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どうやら後輩たちを勘違いさせてしまったらしい。
朝の教室で、アンリはウィルにだけ聞こえるように、ひそひそとそんな話をした。
「どうも俺がマリーナのことを好いているみたいに思ったらしいんだよ。あの三人は想像力が豊かだね」
「……アンリの想像力が欠けているんじゃないかな」
思わぬウィルの反応に、アンリは「えっ」と言葉に詰まる。ウィルは大きくため息をついた。
「女子のことを『気になっている』なんて言ったら、普通は、本人が気になっているんだって思うよ」
「でも、ハーツが、なんて言えないだろ?」
「友達が、くらいにぼかして言っておけば良かったんだよ。あるいは何も聞かないか。ハーツのことが心配だったのはわかるけど、聞き方はもう少し考えないと」
そういうものか、とアンリは愕然とする。これが他の人の言うことなら少しは反発してみせたかもしれないが、アンリにとって、ウィルの説く常識は絶対だ。ウィルがそう言うなら、アンリが悪いことに間違いはない。
アンリは項垂れて反省した。
ちなみにウィルの集めた情報によると、相手のマリーナは初等科の頃から優等生として有名で、悪い噂が一切ない子だという。クラス内でも人気があったので、この度「先輩」との交際が決まったことで、悔し涙を飲む男子も多かったとか。
そして最近ハーツは朝早くに学園に来て、空き教室でマリーナと二人でお喋りをするのが日課になっているらしい。
ウィルはそんな情報をどこから仕入れているのかと、アンリが目を丸くしたのは言うまでもない。
ウィルの情報はともかくとして、ハーツはマリーナとうまくやっているらしい。その日の魔法工芸部で、コルヴォとサンディがアンリに詳しく教えてくれた。
「似合いの二人だって、皆言ってますよ。俺、てっきりアンリさんが気になってるんだとばっかり思っていたから、どう話そうかって焦っちゃいました」
「本当に。最近のマリーナちゃん、誰が見てもわかるくらいに明るいから。その先輩のことが本当に好きなんだろうなって思います」
二人の仲睦まじさは朝の空き教室での逢瀬から、授業後の山岳部での活動、そしてその後ハーツが彼女を女子寮へ送り届けるまで、様々な場面で見られるらしい。
隠すつもりもないらしく、「仲が良いね」と冷やかすと、ためらうことなく頷いて肯定する始末だという。最初は嫉妬丸出しだった男子たちも、次第に嫌がらせをするのさえ馬鹿らしくなったのか、今ではあたたかく見守っているのだとか。
「アンリさんも気になるなら、本人に聞いてみればいいんですよ。きっと快く話してくれますよ」
とコルヴォは言った。
二人からそんな情報を得て、アンリは苦笑するしかない。ウィルの情報収集能力が優れているのか、アンリが世間に疎いだけなのか、わからなくなってきた。
いずれにせよ、アンリの抱いていた不安が無用の心配であることだけはわかった。マリーナがどんな子かなんて、もう気にしても仕方がない。
自分の阿呆さを誤魔化すように、アンリは肩をすくめる。
「いいよ、別に。二人が仲良くやっていることさえわかれば良いんだ」
「アンリさんって、優しいですよね。友達のことを心配するって言いながら、実のところ興味があるだけっていう人も、多いと思うんですけど」
サンディの褒め言葉にも、アンリは素直に喜べない。アンリだって、興味がないわけではないのだ。ただ自分の疎さに呆れて、これ以上余計な恥をかきたくないと思っただけだ。
もうこの話はいいよ、と無理矢理話題を断ち切って、アンリは腕輪の設計図づくりに集中することにした。コルヴォとサンディは互いに顔を見合わせて首を傾げてから、それぞれ自分の作業台へと戻って行った。
西の森での作戦実行日が決まったのは、その日の夜のことだった。夕食後、アンリはいつものように屋上に出て、隊長からの通信魔法を受ける。
『作戦の補助が決まったよ。二番隊のケイティ・カレリアだ。彼女を送る』
「え、ケイティさんですか」
最近聞いた名前が出てきたので、アンリは思わず復唱した。
二番隊のケイティは、アンリが今回のように隊を外れた単独任務にあたるときに、よく補助についてくれる魔法戦闘職員だ。ここ数年での魔法力の伸びはめざましく、数年前には五番隊にいたのが、今ではもう二番隊だ。
上級職員への昇格も目前に迫っている、とアンリは噂に聞いていた。
しかし、アンリが今気になっているのは、そういうことではない。
『どうかしたか? ケイティじゃだめか?』
「あ、いや。全然」
実力の問題ではない。よく組む相手だから、やりにくくもない。
ただアンリの頭に浮かぶのは、四年生のヤンが「ケイティ・カレリアという防衛局の職員に救われた」と言っていたことだった。そんなにすぐに紹介する必要はないだろうと思っていたが、せっかく近くに来るのなら、顔合わせの機会くらいつくった方が良いだろうか。
『明朝にはイーダに向かえると思うが、どうする? 明日の昼間には森に行けるか?』
「いえ、授業を休む理由を作るのが面倒なので、できれば夕方がいいです。イーダ支部にいてもらえれば、迎えに行きます」
『わかった。そう伝えておく』
それからいくらか詳細の打ち合わせをしたが、アンリにとっては翌日の西の森での作戦のことなどよりも、ケイティとヤンとをどう引き合わせるのかということの方がはるかに重大な問題だった。
部屋に戻ったアンリが困り果てて相談すると、ウィルは「なんでそれを僕に相談するんだ」と呆れた様子で言った。
「防衛局の話だろう? 隊長さんに聞けばよかったじゃないか」
「いやいや。防衛局の話というより、先輩の話だって。普通、憧れの人っていうのは一刻でも早く会いたいもの? それとも、ちゃんと心の準備ができてから会いたいもの?」
アンリの問いに、ウィルは「ええ……」と困った様子で腕を組み、天井を仰ぐ。
「僕はその四年生の先輩のことを知らないんだよ。知っているアンリがわからないのに、僕にわかるわけがないじゃないか」
「一般論でいいよ、一般論で。ウィルは俺より常識人だろ?」
「じゃあ一般論で言うけれど、そんなのは人によって違うよ」
ウィルの口調はもはや、呆れているというよりも怒っているようだ。
それを聞いてアンリはようやく、自分が無理を言っているのだということに気が付いた。しかし気付いたところでほかに相談相手がいるわけでもなく、アンリにはどうしようもない。
そんなアンリを気の毒に思ってか、ウィルもただ「知らない」と見捨てるようなことはしなかった。
「アンリはその先輩よりも、防衛局の人との方が付き合いが長いんだろう? だったら、その人に直接聞いてみたらどう? 昔助けた相手に会いたいかどうかって」
「先輩に聞くんじゃなくて?」
「もちろん最後は先輩に会う気があるかどうかだけれど。でも、先輩が会いたいと言ったからって、その防衛局の人が会ってくれるとは限らないじゃないか。会えると思ったら会えなかった……なんてことになったら、先輩も可哀想だよ」
なるほどケイティの気持ちか、とアンリは目から鱗が落ちる気分でウィルの言葉を聞いた。ケイティの方が長い付き合いだというのに、アンリはつい最近出会ったばかりのヤンのことしか考えていなかった。
ケイティは何年も前に助けたというヤンのことを覚えているだろうか。覚えていたとして、会いたいと思ってくれるだろうか。あるいは覚えていなかったとして、会っても良いと言ってくれるだろうか。
「ありがとう、ウィル。明日、ケイティさんと話してみるよ」
「それがいいよ。……ちゃんと、誤解がないように。説明の仕方には気をつけなよ」
アンリはマリーナのことで後輩たちに探りを入れたときの失敗を思い出し、「わかってる」と苦々しく頷いた。




