年生三人の横に並ぶ。つくった水球の不安定さは、最初の頃のコルヴォたちを見ているかのようだ。この訓練の先輩であるコルヴォたちが、横から助言やら励ましやらで口を挟みはじめる。
これなら近いうちにコツを掴むだろう。そう思って、アンリはウィルに向き直った。
「さて、ウィルはどうしようか。試験ってどんなだろう。模擬戦闘でもしておく?」
「試験の内容はわからないけれど……でもアンリ、ここで戦闘なんてして良いの?」
ウィルが辺りを見回した。観賞用の草木が丁寧に剪定されていて、池には鯉が泳ぎ、休憩用のベンチと暗い時間帯のための魔力灯が配置されている。もちろん防護壁はない。
模擬戦闘などしたら、景観を損なうかもしれない。先生にも怒られるだろう。
「ここで戦闘はまずいよ。それにさ……」
そう言ってウィルは、一年生三人の横に並ぶテイルの方へちらりと視線を向けた。声を落とし、アンリにだけ聞こえるくらいの小声で続ける。
「テイルって、アンリの本当の魔法力は知らないんだろ? あんまり派手なことはやらないように、気を付けないと」
そう言われて、アンリはハッとした。
一組になったことで、テイルや一年生たちからは、魔法力が高くても当たり前と見られるようになってきた。特に一組の中では、魔法実践の授業でちょっとやり過ぎたときがあったために、アンリの魔法力がある程度高い水準にあることが衆知の事実になりつつある。
しかし、それでも皆の認識の中では、まだアンリの魔法の実力は、中等科学園生の力の範囲内のはずだ。多少やりすぎることがあっても、それ以上の魔法力は見せていない。
アンリの魔法力が学園生のレベルを悠に超えていることを知っているのは、ウィルを含む元魔法研究部の仲間たち、そして後輩の中でもコルヴォとサンディの二人だけ。
今、この場にいるメンバーで言えば、テイルとウィリーには、あまり高すぎる魔法力を見せてはいけないのだ。
ウィル相手の模擬戦闘だけなら、そこまで高い魔法力が必要になるとは考えにくい。けれども万が一を思えば、アンリが積極的に魔法を使うのは避けた方が良いだろう。
「……そうだな。ええと、的当ての訓練でもしようか」
そうしてウィルは、水魔法による的当ての訓練に勤しむことになった。
そろそろ教室に生徒が増えてきた、というところで一年生三人とテイルとは、訓練は終わりにすることにした。途端にテイルが、服が汚れることも構わずに地面にへたり込む。
いつもこんな訓練をやっているのかと、テイルは呻くように言った。
「走るより、よっぽどキツい……」
一年生三人はもう訓練に慣れっこになっていて、今日のテイルほどに疲れた様子を見せることはない。初めてだからこそのテイルの反応は、久しぶりで懐かしいものだった。
テイルを励まそうと、アンリは横に座って彼の肩を叩く。
「何回かやれば、疲れなくなると思うよ。そもそも魔法って、体力使うものじゃないし」
「え、そうなの……嘘だろ……」
テイルが空を仰ぐのを見て、一緒に訓練していたコルヴォが笑った。
「俺も最初はそうでした。でもアンリさんの言うとおり、何回かやっていればそんなに疲れなくなりましたよ」
「コルヴォったら、嘘ばっかり。息を切らさなくなったのって最近じゃないの。『何回か』なんてことないでしょ」
すかさずサンディがコルヴォの言葉をただす。本当に、とウィリーが苦笑してその言葉に乗った。
「少なくとも、体力を使わないなんて未だに信じられないです。僕は朝のこの時間だけで、一日分くらい疲れます……」
そんなに疲れることをさせているつもりはないのだけれど、とアンリは肩をすくめる。それから改めて、まだ息を整えている真っ最中のテイルに目を向けた。
「どうする? この訓練、今後続けてみる?」
今日のテイルの参加は、お試しのようなものだ。一度やってみて、テイルが今後も続けたいと思うなら続ければ良いし、そうでなければやめれば良い。
テイルの趣味はランニング。朝、アンリとともに走らない日にも、テイルは一人で、あるいはルームメイトと一緒に寮の周りを走っているはずだ。その予定をふいにしてまで参加する価値が、この訓練にあると思えただろうか。
「そうだな。けっこう疲れるけど……でも、これをやれば魔法ができるようになるんじゃないかって気はした。アンリたちさえよければ、今後もお願いしたい」
こうしてテイルも本格的に、朝の魔法訓練の仲間に加わったのだった。
座り込んだテイルや一年生三人とアンリがそんな話をしている頃、ウィルも訓練を終わりにして、訓練に使った的をしげしげと眺めていた。その様子に気付いて、アンリは立ち上がってウィルの傍へ歩み寄る。
「どうしたの、ウィル。的がおかしい?」
「いや……水魔法だったからさ。的のどこに当たったのかがわからなくて」
的はアンリが土魔法で作り出した、掌くらいの大きさの円盤だ。木魔法で作った棒を挿して、中庭にいくつか立ててある。それをウィルが、離れた場所から水魔法で狙い撃ちする訓練だった。
水魔法には形がなく、的に当たればすぐに崩れる。よほど勢いがないと的に傷をつけることもないので、後から見ても、的のどこに魔法が当たったのかはわからない。
しかし、そもそも掌くらいの大きさしかない的だ。ウィルが的に当たったことに満足せず、的のどこに当たったのかを気にしていることにアンリは驚いた。
「この大きさなら、当たれば十分だろ。当たる位置までわからなくても」
「でもきっとアイラなら、氷魔法でど真ん中を撃ち抜くだろう?」
「……たしかにアイラなら、針くらいの細い氷で的の真ん中を狙うくらい、やるかもね」
「僕もそのくらいできるように練習したいんだ。ここで氷魔法を使うのは危ないからやらないけど、せめて水魔法でも、的のどこに当たったのか確かめられるようにしたい」
普段から穏やかに見えるウィルだが、意外と負けず嫌いだ。魔法力でアイラに敵わないことを認めつつ、それでも負けたくないと、日頃から彼女を目標に訓練を重ねている。
ウィルの言葉に、アンリは少し考えてから「わかった」と頷いた。
「こういう即席の的じゃなくて、ちゃんとした訓練用の的を用意するよ。俺が普段、訓練で使っているやつ。攻撃の当たった位置を記録できるんだ」
「え……いや、なんかその。いいの? アンリが使っている設備って……その」
「大丈夫。防衛局で使っているやつを真似て、俺がつくるだけだから」
いくらウィルのためとはいえ、さすがに防衛局から備品を持ち出してくることは難しい。だが、防衛局の訓練場で使っている的は、一種の魔法器具のようなものだ。材料さえ揃えれば、アンリでもつくることができる。
「次の訓練には用意するよ。ウィルも朝の訓練、続けるだろ?」
今日のこの訓練には、職業体験プログラムの参加者選考試験に向けた最終調整の意味もある。しかしアイラにも対抗したいと意気込むウィルが、試験対策だけで満足するとは到底思えない。
やるならとことん付き合おう。そう思ってアンリが誘うと、ウィルは「よろしく」と頷きつつも、苦笑して付け足した。
「ここは一応人目もあるからさ。……やり過ぎないように、気をつけてね」
訓練するのはウィルなのに、なぜアンリに気をつけろと言うのだろうか。
内心で首を傾げつつも、アンリは「わかった」と笑顔で頷いた。




