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アンリが西の森での体験プログラムのことやその後の顛末をマリアたちに話したのは、翌日の昼休みだった。
昼休みの食堂。体験カリキュラム参加組が帰ってきて、アンリたちの昼食の場は以前と同じ明るい騒がしさを取り戻している。
「アンリ君、そんなに面白いことしてたの? 羨ましい!」
「マリアだってその間、貴重な体験ができただろ?」
「そうなんだけど……うぅ、アンリ君とアイラの活躍、見てみたかったなあ」
イーダに残ってさえいれば、とマリアは悔しがる。とはいえイーダに残っていたからといって、アンリたちと一緒に行動できたということもないはずだが。
「それで、もう西の森は大丈夫なの?」
心配そうに口を挟んだのはエリックだ。大丈夫だよと、アンリは軽く答える。
「元通りにはなったよ。魔法工芸部でも、もう普通に素材採取には行けるって話してるし」
「それなら良かった。週末には魔法器具製作部で素材採取に行くことになっているから。ちょっと心配になっちゃった」
「危険なままだったら、まず先生の許可が下りないだろ」
アンリが笑いながら言うと、エリックも「それもそうだね」と微笑んだ。
「そういえば皆、職業体験はどうするか決めたのですか? 来週には申込みですよね」
この問いはイルマークからだった。
思わぬ問いに、アンリはウィル、そしてハーツの顔を窺う。
魔法を使った仕事を体験するために、イーダ内の協力事業所へ数日赴く職業体験カリキュラム。今回首都の防衛局へ行ったイルマークたちは対象外となるが、そのほかは全員、事業所を選んで参加することができる。
自分の将来を見据えて相応しいカリキュラムを選ぶように。そうレイナから言われていたが、アンリはすっかり忘れていた。
ウィルもハーツも同じでは……とアンリは期待したのだが、さすがにウィルが忘れるはずはない。
「前にも言ったと思うけど、僕は防衛局の戦闘部局に申し込むよ」
「俺は今のところ、造園業者か役場か……運送屋も気になるんだよなあ。あとで先輩にでも聞いてみようかと思ってるんだけど」
ウィルどころかハーツまでしっかりと考えているようで、アンリはぎょっとする。これでは自分一人だけ、何も考えていないようではないか。
イルマークの視線がアンリに移ってきたので、アンリは逃げるようにそっぽを向いた。
「アンリは……もしかして、忘れていたのですか?」
「えっ、い、いや、その。どうしようかな。もう、防衛局でも良いかな」
慌てた挙句の投げやりな言葉に、アンリの隣でウィルが顔をしかめる。
「やめてよ、アンリ。ただでさえ枠が少ないんだから。アンリが戦闘部の体験なんて、意味がないだろ?」
「そりゃそうだけど。でも、何を選んだらいいのか……職業体験って、絶対に参加しないといけないんだっけ?」
「必須じゃないけど、参加しないならそれなりの理由を考えないと。レイナ先生が納得するような」
苦笑混じりのウィルの答えに、アンリは頭を抱えた。レイナに説明できる言い訳など、アンリに考えつくはずもない。
途方に暮れるアンリに考えるヒントを与えてくれたのはエリックだ。
「アンリ君、何かやってみたいことはないの? なってみたい職業とか。もちろん、戦闘職員以外で」
「うーん。研究部に入ってみたいって思ったことはあるけど」
「……まず、防衛局を選択肢から外した方がいいかな」
それはそうだと頷きつつ、アンリは腕を組んでもう一度考える。
防衛局以外の仕事。あまり考えたことはなかったけれど、どんな仕事ならやってみたいと思えるだろう。そういえば、魔法工芸には興味がある。しかし魔法工芸なら部活動でできるのだから、あえて工房の職業体験を選ぶ必要性も感じない。
悩むアンリを前に、マリアがのんきに明るく声をあげた。
「やっぱりアンリ君には、魔法をバンバン使っていっぱい人を助けるような仕事が向いてると思うよ」
この言葉を受けて、横からハーツが口を出す。
「俺はアンリには教師が向いてると思うな。アンリの魔法の教え方、上手いから」
「それもいいかも! でも、学園の先生は難しいよね……家庭教師とか?」
「あるいは、研究者とか。魔法の研究して、高等科で魔法学の講師になるってのはどうだ?」
「すごーい。アンリ君、似合いそう!」
当事者であるアンリを差し置いて、マリアとハーツはあれこれとアンリの進路を話し合う。その盛り上がりに、苦笑しながら水を差したのはウィルだった。
「二人とも落ち着きなよ。教師だとか研究者だとかの仕事は、職業体験には含まれていなかったはずだよ」
まず職業体験のことを考えないと、というウィルの言葉に、マリアとハーツはようやく口を閉じる。それからマリアは「うーん」困ったように首を傾げた。
「職業体験って、どんなところがあるんだっけ? 私、自分が関係ないから忘れちゃった」
「俺も、自分の興味のあるところしか覚えてないからなあ」
アンリの職業体験のことを考えてくれていたのか、面白がってただ思い付いたことを口にしていただけなのか。二人の考えは定かでないが、いずれにしてもこの二人に話をさせていても、アンリにとって良い選択肢は出てこないようだ。
やはりもう、防衛局で良いのではないか。そんなことを考え始めたアンリの横で、ウィルがため息をついた。
「帰ってから、リストを見て一緒に考えよう。……投げやりに防衛局に決められたりしたら、僕がかなわないよ」
ウィルのありがたい申し出に、アンリは素直に「よろしく」と頷いた。
人を助ける仕事っていうのは良い観点だと思うけどね。
夕方、寮の部屋で職業体験のリストをめくりながら、ウィルが言った。
「マリアが言っていただろ? 魔法を使って人を助ける仕事がアンリには向いてるって。アンリって結構優しいところがあるし」
そうだろうか、とアンリは少し首を傾げる。人を助ける仕事。たしかに防衛局の仕事も、人を助けるための仕事ではある。国境線を守り、森を通る人の安全を確保し、盗賊から街道を守り、迷子を救っている。
けれど、向いているかと言われると自信がない。アンリはあくまでも、隊長の指示に従っているだけだ。その働きで人が助かるのは、結果論だろう。
首を傾げるアンリに対し、ウィルは自信のある様子で言った。
「アンリ、魔法ができなくて悩んでいる友達とか後輩とかがいたら、どうする?」
「そりゃあ、支障のない範囲で教えるけど」
「誰かが森で動物に襲われそうになっていたら?」
「そりゃあ、助けるだろ」
「道端でご老人が、重い荷物を持って困っていたら」
「そりゃあ、持ってあげるけど」
「そういうところだって」
不思議な一問一答を繰り返したあげく、ウィルは面白がって笑った。「何が」とアンリが首を傾げても、ウィルは笑うばかりで答えない。
「とにかくアンリには人を助ける仕事が向いていると思うよ。でも、どんな仕事でも結局のところ、たいていは誰かの助けになるものだから」
それだけを基準に選ぶのは難しいねと言いながら、ウィルは続けてリストをめくる。
どんな仕事でも、誰かの助けになる。アンリはふと、昨年、防衛局の研究部に体験カリキュラムに行ったときのことを思い出した。
アンリがちょっとした思い付きでつくっただけの魔法器具。その魔法器具のおかげで魔法が使えるようになったと言って笑う魔力放出困難症の人に会った。研究部での魔法器具づくりは、たしかに人の助けになっていた。
戦闘職員としての仕事は、直接的に人の命を守る仕事だ。人を助ける仕事としてわかりやすい。
けれど直接的でないからといって、ほかの仕事が人の助けになっていないわけではない。研究部での魔法器具づくりが良い例だ。
世間にはどんな仕事があって、どんなふうに人を助けているのか。その仕事に、自分はどのように関わることができるのか。それを学ぶ機会として、職業体験というカリキュラムがあるのかもしれない。
「……俺、今まであんまり馴染みのなかった仕事をやってみたいな。そういう仕事がどんなふうに人の役に立つのか、見てみたい」
「いいね。そういう指標があると、探しやすくなる」
造園業と地方役場と運送屋はハーツの候補だから除いた方が良いねなどと呟きつつ、ウィルはいくつか候補を選んで紙に書き出した。八百屋、託児所、銭湯、農業、清掃業……たしかにアンリの知らない分野ばかりだが、それにしても、てんでばらばらな仕事が並ぶ。
「この中から選ぶの?」
「馴染みのない仕事をやってみたいんだろ? このくらい極端な方が、面白いと思うよ。気が向かないなら、工房とかでも良いけど」
「気が向かないというか……どれを選べば良いのか、余計にわからなくなってきた」
世の中にはこんなに色々と仕事があるのかと感心はするものの、その中から職業体験のためにどれかを選べと言われても、答えを出すのは難しい。
首を傾げるアンリを前に、「たしかに、選ぶにしてもばらばらすぎて難しいな」とウィルも肩をすくめた。
「まあでも、申込みまでまだ一週間もあるんだ。ゆっくり考えよう」
「俺もハーツを見習って、先輩に去年のこととか聞いてみようかな」
「それも良いかも。……なんにせよ、真剣に考えてくれるならそれで良いよ」
投げやりになると、防衛局を選んでしまうのではないか。そう危惧していたらしいウィルは、安心した様子で笑った。
防衛局で戦闘職員として働くことのほかに何をしたいか、何ができるか。それを探すための職業体験だ。
投げやりにならずに、ゆっくりで良いからよく考えようと、アンリは改めて心に決めた。
第6章完結です。
お読みいただきありがとうございます。
登場人物紹介の後、第7章に入ります。
引き続き、お読みいただけると幸いです。




