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翌朝、アンリは学園の中庭で、コルヴォとサンディの魔法訓練に付き合った。
体験カリキュラムのためにウィリーのいない一ヶ月間。
その期間に彼を出し抜こうと、コルヴォとサンディは以前より気合いが入っているように見える。
「コルヴォは力が入りすぎ。もう少し楽にしないと、すぐに疲れるよ。サンディはもう少し魔力を込めて、球体を意識して」
二人は相変わらず、水魔法で空中に水球を浮かべる訓練を続けている。最初はこんな訓練に意味はあるのかと懐疑的な様子だったが、今では朝のこの時間以外にも自主練習をしているらしい。訓練に付き合うたびに、成長が見て取れる。
今もアンリの言葉を元に改善しようという姿勢が、コルヴォとサンディの両方に見られた。
しかしさすがに、言われてすぐに上手くいくものではない。体の力を抜いたコルヴォは魔力の制御に失敗し、手元の水は球の形を保てなくなって崩れ落ちた。一方でサンディは水球に魔力を込めすぎて、大きくなった球がパチンと破裂する。
ほとんど同時に失敗した二人は、そろってしょんぼりとうなだれた。
「休憩しようか」
二人を慰めるように、アンリは努めて明るく言った。
「アンリさん。俺たち、これだけで本当に魔法力がつきますか」
池の横にある岩に腰掛けて、コルヴォが言った。アンリの教えた訓練を律儀に続けるコルヴォだが、どうやら不安はあるらしい。似たようなことを昨年ウィルにも言われたなあと、アンリは懐かしく思い出す。やはり魔法の訓練というと、通常は、多種多様な魔法を覚えることや、的撃ちにより正確さを養うことの方をイメージするのだろう。
たしかに二年生の授業での魔法訓練も、そうした内容が多い。授業という短い時間で魔法に関する最低限の知識と技術を身につけさせようという、中等科学園の教育方針ゆえだ。
しかし、アンリが今コルヴォやサンディに教えている訓練は、それとは目的が異なる。
ちゃんと説明しておかないと、コルヴォたちの不安は増すばかりだろう。そう思ったアンリは改めて、訓練の目的を丁寧に話しておくことにした。
「今やっているのは、魔力の制御を覚えるための訓練だよ。これだけで魔法力がつくわけじゃないけれど、魔法力を上げるためには欠かせない」
今の訓練だけで、遠くの的に狙いを違わず魔法をぶつけられるようになるわけではない。
もちろん、覚えてもいない多種多様な魔法を急に扱えるようになるわけでもない。
そうではなくて、求める魔法の威力に対して、どの程度の魔力が必要か。大規模な爆発魔法にどの程度の魔力を込めるべきか。飛翔魔法で目的地まで飛ぶのに、どのくらいの魔力が必要か。針の穴に糸を通すような繊細な魔法を使うときに、どこまで魔力を絞ることができるか。
魔法の威力に応じた魔力量の調整。あるいは込めた魔力の運用の方法、精密さ。
どんな魔法を使うときにも必要になる、そうした魔力制御の感覚を覚えるための訓練だ。
「ちゃんとできるようになれば、この先どんな魔法を覚えても役に立つよ。まず魔法が丁寧になる。無駄な魔力を使わないようになるから、魔法の練習もたくさんできる。練習がたくさんできるから、上達も早くなる」
すぐに成果の出る訓練ではない。しかし、コルヴォもサンディもまだ一年生だ。授業で魔法の実践を習うまでにはまだ時間がある。その時間を使って魔力制御の訓練をすることは、必ず今後の二人のためになるはずだ。
そんなアンリの説明に、コルヴォが目を輝かせた。
「じゃあこの訓練を真面目にこつこつ続ければ、来年にはアンリさんみたいに、すごい魔法が使えるようになりますか」
「…………あー。それは、どうだろうね」
コルヴォの期待のこもった視線を受けて、アンリは斜め上を向く。二人は以前、アンリが巨大化した雄鹿を倒したときの魔法を見ている。あの規模の魔法を一年くらいで使えるようになると思われるのは、よろしくない。
アンリの反応に、コルヴォとサンディはあからさまに気落ちした様子でため息をついた。
さてそろそろ訓練を再開しようか。
そう思った頃合いに、折悪く廊下の方から声がかかった。
「あれ、アンリ? そんなところで何してんの?」
「ハーツ? 珍しい、早いね」
廊下から中庭に出てきたのは、ハーツだった。いつも授業の始まるぎりぎりに飛び込むように教室に入ってくるハーツの姿が、こんな早朝の学園で見られるなんて。今日は雨でも降るのだろうかと、アンリは空を見上げる。快晴だ。
そんなアンリの様子にハーツは苦笑した。
「俺は別に、朝が苦手なわけじゃねえよ。いつも遅いのは、イルマークに合わせてるからだって」
「え、そうだったんだ」
むしろ逆だと思っていた……とは言わないでおこうとアンリは決心する。わざわざ友情にヒビを入れる必要はない。
「それでアンリ、何やってるんだ? そっちの二人は?」
「ああ、この二人は魔法工芸部の後輩。魔法の訓練に付き合ってるんだ」
「え、アンリが訓練つけてやってんの? 羨ましいなあ」
アンリとハーツとのやり取りを前に、コルヴォとサンディはすっかり身体をこわばらせてしまっている。上級生が苦手なのだろうか。無理に会話に混ぜるのもかわいそうかと思い、アンリはそのまま話題を転じた。
「それで、ハーツは何してるの。早起きだからって早くに教室に来ることなんて、今までなかっただろ」
イルマークが体験カリキュラムに出かけて、はや一週間。ハーツが教室に姿を現すのは、これまでと同じく授業の始まるぎりぎりの時間だったはずだ。
「あ、やべ。実は人と待ち合わせてるんだよ。じゃあまた、後でな」
アンリの言葉に何を思い出したのか、ハーツは慌てた様子で廊下へと戻り、教室とは逆の棟の方へ走っていった。
「今の人は、アンリさんのお友達ですか」
サンディがやや掠れた声で、アンリに問うた。
「ん? そうだよ、クラスメイト。いつも一緒に昼を食べる仲だよ」
去年は部活動も同じだったという説明を、アンリは省いた。色々と特殊だったらしい魔法研究部のことを説明するのは面倒だったし、なによりサンディがひどく落ち込んだような、どんよりと曇った顔をしていたからだ。
「どうしたの、サンディ?」
「い、いえ……あの、アンリさん。以前、うちのクラスのマリーナちゃんのこと、気にしていましたよね」
ああ、そういえば。とアンリは思い出す。
山岳部に所属する一年二組のマリーナ・トーン。彼女のことを詳しく知りたいと、同じクラスであるサンディたち三人に依頼したのだった。
ハーツが告白されたと言うから、相手がどんな子か、確かめたかったのだ。
それほど前の話ではないが、体験プログラムやら新たな任務やらと、色々と考えることができたせいですっかり忘れ去ってしまっていた。
「うん。そういえばそんな話もしたね」
「アンリさん、マリーナのことが気になってたんですよね?」
今度はコルヴォから、弱々しい声がかかる。
「ええと。まあ、そうだね」
ハーツの交際相手として、問題のない相手かどうか。その点が「気になっていた」のは間違いない。
アンリの答えに、コルヴォとサンディはそろってため息をついた。二人ともどことなく落ち込んでいる様子だ。それでいて、どことなく気遣うような視線をアンリに向けてくる。
「二人とも、どうしたの?」
「アンリさん。期待を持たせても悪いと思うので、単刀直入に言います」
サンディが、なにか重大なことを決心した様子で、きっぱりと口を開いた。
「マリーナちゃんには、付き合っている人がいます。お相手は、さっきのアンリさんのお友達の方ですっ」
重大事件の真相を告げるような口調で言い切ったサンディを前に、アンリは首を傾げるしかなかった。
「……えっと。それは、もちろん知ってるけど」




