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 翌日、授業が終わるとすぐに、アンリはイーダ支部に向かった。支部の建物に入るとすぐに、ロビーで待っていたケイティが立ち上がる。


「アンリさん、お久しぶりです」


「お久しぶりです、ケイティさん。お待たせしてすみません」


 いえいえと首を横に振りながら、ケイティはにこやかに微笑んだ。


「若者が学園を優先するのは当然です。……とはいえ、アンリさんが中等科学園の制服を着ているのには違和感がありますね」


 そうですか? とアンリは自分の格好を見下ろした。学園から寮にも寄らずに支部に来たアンリは今、学園が指定する臙脂色の制服姿だ。


「自分では、意外と似合っていると思うんですけど」


「似合わないわけじゃないですよ。私にとって慣れないというだけです。アンリさんとは、戦闘服でしか会ったことがありませんから」


 そう言って肩をすくめるケイティは、すでに防衛局の支給制服である黒い戦闘服を身につけている。言われてみるとアンリも、戦闘服以外の服を着たケイティなど想像がつかなかった。数年来の付き合いだが、任務や訓練以外で顔を合わせる機会はほとんどない。


 任務ではよく世話になっている。防衛局の中でも親しい人だ。そんな彼女と日常での接点が全く無いのは、もったいないように思われた。


「今度、食事でも行きます? 奢りますよ」


 アンリの申し出に、ケイティは苦笑する。

 ケイティの視線が、まるで品定めでもするかのようにアンリの全身をなぞった。


「……ありがたいお誘いではありますけど。中等科学園生に奢ってもらうのは、なかなか抵抗がありますね」


 一番隊と二番隊。そういう意味ではアンリが奢るのに何も不自然なところはない。しかし制服姿の今のアンリはどこからどう見てもただの中等科学園生であって、とてもではないが、ケイティよりも立場が上の戦闘職員には見えなかった。

 今のアンリに「奢る」と言われても、ケイティには受け入れがたいだろう。


「じゃ、俺が卒業するまで待っててください。……とりあえず、着替えてきますね。そうしたら出発しましょう」


 まるで親戚の子供に向けるような笑顔を見せたケイティは「待ってます」と頷いた。






 イーダ支部に用意されていた戦闘服に着替えて、アンリはケイティと共に西の森へ向かった。主にケイティの魔力の節約のため、魔法を使わずに走って移動することにする。


「そういえば、ケイティさん」


 忘れないうちにと思って、アンリはこの移動時間にケイティに例のことを確認しておこうと口を開いた。


「学園の先輩に、何年か前にケイティさんに助けてもらったっていう人がいるんですけど」


「私が助けた?」


「はい。街の外で迷子になったところを、偶然別の任務で来ていたケイティさんに助けられたらしいですよ。ケイティさんが、五番隊にいた頃です」


 アンリの言葉に、ケイティが強く顔をしかめる。やはり思い出せないのだろうかとアンリは不安に思ったが、どうやらそうでもないらしい。


「……覚えはあります。その人が、どうかしましたか?」


「いえ、どうかしたってわけじゃないんですけど。その先輩、ケイティさんに憧れて防衛局に入ることを決めたらしいんです。機会があったら会ってみてもらえるかなと思って」


 ケイティの眉間の皺がますます深くなった。なんだろう、まずいことを言ったのだろうか。アンリは心配になって、口を閉じる。


 やがてケイティが、ため息とともに言った。


「……その先輩が憧れるべきなのは、私ではなくてアンリさんですよ。むしろアンリさんこそ、覚えていないんですか」


 首を傾げるアンリに、ケイティは呆れ気味に続ける。


「あのとき私が子供を助けたのは、アンリさんが泣いたからです」


 えっ、とアンリは目を丸くした。泣いた? 俺が?


 ケイティ曰く、当時のケイティは五番隊の第一班として、とある森で魔力溜まりへの対処に動いていたらしい。そのとき同行していたのが、一番隊所属ながらまだ幼く、経験の浅かったアンリ。


 経験を積ませるためにと五番隊に一時的に預けられたわけだが、当時のアンリはまだ八歳。五番隊は、子守りでも押し付けられたような気分だったという。しかしながら上からの命令に逆らえるはずもなく、任務にアンリを連れて行き、隊員たちが輪番で面倒を見ることにしていた。


「……なんだか俺、ペットみたいな扱いだったんですね」


「仕方ないじゃないですか。八歳の子供を森での任務に連れて行けというんですから。そんな無茶を言われたこちらの身にもなってください」


 とはいえアンリは年齢のわりに大人しく、魔法の扱いにも慣れた子供だったので、任務に同行させてもさほど大きな問題は起こらなかった。

 これなら任務も無事に終わらせられるだろう。隊員たちがそう油断したときのことだった。

 それまで大人しくついてきていたアンリが、突然声をあげて泣き出したのだ。


「あっちに子供がいる、迷子になって怖がってる、可哀想だって言って、大泣きしたんですよ。きっと探知魔法で索敵するときに、子供の気配を深く感知してしまったんでしょうね」


 探知魔法で対象の詳細な様子や感情までを読み取ることは滅多にない。広範囲の索敵に使う探知魔法でそこまで細かく情報を取得していたら、頭がパンクしてしまう。


 けれども当時のアンリは子供ゆえの柔軟さか、あるいは単なる魔法の制御不足かで、なぜだかその「迷子の子供」の情報だけ、それは詳細に察知したのだという。


 そして子供らしい純粋さで感情移入し、まるで自分が迷子になったかのようなパニックに陥ってしまったのだ。


「作戦が終わってから助けに行こうとか、他の隊に連絡して助けに行かせるからとか、そういうことをいくら言い聞かせても駄目でした。仕方なく、そのときちょうどアンリさんのお世話係の順番に当たっていた私が、アンリさんを連れて、その子供のところへ向かうことになったんです」


 そうして無事に迷子を見つけ、保護したというわけだ。


 さすがにアンリの姿を一般人に見られるわけにはいかないからと、子供を保護する前後では、アンリは隠蔽魔法で姿を隠していたという。だから助けられたヤンからすれば、助けてくれたのは五番隊のケイティ一人、という認識になっているのだろう。


「ええと……なんだか、迷惑かけてすみません」


「まあ、子供が助かったのでよかったです。それよりも、アンリさんが全く覚えていないということの方に驚きましたが」


 アンリはもう一度、注意深く自分の記憶を探る。それでも全く思い出せない。


 七歳で防衛局に入ってから二、三年の間、アンリは一番隊に籍を置きながら、二番隊から六番隊くらいまでの隊に混ざって様々な仕事をこなしていた。防衛局での仕事に慣れさせようという、当時の隊長の方針だったらしい。


 そのこと自体は、アンリも覚えている。

 色々な隊に参加して、たくさんの人に可愛がってもらった。防衛局における仕事のやり方を教わり、チームワークを学んだ。当時の経験は、今でも役に立っている。


 それから当時、魔法の制御が今ほど上達していなかったために今では考えられないような失敗を多々やらかしたことも、アンリの中には苦い思い出として残っている。


 火魔法を使おうとして炎の竜巻を巻き上げて山火事を起こしかけたり、水魔法で洪水を起こしかけたり。探知魔法で対象を深く探りすぎて、しばらく茫然自失の状態に陥ったこともしばしばあった。

 しかし、任務中に隊の人たちを困らせるほどに大泣きしたなんて。記憶にない。


「……信じられなければ、帰って誰かに聞いてみてください。きっと覚えてますよ」


 アンリがあまりに真剣な顔をして悩んでいたからか、ケイティは諦めたように、ため息混じりに言う。


「私の功績ではありませんから、アンリさんの先輩だというその子に会うのは遠慮したいですね。偶然出会うことがあれば誤魔化すくらいのことはしますが、積極的に会うのは御免です」


 そうして肩をすくめるケイティを説得する言葉は、アンリには思いつかなかった。

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