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ひと月というのは短いもので、あっという間にマリアたちの帰ってくる日になった。
それでも体験カリキュラムに参加した者たちは、その短い間に濃く充実した経験を積んだようだ。
帰ってきた翌日の朝、マリアは興奮を抑えきれずに、アンリとウィルを相手に声高にその体験を語った。
「でね! 素材を採りに行ったときに、変な動物がブワッて寄ってきたんだけど!」
「マリアちゃん。あれ、鼠だったから」
「そうそれ! それを、一緒に行ってくれた戦闘職員さんが、バーンってやっつけてくれたの!」
「魔法で追い払ってくれたね」
マリアのふわっとした表現を、横からエリックが補足する。二人は素材採取の野外活動で、同じ班だったようだ。そうでもなければ普段から一緒に過ごしているアンリたちでも、マリアの言葉を理解するのには時間がかかっただろう。
「よかったね、面白い体験ができて。研究室での活動はどうだった?」
にこやかに続きを促すウィルの言葉に、マリアは突然「う……」と言葉を詰まらせた。
気まずげに視線を逸らす彼女の横で、エリックが苦笑する。
「マリアちゃん、本当は魔力放出補助装置の研究に入りたかったんだけど、できなかったんだ。護身用の結界魔法器具をつくっている研究室に参加して……でも、あまり面白くなかったみたい」
「お、面白くなかったわけじゃないの。ただ、その……ちょっと期待外れだったというか……うーん。ウィル君の言う通りだった。地味な作業ばっかりで、その……やっぱり私には向いていなかったというか」
マリアは申し訳なさそうに、言い訳をするような口調で言う。野外活動のことを語るときとは、勢いが全く違った。
研究の内容を聞いても詳しい話は出てきそうにもない。そう思って、アンリは別の方向に話を広げることにする。
「研究室でも、マリアとエリックは一緒だったの?」
「ううん。エリックはセリーナちゃんと、一年生の男の子と一緒だったよ。私はセイアちゃんとイルマーク君と同じ班。イルマーク君は楽しそうにしてたなあ」
たしかに行く前からイルマークは「地味な作業でも大丈夫」と言っていた。まだ朝早い教室にイルマークの姿はないが、どんな研究に関わったのかは、あとで彼に聞いた方が具体的な話が返ってくるだろう。
「セイアちゃん、私は会うの久しぶりだったけど、アンリ君とは同じ部活動なんだよね? アンリ君のこと、すごいって言ってたよ」
三組のセイアは、アンリやマリアからすれば去年のクラスメイト。加えてアンリにとっては、魔法工芸部の部員仲間だ。
けれど彼女に「すごい」と称えられるような覚えがアンリにはない。
「俺、何かやったっけ?」
「……あのね、アンリ。あの魔法工芸部の初心者セットを数日で終わらせたってだけで、部活動の中では結構話題だから」
苦笑混じりに答えたのは、同じく魔法工芸部に所属するウィルだ。
そうなの? ととぼけた調子で首を傾げるアンリに、エリックまで呆れた顔を向ける。
「僕の班で一緒だった一年生の男の子、ウィリー君っていうんだけど。彼も同じ部活動なんでしょ? 彼もアンリ君のこと、すごく尊敬してたよ。……二年一組がアンリ君みたいな人ばかりじゃないって、説明するのが大変だった」
「あー、それは……ごめん」
ウィリーの尊敬の念は、魔法工芸部での活動よりも、朝、魔法の訓練に付き合っていることで培われたものだろう。水魔法でつくった球を維持する訓練。ウィリーたちが四苦八苦しているその訓練を、アンリは簡単にやってみせている。けれど、二年生なら全員あれを簡単にできると思ったら大間違いだ。
特に班が一緒だったというセリーナは、二年になってから魔法を始めた初心者。一緒にされたくないと表情を歪める彼女の顔が目に浮かぶ。
「幸い、僕たちの研究室の人が去年のアンリ君のことを覚えていて。その人が、アンリ君みたいな学園生なんて滅多にいないって言い切ってくれたんだ。それでウィリー君も納得してくれたみたい」
「……ちなみに、なんていう人?」
嫌な予感がして、アンリはおそるおそる聞く。
「ミルナさんだよ。行き帰りの引率だとか、説明をしてくれた人」
やっぱりか、とアンリはため息をついた。ミルナに余計な借りをつくってしまった。あとでどんな返済を求められるのかと思うと、気が重い。
知り合いだったんだねというエリックの穏やかな声を、アンリは苦い顔で聞き流した。
イルマーク、セリーナ、セイア、ウィリーの四人が体験カリキュラムから帰ってきたために、その日の部活動はずいぶんと賑やかになった。部員たちは誰もが作品づくりの手を止めて、四人が楽しげに防衛局での経験を語るのを興味深く聞いた。
「それで? 研究室での活動っていうのは、どういう感じだったの?」
「特段、難しいことはしていません。魔法器具をつくるためのデータをまとめたり、実験を見学させてもらったり」
「実験かあ。魔法工芸にはそういうの、ないよねえ」
「そりゃあ、魔法器具製作とは違うんだから。それで? どんな魔法器具が出来上がったの?」
「私とセイアが参加させてもらった研究室では、護身用の結界魔法器具をつくっていました。参加した期間だけで出来上がるようなものではありませんでしたが、結界の精度を落とさずに消費魔力量を減らすことを目標に、色々と試行錯誤をしていました」
「私はウィリー君と一緒に、新しいものを研究しているっていうところに入ったんですけど。ひとつの物を開発しているっていうよりも、いろんなアイディアを出していろんな物をつくろうとしていて。すっごく面白かったです」
「いろんな物って、具体的にどんな?」
「素材採取は? どんなところに行ったの?」
「この辺りでは見かけないような珍しい素材はあったかい?」
わいわいと、四人を中心に様々な質問が飛び交う。答えが追いつかないほどに次々と寄せられる問いに、四人はやや困惑気味だ。それでも一つ一つ丁寧に答えていくのは、そうやってこのひと月の間のことを話すのが楽しいからだろう。
やがていくらか話が落ち着いてきた頃に、話の輪の中心からウィリーが抜け出して、こそこそとアンリの元へ寄ってきた。
「アンリさん。行く前は色々教えていただいて、ありがとうございました。アンリさんの言う通り、ミルナさんに聞いたら何でも親切に教えてくれました」
「そう、よかったね」
ミルナはどうやらこの体験カリキュラムの実施について、防衛局の中で主導的な立場にあるらしい。行き帰りの中等科学園生の引率もするし、全体に対する説明もミルナが担っていた。そんな彼女が、参加した学園生に対して親切に振る舞わないわけがない。まさか学園生を相手に、親切への見返りを求めることもないだろう。
そう思って困ったときにはミルナを頼るようにと伝えたわけだが、ウィリーの明るい表情を見る限り、どうやらアンリの判断は間違ってはいなかったようだ。
けれどウィリーが鞄から一通の手紙を取りだしたことで、アンリの甘い考えは一気に打ち砕かれた。
「それで、実はミルナさんから、アンリさんにって。これを預かってきたんです」
「えっ」
アンリはミルナと通信具で頻繁にやり取りをしているし、たまに首都へ行ったときには、ミルナの研究室に顔を出すようにもしている。そんなミルナから、わざわざ後輩を介して手紙を送りつけられるなんて。
「去年の体験カリキュラムで活躍したアンリさんのことは、よく覚えているって言っていました。それで手紙をって」
アンリとミルナの関係など知らないウィリーは、さしたる疑問も持たずにその手紙を預かってきたらしい。受け取りを拒否するわけにもいかない。
受け取った手紙をその場で開いて、アンリは顔をしかめた。
『アンリくんへ。約束していた素材のリストです、どうぞよろしく。アンリくんには普段からお世話になっているから、アンリくんのお友達や後輩くんたちには、とびきり親切にしてあげました。私の努力にも報いてくれることを期待しています』
そんな文章の次に続くのは、ずらりと並んだ素材リスト。いつも一度に頼まれる数の三倍はある。そのうえドラゴンの鱗だの、高山にしか生えない植物の根だの、危険な森を抜けた先の鉱山でしか採れない石だの……とにかく採取が面倒な素材がいくつも含まれていた。
(こないだの通信でもそれらしいことは言っていたけど……でも、これはさすがに……)
見間違いではないかと何度か目を擦って見直してみるものの、書いてあることは変わらない。
「アンリさん? 何か、変なことでも書いてあるんですか?」
アンリがしかめっ面を続けていたからか、ウィリーが不安げに声をあげた。
「ああ、いや、ううん。他愛のないことだよ、大丈夫」
もちろん無茶な素材採取を頼まれたなんて、ウィリーに言えるわけもない。
アンリは訝しむウィリーから隠すようにたたみ直した手紙を、ほとんど握りつぶすようにして制服のポケットに突っ込んだ。




