(22)
実際どんな様子だったのか、とハーツが興味津々に身を乗り出したのは、昼休みの食堂でのことだった。
「魔力溜まりの近くまでいったんだろ? どんなだった? やっぱり怖えの?」
「……そんなに気になるなら、あなたも行ってみればいいのよ」
アイラが苦い顔で言う。おや、とアンリは目を瞠った。アイラでも、西の森での出来事は「怖い」と感じたのだろうか。
もちろんアンリは、そんな余計な疑問を口に出すことはしなかった。けれどどうやら表情から、アンリの考えていることはアイラに簡単に伝わってしまったらしい。
アイラにじろりと睨まれる。
「なによ、アンリ。私が怖がっていることがそんなに可笑しい?」
「そ、そんなこと言ってないだろ」
「顔がそう言っているのよ。あのねえ、皆が皆、あなたのように非常事態に慣れているわけではないの」
そんなことを思っていたわけではない。ただ、初めてのわりに上手く立ち回っていたアイラが、あの程度で「怖い」と感じていたというのが、アンリにとっては意外だっただけだ。
けれど、なんと言えばアイラの納得する言葉になるのか、アンリには見当もつかなかった。
「それより何が起こったのかを教えてよ。結局、いつまで西の森には入れないの?」
話題を変えたのはウィルだ。なるほどもはやアイラの話など無視してしまえば良かったのかと、アンリはおおいに感心した。そのままウィルの話に応える。
「思った以上に大きな動物がたくさん出たんだよ。鳥獣除けも効かないやつがいて、現場がパニックになったんだ」
「えっ。鳥獣除けって、動物除けのすごいやつだろ? そんなん、突破するやついんの?」
ハイキング時の携帯用につくられた動物除けに比べて、設置して使用する鳥獣除けは大型の動物をも退ける高性能なものが多い。山岳部に所属し、その威力をよく知っているハーツからすれば、驚くべきことなのだろう。
「魔力溜まりの近くなら珍しくはないよ。熊が三十頭、まとめて襲ってきたんだ」
「正確には二十八頭だったって、あとで防衛局の方が仰っていたわ」
「ああそれ、俺が二頭地面に埋めちゃったからだな」
アイラだけでなく、ハーツやウィルからも呆れた視線が注がれる。別に二十八でも三十でも大した違いではないじゃないかと言い訳しつつ、アンリはウィルを見習って、話題を変えることにした。
「ええと、それで、西の森の立入禁止の期間だっけ? たぶん、すぐに解除されるよ」
「あらアンリ、あなた、何か知っているの?」
「うん、俺が対処を任されたから。俺の仕事が終われば、立入禁止も解除」
あっさりとしたアンリの言葉に、もはや呆れて言葉も出ない三人。しかししばらくして、ウィルが何かに気付いた様子で、やや深刻そうに口を開いた。
「……それって、一番隊が動かなければいけないほどの事態ってこと?」
アンリは防衛局線頭部局の一番隊、つまり国家の中で最も戦力の高い部隊に所属している。その隊員が対処に動かなくてはならないほどの危険が西の森にあるのか……ウィルはそれを懸念したようだ。
大丈夫だよ、とアンリは肩をすくめる。
「そこまでのことじゃないよ。そうだな、規模としては九番隊くらいでも良かったとは思うけど。たまたま見つけたのが俺だったから、俺を行かせるのが早いと思ったんだろ」
もっとも体験プログラムへの参加がそもそも仕組まれていたようなものなので「たまたま」という言葉は正確ではないかもしれない。しかし、ウィルが想像するような悪い事態ではないことは確かだ。
「隊を動かすほどじゃないと思ったのもあると思うよ、ほとんど俺の単独任務だし。……あ、ちなみにこれ、内緒ね」
「誰かに言ったところで、トウリ先生くらいしか信じてくれる人はいないよ」
ため息まじりのウィルの言葉に、アンリは「そうかな」と首を傾げた。
隊長からの連絡が入らないままに授業が終わったので、アンリはいつも通りに魔法工芸部へと向かった。近いうちに学園を休んででも西の森に行くことになるのだろうが、それは今日ではないらしい。
魔法工芸部の作業部屋で待っていたのは、どんよりと顔を曇らせた部長のキャロルだった。
「……アンリさんも聞いたでしょう? しばらく、素材採取ができないのよ」
西の森の中にある学園管理地の一角に、魔法工芸部用の素材採取場がある。西の森が立入禁止になったことにともなって、当然、素材採取場にも行くことができなくなった。
「今ある素材を使い切ったら、しばらく新しいものはつくれないから。そのつもりでいてね……」
「キャロルさんは、西の森以外の素材を使っているんじゃなかったでしたっけ?」
「そうなんだけど、西の森の閉鎖で、私がお願いしているいつもの業者もイーダに来られなくなってしまったのよ。本当に、困ったものよね……」
キャロルの口振りには哀愁さえ漂っている。おそらく素材採取ができなくなったというだけでは、キャロルもここまで落ち込みはしなかったに違いない。それよりも、自分の素材が手に入らないことが痛手なのだろう。
「そんなに心配しなくても、きっとすぐに解除されますよ」
「そんなの、わからないじゃないの……」
キャロルはひどく落ち込んでいるが、それを慰めるためだけに「俺が解決するから大丈夫」などとはさすがに言えない。アンリはただ困って「ええと」と話題を変えた。
「設計図を描くとか。素材が無くても、できることはありますから」
「……そうね、そうよね。下絵を描いて、準備だけして。素材が手に入るようになってから超特急で仕上げれば、交流大会にも間に合うわよね……」
どうやらキャロルは、数ヶ月も先の交流大会のために用意する作品が間に合うかどうかを気にしているらしい。さすがに気にしすぎではないかと、呆れたアンリは咄嗟に言葉も出ない。
そこへ、思わぬ助け舟がやってきた。
「まったくキャロルは。そんなに悲観的にならなくたって」
「あら、ロイさん」
部屋に入ってきたのは、元部長である四年生のロイだった。
「部長がそんなに暗い顔をしていると、部員たちが心配するだろう?」
「でも、素材が手に入らなくなってしまったんですもの……」
「長引くと決まったわけではないんだから。そんな顔をしていると、部活動の雰囲気が暗くなってしまう」
ね、とロイが明るく笑うと、キャロルもようやく少しだけ落ち着いたようだ。それもそうねと呟いて、表情を繕うように自分の頬に両手を当てる。落ち込んでいても仕方がない、と開き直ったように言うと、自分の作業台へ戻っていった。
「ごめんなアンリ君、キャロルの愚痴に付き合わせて。部長になる前は、キャロルはもうちょっと楽観的だったと思うんだけど」
「それだけ気負っているんじゃないですか。ロイさんの後だから」
「アンリ君は人を持ち上げるのが上手いね。そういえば、僕のルームメイトがアンリ君に助けられたと言っていたよ。どうもありがとう」
ロイのルームメイト? アンリが首を傾げると、ロイは悪戯っぽく笑った。
「四年一組のヤン・ルカスだよ。防衛局の体験プログラムでアンリ君に世話になったって、言っていたよ」
しまった、とアンリは眉をひそめる。
ヤンには熊を倒す魔法を見られている。たいして付き合いもない先輩だから良いかと放っておいたが、まさかこんなところに繋がりがあるとは。
「た……たまたまですよ。たまたま、上手いこと魔法が当たったんです」
「そうだったの? ヤンはいたく感動していたけれど」
「たまたまです。恥ずかしいから、あんまり言いふらさないように言っておいていただけますか……」
ふうん、とロイは興味深げににやりと笑った。アンリの言葉を信じてはいない顔だ。
けれども「アンリ君がそう言うのなら」と話を広めないことには了承してくれたので、アンリはひとまずほっと息をついた。




