(29)
アンリが魔力溜まりの対処を済ませた翌々日には、西の森の立入禁止が解除された。
「防衛局により安全が確認され、立入制限は今朝をもって解除された。もちろん、引き続き安全に留意しなければならない森であることに違いはない。森に入る際は、準備を怠らないように」
魔法実践の授業の冒頭で、レイナはこう言ってクラスに立入禁止の解除を周知した。おそらく他のクラスでも、担任から説明があったのだろう。
昼休みの食堂は、西の森の話題で持ちきりだった。
「おれ、見たんだよ。防衛局の部隊が西の門から外に出るとこ」
「ばかだなあ。それ、立入禁止になる前の話だろ?」
「でも、そのあと大きな部隊が動いたって話は聞いてないよね」
「なんでも少数精鋭で解決したって話だ」
「上級戦闘職員が対処したって聞いたよ」
「見たかったなあ」
などと飛び交う様々な噂を聞き流しながら、アンリは素知らぬ顔で昼食と向き合う。けれどもちろん、この話題から逃げられるという意味では無い。
「それでアンリ、実際にはどんなんだったんだ?」
興味津々に身を乗り出して、それでもなんとか小声に留めつつハーツが言う。
「結構大変だったのか? それとも、簡単にちゃちゃっと終わらせた感じか?」
うーん、とアンリはやや答えに悩んで唸った。
正直に言えば、簡単に終わったというのが正しい。アンリにとって今回の任務は、一人でもなんら問題なくこなせる程度の楽な仕事だった。かかった時間も、ほとんど支部と現場との往復の時間だ。その往復さえ、ケイティに遠慮して魔法を使わずに行き来したのだ。アンリ一人ならむしろ、一時間足らずで終えられただろう。
しかし、十六番隊の一班では対応しきれなかった案件だ。アンリの見立てでは、少なくとも一桁の隊で対処すべき事案だった。
それを「簡単にちゃちゃっと終わらせた」などと言ってしまって良いものだろうか。
「……ええと、結構大きかったよ、うん。まあ、それなりに大変だった方なんじゃないかな」
「でもアンリ、授業が終わってから出て行って、夕食前には戻ってきたよね? 疲れたっていう様子でもなかったし」
曖昧に言葉を濁すアンリの横から、ウィルがさらりと指摘する。西の森に行くとき、一応伝えておいた方がよいかと思って、ウィルには断って出掛けたのだ。それがあだとなった。
そんなこと今言わなくても良いのに、とアンリは心中で文句を垂れる。次はなんと言って誤魔化そう。
しかし誤魔化すまでもなく、ハーツはアンリにとって都合の良い方に話を解釈してくれたようだ。
「すげえなあ。つまりあれだろ、でっかい魔力溜まりでも、アンリからすれば大したことねえってことだろ?」
「ええと、うん。まあ、そんな感じかな」
どうやら誤魔化す必要などなくて、最初からそう言っておけばよかったらしい。拍子抜けしつつ、アンリは素直な気持ちで言葉を続ける。
「わりと大きい魔力溜まりだったよ。十六番隊と行ったときに奥まで入り込んでいたら、怪我人が出ていたかもしれない。あまり深くまで行かずによかったよ」
「十六番隊には無理な案件だった、ということよね?」
そう小声で言ったのはアイラだ。
なんとも答えづらい問い方をする。アンリは苦笑した。アイラの言う通りではあるのだが、それこそ簡単に「はい、そうです」などと言っては十六番隊に気の毒だ。差配した上の人を批判しているようにさえ聞こえてしまう。
「十六番隊は調査のための派遣だったから。人数も少なかったし、学園生の面倒も見なくちゃいけなくて大変だったと思うよ。それに、魔力溜まりの危険性の確認はできたわけだから、調査の役は十分果たせたわけで……」
「危険性を確認して報告したのもアンリでしょう?」
アイラの追撃に、アンリは言葉を詰まらせる。人がせっかく言葉を濁しているというのに、どうしてわざわざ掘り返すのだろう。不満が顔に出ないよう表情を取り繕いながら、アンリは言葉を探す。
「えっと、まあ、そうなんだけど。でもたぶん、俺がいなくても同じ判断にはなっていたと思うよ」
もしもアンリがいなかったら。鳥獣除けの魔法器具を突破する動物が多数現れた時点で、十六番隊は撤退の判断を下していただろう。そしてその情報をもとに、防衛局の本部では危険度の高い魔力溜まりが存在していることを想定し、次は調査ではなく魔力溜まりの排除を目的として、上位の隊を派遣したに違いない。
多少時間は余分にかかったかもしれないが、結果は同じだ。
「でもそれだと、あの先輩はきっと助からなかったわ」
「……滅多なことを言うなよ」
アイラの物言いに、今度こそ、アンリは顔をしかめた。
もしもアンリがいなかったら。熊が襲ってきたことで逃げ出したヤンは、熊に追い付かれていただろうか。あるいは鳥獣除けの効果範囲を抜け出したところで、ほかの動物に襲われていたか。その救出に、十六番隊は間に合っただろうか。
間に合った可能性は低い。当時十六番隊は、現場に現れた沢山の熊の対処に追われていた。アンリがヤンを連れ帰るまで、追ってくる職員は一人もいなかった。
それでもやはり、先輩が犠牲になったかもしれないなどという仮定は、アンリにとって受け入れ難い。
「私が言いたいのは」
不機嫌になったアンリを前に、アイラはためらうことなく平然と、当たり前のように続けた。
「アンリのおかげで被害もなく早くに解決できたのは、紛れもない事実だということよ。お仲間の株を下げたくないのはわかるけれども、あなたはもう少し、自分の功績を自慢しても良いと思うわ」
思ってもみない方向の主張に、アンリは反論できなくなった。
アイラはアンリの話を否定したいわけではないらしい。ただ、アンリの成果を認めてくれているのだ。
「たしかに、アンリは謙虚すぎるよね」
言葉を見失ったアンリに代わって、ウィルが相槌を打った。なるほど、謙虚。アンリには自分の功績を低く見積もっているつもりはない。ただ、自分が規格外であることを認識しているからこそ、自分との比較で十六番隊やほかの防衛局の人たちが悪く言われるのは可哀想だと思っているだけだ。
その態度が、周りには謙虚と見えるらしい。
「そうだよなあ。アンリのおかげで助かったって人、多そうだよな」
ハーツまで賛同するようなことを言う。
ほらごらんなさい、とアイラが得意げに微笑んだ。
「アンリはもっと自覚を持つべきなのよ。あの先輩だけじゃないわ。私だって、あの場にアンリがいたから落ち着いていられたのだし。西の森の立入禁止が早くに解除されたことで、喜んだ人も多いのではないかしら」
ふと、アンリの頭に魔法工芸部の部長であるキャロルのことが浮かんだ。西の森が立入禁止となったその日、キャロルは素材採取ができなくなると言って、絶望したような顔をしていた。
今日、立入禁止が解除された話を聞いて、キャロルは今、どんな顔をしているだろうか。
「……そういうものかな」
「そういうものよ。もっと堂々となさいよ」
アイラの言葉を受けて、アンリは考えを巡らせる。
自分の行動により、助かった人がいること、多いこと。自覚がないつもりはなかったが、アンリの認識は少し甘かったのかもしれない。
「わかった。たしかに今回は後輩助けたし、先輩助けたし、魔力溜まり見つけて壊したし。……うん、報告書を人に任せちゃった以外は、俺、頑張ったね」
友人たちの励ましに応じて、アンリは大きく頷いた。
ところがそれまでアンリを褒めそやしていたはずの三人は、アンリの言葉を聞くなり、突然冷めた顔をして大きなため息をついた。
あれ、と首を傾げるアンリに対し、三人を代表するようにウィルが口を開く。
「あのね、アンリ。最後のは言わなくても良いんだよ。……っていうか言わなくていいように、ちゃんとやりなよ」
最後の。つまり、報告書を人に任せたというくだりだろう。たしかに頑張ったと言いつつ仕上げが他人任せでは、格好がつかない。
ケイティが「上級職員なのに報告書の書き方も知らないとなったら」と言っていたことをアンリは思い出した。そのときはあまり真剣には考えていなかったが、友人たちからこうして冷たい目を向けられてみると、いやでも実感が湧いてくる。
「ま、アンリらしいけどな」
そう言ってハーツが笑い、やれやれとアイラが首を振った。
アンリのことを認めてくれている友人でさえ、こうして呆れた顔をするのだ。あるいはアンリのことを子供扱いしない同年代の友人たちだからこそかもしれないが。いずれにしても、ケイティの言うように、卒業までにどうにかした方が良いだろう。
アンリは恥ずかしい気持ちを、肩をすくめて誤魔化した。




