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 その日の授業後、アンリはアイラとともに、レイナから呼び出された。もう何度目になるかわからない呼び出しに、アンリは以前に比べるとやや慣れてきている。


「先日の体験プログラムの件だ。教室で説明したように、防衛局の対処により危険はなくなった。これが、その詳細だ」


 幸い今回も、恐れるような呼び出しではなかった。


 手渡されたのは、今回の魔力溜まりの解消に関する報告書だ。十六番隊による魔力溜まりに発見から上級戦闘職員による魔力溜まり排除までの流れが、詳細に記されている。


 上級戦闘職員の活動に関する部分には、ケイティの作成した報告書が使われているようだ。名前こそ記されていないが、一番隊職員一名と二番隊職員一名、計二名による作戦の実施と書かれている。


「一般に公開されている文書ではないが、当日プログラムに参加した学園生には知る権利があるとして、特別に配付された。あの日に何が起こって、どう解決されたのか、それを読めば詳しくわかるだろう。勉強にもなるから、よく読んでおくと良い」


 はい、と応えつつアンリは内心で苦笑する。この報告書に書かれている内容の全てに、アンリは関わっているのだ。今さら報告書を読んだところで、何の勉強になるだろう。


「先生」


 そんなアンリの横で、アイラが澄ました顔でレイナに問うた。


「この報告書は、あくまで私たちのためのものなのでしょうか。それとも、ああいった作戦が行われた後には必ず作成されるものですか? 私たちもいずれ防衛局で戦闘職に就いたとすれば、こうした報告書を書くことがあるのでしょうか」


「……これは君たち向けにまとめられたものだが、元となっているのは通常、作戦後に作成される報告書だ。作戦後には必ず、参加した職員による報告書が作成される。君たちも、もしも防衛局に就職するなら作る機会があるだろうな。興味があるなら、図書室に一般公開用の報告書が置いてあるから覗いてみると良い。将来の役に立つだろう」


 ありがとうございますと頭を下げたアイラが、ちらりとアンリに目を遣る。アンリは苦い思いで目を逸らした。


 そんなやり取りには気付かない様子で、レイナは話を戻す。


「西の森が元の様子に戻ったことは、この報告書を読めばわかるはずだ。しかし、君たちも怖い思いをしただろう」


 そこでレイナは珍しく、やや迷うような顔を見せた。


「もしも恐怖心が残るようであれば、解決にはできる限り協力しよう。専門のカウンセラーを紹介することもできる。西の森の安全を自分の目で見て確かめたければ、現場に行くのに付き合おう。……今の時点で、何か希望はあるか?」


 思ってもみなかった提案に、アンリはただ呆然とレイナを見返してしまった。言葉が出ていないあたり、きっとアイラも同様だろう。

 黙ってしまった生徒二人を前に、レイナは苛立つ様子もなく、優しく続ける。


「思いつかないなら構わないよ。だが、何かあったらすぐに言いなさい」


 なんと答えて良いか分からず、アンリは思わずアイラの様子を窺う。同じようにアンリを見遣ったアイラと目が合った。


 どちらからどう返事をするか。一瞬の間に視線で押し付けあって、結局アンリが先に口を開いた。


「ええと、先生。ご心配ありがとうございます。でも、俺は大丈夫です。ああやって魔力溜まりに近づいたの、初めてじゃないんで」


「私は初めてでしたけれど、ご心配には及びませんわ。むしろ、良い経験をさせていただいたと思っています」


 レイナは真偽を探るように、しばらくアンリとアイラの顔を見つめて黙っていた。しかし、やがて納得したのだろう。大きく息をつくと、それまでよりも幾分か柔らかい笑みを浮かべた。


「大丈夫なら良いんだ。時間を取らせて悪かった」


 そうしてアンリたちは解放された……と思いきや、教員室を出るところで「そういえば」と呼び止められた。


「アンリ。君はあの日、先輩を追いかけていっただろう。結果的に二人とも無事だったから良かったが、あまり無茶なことはしないように。他人を心配するのも大切な心掛けだが、自分の身の安全を第一に考えなさい」


 穏やかな口振りは、決してアンリを責めるものではなかった。ただアンリを気遣っているだけの口調。隊長や同僚たちがアンリに向ける口調にも似ていた。


 ありがとうございます気を付けます、とアンリは早口に言って、足を早めて教員室を出た。






「レイナ先生って、意外と優しいところあるんだな」


 ようやく教員室を出ることができ、気分も晴れやかに言ったアンリに、アイラが呆れた目を向けた。


「あなた、先生のことをなんだと思っていたの?」


「えっ。いや、だってあの先生、普段すごく厳しいだろ」


「厳しいだけで、生徒のことはよく考えてくれる素晴らしい先生よ。これを機に認識を改めることね」


 アイラの口調が思いのほか強いので、アンリはおや、と首を傾げた。どうやらアイラは、レイナを尊敬しているらしい。


 アイラの言葉は続く。


「あなた、先生を怖いだけの人だと勘違いしているんじゃないでしょうね。レイナ先生はね、生徒のことを思っているからこそ、普段からあえて私たちに厳しくしてくれているのよ。私たちが自分の力を伸ばせるように、危険に遭わないようにと、本当によく気を配ってくれているのだから」


 強い調子でまくし立てるアイラを前に、アンリはもはや頷くしかない。それでもアイラの言葉は止まらない。


「研究者として活動なさっていたときの論文も素晴らしいものよ。中等科学園生に対する魔法教育の課題と、具体的に実現可能な解決策を詳細に論じているわ。先生の授業は、その研究の実践よ。レイナ先生の指導を受けることができて幸せだと思いなさい」


 はい、と神妙に頷きつつ、アンリはぼんやりと考える。理論の座学と魔法実践の組み合わせ、二人一組での訓練、個人に合わせた訓練メニュー。たしかに、アンリにはあまり馴染みのない訓練方法だった。レイナ自身の研究に基づく実践だったらしい。


「そのうえ魔法力の高さも、誰もが認めるところよ。魔法を使う能力も高いし、他人の魔法を見極める力もあるし……そういえばアンリ、部屋を出る前に何か言われていたようだけれど、大丈夫なの?」


「どういうこと?」


 突然の話の振り方に、アンリはわけもわからず問い返す。アイラは「危機感がないわね」と眉をひそめた。


「レイナ先生があれくらいの話で済ませるということは、アンリならそれほど大きな危険もなかっただろうって思っているということよ。そうでなければ、もっと強く叱られていたでしょうね。先生、アンリの実力に気付いているのではないかしら」


 今度はアンリが顔をしかめる番だ。


 たしかにいつも厳しいレイナにしては、話しぶりが甘かった。怒るとか諌めるとかいうのではなく、念のため注意しておこうという程度の言葉だった。あの日のアンリの行動をさほど大きな問題とは捉えていないらしい。そのことが、態度に表れていた。


「……いいよ、もう、今さらだ。どうせ訓練室壊したところは見られているんだし。戦闘職だってことさえバレなければ」


「そうやって妥協を繰り返していると、いつかそれも知られてしまうわよ」


 アイラの言葉を無視して、アンリはこれからのレイナ対策を考える。魔法力は知られていることを前提に。ただ、上級戦闘職員として防衛局の仕事をしていることはバレないように。


(なんでもかんでも秘密にするより、こっちの方がやりやすそうだな。結果的には、これで良かったのかも)


 アンリはそんなふうに、楽観的に考えた。






 アイラと別れて魔法工芸部へ向かったアンリを、キャロルが踊るように軽い足取りで出迎えた。


「アンリさん、いらっしゃい。ふふっ、ねえ聞いた? 西の森が、もう入れるようになったんですって」


 キャロルはつい昨日まで、素材が取れない素材が足りないと、ぶつぶつ暗い顔で呟いていた。それが、西の森への立入が解禁になったと知るやいなやこの浮かれよう。アンリは苦笑しつつ、冷静に応じる。


「授業で先生から聞きましたよ。それで、部活動の素材採取ももう普通に行けるんですか?」


「そうね。さっき先生と話したのだけれど、防衛局が安全を確認したということだし、いつも通りに行っても良いだろうとのことよ。まあ、まだ前回採ってきたものが随分残っているから、急ぐことはないでしょう」


 それならそもそも一時的な立入禁止程度で慌てる必要も無かったのではないか……アンリはそう思ったが、口にはしなかった。これだけ喜んでいるのに、水を差す必要もない。


「私のお願いしている業者さんも、この分なら来週にはきっと素材を届けてくれそうね。交流大会に向けて頑張らないと」


 まだ半年近く先のことのはずなのに、キャロルは既に交流大会に目標を据えている。西の森に入れなくなったことがきっかけになって、どうやら逆にやる気が出てきたようだ。


 立入禁止の解除が思ったよりも早かったことが、もしかすると、良い方に影響したのかもしれない。


(俺が出たから早く解決したんだと思えば、これも俺のおかげってことでいいのかな)


 友人たちの助言に従って、アンリは自分の功績を広く捉えることにしてみた。


 目の前でキャロルが喜んでいる、キャロルがやる気を出している。自分の行動がその一助になったのだと思えば、気分は良い。


(任務だからやっただけだけど、ちゃんと人のためになってるんだな……まあ、当たり前か。そのための任務なんだし)


 アンリは思わず苦笑したが、その笑みをキャロルは、西の森の立入禁止解除を喜んでのものだと勘違いしたようだ。

 とにかくこれで安心ねと歌うような口調で言って、弾む歩調で自分の作業台の方へと戻っていった。

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