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(5)

 教員室横の指導室。

 クラスの担任であるレイナの前で、アンリは椅子に腰掛けたまま途方に暮れて項垂れていた。


「それで。これはどういうことかな、アンリ・ベルゲン」


 これ、と言ってレイナが指し示すのは、昼間、アンリが提出した職場体験プログラムの申込書だ。他の同級生たちと一緒にまとめて提出したはずなのに、なぜ自分だけが呼び出されているのか。アンリには理解できなかった。


「どう、とは……。何か、間違っていましたか」


 おどおどとしたアンリの態度に、レイナは自らの言葉が不十分であったことに気付いたらしい。「すまない」と一言謝罪すると、最初よりも幾分か穏やかな声で続けた。


「間違っているわけではない。記入方法や提出時期に問題はなかった。だが私には、君がこの内容で提出してきたことが不思議でね。なぜこの事業所を選んだのか、教えてもらえるだろうか」


 注意事項は読んだのだろう? と念を押すレイナに対し、アンリは深く頷く。


「もちろん、内容は読みました。興味があったから申し込んだんですが……ウィルにも言われたんですけど、そんなに変ですか、魔法器具販売店の職業体験って」


 アンリが選んだ職業体験は、魔法器具販売店における販売業、つまり店員の仕事だ。アンリには魔法器具を製作した経験ならあるが、販売した経験はない。経験がなく、興味を持てる仕事……魔法器具販売店の店員という選択肢は、職業体験の行先として最善だとアンリには思われた。


 それなのに選んだ瞬間からウィルには胡乱げに見られるし、提出すればこうしてレイナから呼び出しをくらう。いったい何がだめなのかと、アンリは途方に暮れるばかりだ。


「魔法器具に興味があるなら、魔法器具製作工房でも良いのではないか?」


「魔法器具製作は……ええと、知り合いに工房の人がいるので、わざわざ職業体験で行くほどではないかなと思って」


 まさかレイナに対して「自分でよくつくっているから」などと言うわけにもいかない。慌てて「知り合い」を捏造して誤魔化したが、レイナは不自然とは感じなかったようだ。「なるほど」と難しい顔をしながらも頷いた。


「それならたしかに、工房に行く必要はないだろう。……しかし、販売店か。君の魔法の技術力を思うと、少々勿体ないように思うのだが」


 勿体ない……その言葉が出てきたことで、アンリはようやく、ウィルやレイナがアンリの選択の何を不服としているのかに思い至った。


「……つまり先生は、俺が『魔法の使用機会なし』っていう事業所の体験に申し込んだから、気にしてくれているんですか?」


「その通りだ。君は、その高い魔法力を生かす仕事を体験したいとは思わなかったのか」


 逆に問い返されて、アンリは中途半端な笑みを浮かべつつ、視線を逸らせ、なんと答えたものかと考えを巡らせ始めた。





 職業体験プログラムの受入事業所一覧には、事業所の名前と場所、業務内容のほか、プログラムの概要と注意事項とが記載されている。


 アンリの申し込んだ魔法器具販売店のプログラム概要には「商品販売」としか書かれていない。そしてそれよりも多くの文字数を使って「魔法技術のレベル不問。魔法の使用機会なし。魔法の使用禁止」と、くどいほど強調された注意事項が記載されていた。よほど学園生に魔法を使わせたくないらしい。


 募集人員は五人。他の事業所と比べても平均的な人数だが、果たしてこの内容を見て申し込む魔法士科学園生は何人いるだろうか。


 ちなみに魔法の使用機会がない、あるいは魔法技術のレベルを不問とする職業体験はほかにもいくつかあって、魔法の苦手な学園生や魔力放出困難症で魔法を使えない学園生の需要に応えるために用意されているのだという。


「こうした事業所に一組の魔法に長けた生徒が応募することは、想定していなかった。申し込むのが駄目ということではないが……本当に、ここで良いのか?」


 レイナが深刻そうに言うので、アンリは前日の選択を少しだけ反省した。ここまで不審に思われるとは、想像もしていなかった。とはいえ考え直してみても、これ以上に良い選択があったとも思えない。


 とすれば、ここで選択を変えるよりも、この体験先が最善だと思っていることをウィルやレイナに理解してもらったほうがよいだろう。特にレイナは、真剣に話せば真摯に受け止めてくれる人だ。


 そう考えて、アンリは口を開く。


「……俺、今まで魔法が使えることが当たり前だったんです。だから、魔法を使わずにどんなことができるのか、興味があります。魔法の使用機会がないというのは、俺にとってはむしろ意味のあることです」


 戦闘職員としての仕事でも魔法器具製作でも、アンリはいつも魔法を使っている。日常生活の中でも、なんだかんだと魔法を使う機会は多い。アンリにはいまいち、魔法を使わない生活というのが想像できないのだ。


 もちろん世の中には、もともと魔法を使うことができない人も多い。だから魔法無しでも生活はできるし、仕事もできる。


 しかし理屈ではわかっているものの、実感として、アンリには魔法なしの生活がどういったものなのかがよくわからない。


 魔法の使用機会がない。それどころか、魔法の使用が禁止とまで言われる仕事。それを体験すれば、少しは魔法を使わない生活というものを知ることができるのではないか。アンリはそう考えたのだ。


 レイナはアンリが魔法不使用の事業所を選んだことを勿体ないと言うが、むしろアンリにとっては「魔法の使用機会なし」という注意事項こそ、この事業所を選ぶ決め手だったのだとさえ言える。


「だから俺、この仕事が良いと思ったんです。ええと、こういう選び方は駄目ですか」


「いや、駄目ではないが……」


 アンリの言葉を聞いたレイナはやや俯いて、考え込む様子をみせた。アンリの説明に妥当性があるか、その選択を認めるべきか、考えているのだろう。


(……やっぱり、もっと普通のところを選んだ方がよかったのかな)


 自身の選択がこれほどレイナを困らせるなどと思っていなかったアンリは、迷い始めていた。魔法器具販売店が良いとは思ったが、強くこだわるほどではない。レイナをこんなに悩ませるくらいであれば、今からでも、ほかの事業所に変えた方が良いのではないだろうか。


 ほかに選ぶとしたら、どの事業所が良いだろう。もう悩むのも面倒なので、やはり防衛局戦闘部で出してしまおうか。

 しかしアンリがその選択肢を口に出す前に、レイナが改めて顔を上げた。


「……本来的には、職業体験では、将来の自分の仕事を見据えて体験先を選んでほしいと思っている。君は魔法を使わない仕事に興味があると言うが、将来、魔法を使わない仕事に就きたいわけではないだろう? それなら、魔法を使う仕事を選んで体験するのが筋だ」


 やはり駄目ということらしい。ウィルには悪いが……とアンリが今度こそ体験先の変更を申し出ようとしたところで、レイナは「だが」と続けた。


「君には君なりの考えがあって今回の事業所を選んだのだということもわかった。本来とは違うが、そういう選択も良いだろう。今日は時間を取らせて悪かったね」


 どうやら認めてもらえたようだ。


 ようやく指導室を出ることができる、とアンリは安堵の息をついて立ち上がった。そしてちょうど部屋を出ようと戸を開けたとき「ところで」とレイナに呼び止められる。


「君は学園に入るまでは、魔法を使っていなかったんだろう? それまでの生活を思い出せば、魔法を使わない生活にも想像くらいはつくんじゃないか」


 しまった、とアンリの思考は固まった。





「それで、なんて答えたんだ」


 寮の部屋。呆れた様子でウィルが問う。アンリは先刻の失敗を思い出して顔をしかめながら、レイナに伝えたのと同じ言葉を繰り返した。


「『一年も前のことなんて、よく覚えていません』って」


 ちなみにこのアンリの言葉に対し、レイナは「そうか」と軽く頷いただけだった。

 そのままアンリは逃げるように指導室を出て、寮に戻り、こうしてウィルに報告しているというわけだ。


 アンリの答えにウィルは苦笑する。


「一応ばらさずに言い訳はしたんだね。アンリにしては上出来じゃないか」


「本当にそう思ってる? レイナ先生には、絶対に怪しまれたと思うけど」


 そりゃあそうだろうね、とウィルは大袈裟に肩をすくめた。


「そもそもアンリの魔法力がこの一年で身についたものだっていうことからして、すでに怪しいんだよ。心配したところで、今さらだ」


「そんな……」


「だからこそ余計なヒントは与えない方が良かったとも言えるかもしれないけど。まあ、言っちゃったことは仕方ない」


 ウィルの軽い物言いに、「他人事だと思って」とアンリは不満げに口を尖らせた。そんなアンリを見て、ウィルは笑う。


「どのみち職業体験で魔法は使えないんだ。いくらアンリでも、それなら目立つようなこともできないだろ。これ以上先生を不審がらせる心配はないんだから、悩むよりも、職業体験を楽しんだ方が良いよ」


 楽観的なウィルの言葉に、アンリは大きくため息をついた。

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