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西の森が立入禁止になったことは、週明けの朝、最初の授業でレイナからクラス全員に説明された。おそらく学園の全クラスで、同じように担任から生徒たちに周知されているのだろう。
「強力な魔力溜まりが発生したことに伴い、しばらく西の森は立入禁止になる。西の門からの街の出入りが制限されるから、気をつけること。間違っても森には行かないように」
事務連絡として書類を読み上げたレイナは、そのまま顔を上げて授業に入った。
「……さて、授業ではまだ『魔力溜まり』について勉強していないが、これは知っている者も多いだろう。魔力溜まりとは何か、答えられるか。アイラ・マグネシオン」
指名を受けて、アイラが起立する。
「魔力が通常の密度よりも濃く集まった場所のことをいうものだと聞いています。魔力溜まりの近くでは、魔力を吸って凶暴化した動物が発生しやすく、危険なため近寄るべきではないと教わりましたわ」
「宜しい。補足すると、野生の動物は魔力に惹かれる性質があり、強力な魔力溜まりの近くにはそもそも動物が集まりやすい。そうした動物が魔力を吸った場合、どのように変容するか。具体的に答えられるか、ウィリアム・トーリヤード」
アイラが着席するのと入れ替わりで、ウィルが立ち上がる。
「凶暴化……具体的にはより多くの魔力を求めて、周囲の動植物を積極的に襲うようになります」
「正解だ。あわせて、外見はどのように変容するか」
「多くの動物が、元の色よりも黒っぽく変色します。それから、身体の許容量を超える魔力を吸った場合に、巨大化することがあります」
宜しい、と応えてレイナはウィルに着席を促す。それから全員に教本を開くようにと指示をした。示された頁には魔力溜まりについての概要が載っていて、魔力を吸った動物の姿の特徴も描かれている。
「おおまかな外見の特徴は、今、ウィリアムが答えたとおりだ。そのほか細かい点で、目の充血、爪の硬質化なども見られる」
それから、とレイナは教本の端の方に小さな文字で書かれた補足を読み上げる。
「魔力を吸った動物は凶暴化にあわせて、通常とは違った行動を見せることがある。たとえば通常は集団行動を取らない動物が群れをつくったり、逆に通常は群れで動く動物が集団から離れることもある。こうした行動の変容は必ず起こるというわけではなく、凶暴化した際に、稀に起こる現象だ。……さて、ここからは教本には載っていないことだが」
そう言って、レイナはぱたりと手元の教本を閉じた。
それにあわせて生徒たちも、教本を閉じる。ここで開いたままだと「載っていないと言っているだろう」と喝が入るのだ。二年生になってしばらく経つ。アンリを含めて新たに一組に入ったメンバーも、さすがにレイナのやり方を学びつつある。
全員が教本を閉じたことを確認してから、レイナは続ける。
「動物が魔力溜まりに入って魔力を吸ったときの変容は、今の話の通りだ。それでは、人間が魔力溜まりに入ったときにはどうなると思う? アンリ・ベルゲン」
指されてアンリは立ち上がる。
「ええと、短時間であれば問題は出ませんが、長時間の滞在で自分の器を超える過剰な魔力を吸収すると、全身が損傷し、場合によっては死に至ります」
「……凶暴化や巨大化をしない理由は?」
「人間を含めて知能の高い動物は凶暴化しにくいことが知られていますが、理由はわかっていません。巨大化しない理由も定かではありませんが、人間の身体が巨大化に耐えられる形状ではないからという説が有力です」
宜しい、と許されてアンリはほっと安堵して席に着く。
「今、アンリの言ったとおりだ。魔力溜まりに人が入り込んで死亡する事故は、年間数件発生している。魔力溜まりは目に見えるものではないが、近付けば魔力溜まり特有の動物の出現が増える。感覚が鋭い者であれば、周囲の魔力の密度が上がることにも気付けるだろう。そうした場所に近付いた場合は、早めにその場を離れることが大切だ」
はい、と生徒たちから声が上がる。こういう大事なところでちゃんと返事をするのも、レイナの授業を受けるにあたって重要なポイントだ。
「さて、魔力溜まりについては以上だ。何か質問は?」
「先生、近付くことができないなら、魔力溜まりというのはどうやって対処をするんですか?」
こういうときに質問があがらないのもまた宜しくない。「本当にわからないことは何もないのか」と、突然小テストが始まることがある。そんなわけで生徒たちは輪番で手を挙げることにしていて、今日は教室前方に座る女子の番だった。
自分の番だからと咄嗟に考えた質問のはずだが、レイナの話さなかった部分をしっかりと突いている。
「良い質問だ。対処は防衛局で行うが……そうだな、そもそもまず、魔力溜まりがなぜできるか、その原因の主なものを知っている者はいるか?」
レイナが教室をぐるりと見回すのにあわせて、アンリも教室内の様子を伺った。誰も手を挙げない。仕方がないから、アンリは手を挙げる。
先程、教本に載っていない知識を披露したばかりだ。あれだけ知っていて魔力溜まりの原因を知らないというのは、説得力がないだろう。
そしてこの場合、知っているのに手を挙げないことをレイナは許さない。
「魔力溜まりは高い魔力を有する物質を核として、魔力が集まることで発生します。主な核としては、魔力の多い動物の死骸、樹齢が千年を超える樹木などがあります」
「そうだな。……あとはあまり知られていないが、岩石にも若干だが魔力を蓄える性質がある。いったん魔力溜まりに呑まれて過剰な魔力を蓄えた岩石は、その魔力溜まりが解消した後に、新たな魔力溜まりの核となることがある。これも覚えておくといい」
はい、とアンリは大人しく頷いた。もちろん知らないわけではない。「主なもの」と言われたから含めなかっただけだ。
けれどそんなことを主張して、波風立てるつもりはない。
「さて、そこで魔力溜まりの対処方法だが」
アンリの対応が功を奏して、レイナの話はそのまま続いた。
「小さな魔力溜まりであれば、対処が必要ないことも多い。何者かが魔力を全て吸い切ってしまえば、そうした魔力溜まりは自然消滅する」
西の森にはそうした魔力溜まりがよく発生する、とレイナは補足した。西の森には動物が多く、その死骸から魔力溜まりが発生することも多い。一方で魔力を吸い出す動物も多いため、そうした小さな魔力溜まりは自然消滅しやすいのだ。
だからこそ、西の森で本格的な「対処」が行われることは少ない。
今回の十六番隊の作戦も名目としては調査であり、実質的には増えすぎた動物の間引きを目的としたものだった。魔力溜まりそのものへの対処は「必要に応じて実施する」程度の扱いだったはずだ。
ところが実際に見つかった魔力溜まりが、対処が必要であり、かつ十六番隊では対処しきれない大きさであったから、話が変わったのだ。
「自然消滅の見込めない大きな魔力溜まりの場合には、防衛局の戦闘部局で対処を行う。具体的には、周囲の魔力を吸い込まないよう結界魔法などで身体を覆った戦闘職員が魔力溜まりに入り、核となる物質を取り出して破壊する、という作業になる」
魔力溜まりが大きい場合には、周囲に溢れる凶暴な動物に対応しながら、それをしなければならない。結界魔法で身を守る時間も長時間にわたるため、高度な魔法技術が必要となる。
そうした詳細な説明を淡々とこなすレイナを眺めながら、アンリはやや感心していた。レイナは戦闘職の出身ではないはずなのに、具体的なところまでよく知っている。教師として生徒に教えるために、調べたのだろうか。
「この中には将来、防衛局に戦闘職員として入る者もいるだろう。そうした危険な任務があることも、理解しておくように」
ほかに、とレイナが質問を促した。手は挙がらない。ひとつでも質問が出れば、レイナが厳しく言うことはない。
案の定レイナは「では次に」と、教本の別の頁の説明へと話を移した。




