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 寮に戻ったアンリは、すぐに通信魔法を隊長に繋げた。


『どうしたアンリ、早いじゃないか。体験プログラムは?』


「その様子だと、まだ報告が入っていないんですね。作戦は中止になりました」


『へえ、そんなに大変だったのか』


 気軽に応える隊長の声に、深刻さはない。

 アンリがいるのだから最悪の事態にはなりようがないと、たかを括っているのだろう。


 信用してもらえるのは良いが、もう少し事の重大さを認識してほしい。そんな思いでアンリは続ける。


「あれは、一桁の隊が扱う案件ですよ。十六番隊じゃ荷が重いし、学園生を参加させるようなものじゃない」


 防衛局の戦闘部隊は一番隊から三十番隊までに分かれていて、基本的には数字が若い方が戦闘力は高い。十六番隊は、数字が示す通り全体の中位だ。


 通常の魔力溜まりなら問題ないだろうが、西の森でできた魔力溜まりは、もはや通常からは程遠い。十六番隊に任せてよい案件ではなかった。


 ここまで言うと、ようやく隊長の声にも真剣さがあらわれる。


『それほど大きな魔力溜まりができているのか?』


「大きいかどうかはわかりません、実際に見てはいませんから。でも、近くまで行っただけでも密度の濃い魔力が溜まっていました」


 なるほどと呟いた隊長は、ひと呼吸だけ考える間を置いた。その間に、アンリの胸には嫌な予感が広がる。


『……それほどの魔力溜まりを長期間放っておきたくはないが、あいにく、大きく動かせる一桁の隊が今はない。アンリに対処を任せても良いかな?』


 嫌な予感は、見事に的中した。やっぱりな、と口をへの字に曲げつつも、それが一番効率的なのはわかっているので文句は言いようがない。


「良いですけど。単独ですか?」


『いや、一人くらいは補助をつけよう。誰か適当に選んで送るから、それまで待ってくれ』


 言葉にはしないが、隊長は「万が一」を想定しているのだろう。西の森の魔力溜まりの場所や詳しい情報は、アンリしか知らない。今アンリを一人で行かせたら、万が一アンリが任務に失敗した場合に、魔力溜まりがどこにあってどれほどの脅威なのか、誰にもわからなくなってしまう。


「わかりました。代わりに、明日の体験プログラムは中止にしてもらえますか」


 強すぎる魔力溜まりの影響で、西の森はもはや危険な森と化している。


 まず、動物の数が異常に多い。いくらどこにでもいる蛇や鼠といっても、倒しても倒してもどこかから湧いて出るかのように無限に襲い続けてくるのは、異常と言うほかない。

 さらには外から流れてきたと思われる狼。加えて本来集団行動を好まないはずの熊が、鳥獣除けの魔法器具を突破して襲ってきた。


 体験プログラムでこんな作戦にあたってしまった学園生にも、学園生の面倒を見つつ異常に対処しなければならなかった十六番隊にも、同情を禁じ得ない。


『わかった。アンリの対処が終わるまではプログラムだけじゃなく、一般の立入を全て止めよう。来週中には補助の職員を向かわせる。早めに片付けてくれ』


 わかりましたとアンリが了承の返事をして、通信は終わりとなった。






 そろそろ日も暮れるという頃合いになって、アンリは寮の応接間へと呼ばれた。やってきたのはレイナで、寮の中ではアンリのほかに四年生のホーマーとヤン、三年生のスグル、つまり今日の体験プログラムに参加していた男子が全員呼ばれていた。


「明日のプログラムは中止になった。西の森は、しばらく立入禁止だ」


 簡潔に告げるレイナの言葉に、上級生たちは安堵の表情を見せた。アンリも初めて聞くふうを装いながら息をつく。


「先生。西の森は、いったいどういう状況なんですか。立入禁止はいつまでですか」


 尋ねたのは、三年生のスグルだ。


 レイナはいつも通り、淡々と答える。


「今回の調査で、想定よりも大きな魔力溜まりがあることがわかった。対処には防衛局の別の隊が動くらしい。危険度を考慮して、対処が終わるまで一般の立入は禁止と聞いているが、期間は不明だ」


「せ、先生……その、あの動物たちが森を出て、街まで来るということは」


 怯えた様子で問うたのは、四年生のヤン。彼にとって今日の体験は、よほど恐ろしいものだったらしい。


 レイナは叱ることも馬鹿にすることもせず、彼の問いにも淡々と答えた。


「野生の動物には、魔力溜まりに惹かれる性質がある。森を大きく離れることは考えにくい。塀に囲まれた街の中にまで入ってくることは、まずないだろう」


 よかった、とヤンはため息混じりに言った。四年生の参加者は二人とも防衛局戦闘部への就職が内定しているとの話だったが、このヤンという学園生は、そのわりにはずいぶん臆病な性格をしているらしい。


「しっかりしろよ、ヤン」


 ヤンの横から、ホーマーが明るく声をかけた。


「そんなんじゃ、憧れの防衛局の人に笑われるぞ?」


「う、うん。そうだよね……そうだ。先生、防衛局の別の隊というのは、具体的に何番隊がくるんですか?」


「知らされていない。どの隊であろうと、森の状況に対応できる隊が派遣されるはずだから、心配することはない」


 突き放すようなレイナの言葉にヤンは「そうですよね」とやや肩を落として頷いた。






 レイナが帰った後、部屋に戻ろうとしたアンリはヤンに呼び止められた。


「アンリくん。昼間は、どうもありがとう」


「いえ。先輩に怪我がなくてよかったです」


「……アンリくんはすごいね。あんな場面でも、落ち着いていて」


 この言葉には、アンリも何と返せば良いのか悩む。まだレイナに何も言われてはいないが、あの場でヤンを追いかけたアンリの行動は、少なくとも中等科学園生としては危険で無謀だった。きっとそのうち、呼び出されて説教されることだろう。


 そのときになんと言い訳するか。アンリもパニックになっていたからと誤魔化すか、先輩が心配で仕方なかったと正義漢ぶるか、なんとかする自信があったと正直に申告するか……どういう話にするかによって、ヤンへの答えも変わってくる。


 ところがアンリが悩んでいるうちに、ヤンは勝手に頷きながら、話を進めてしまった。


「僕は全然、ダメなんだ。魔法力には自信があるけれど、いざとなると、今日みたいに慌てちゃって……憧れの防衛局に入れることは決まったけど、こんなんじゃ、きっと防衛局でも役に立たない」


 たしかに役に立たなそうではあるが、それを真正面から告げるほどアンリも非情ではない。代わりに、話題を逸らすことにする。


「防衛局の何に憧れているんです?」


「実は僕、初等科のときに街の外で迷子になってね。そのとき、防衛局の人に助けてもらったんだ」


 アンリの振った話題に、ヤンは気持ちが良いほどに食いついた。ため息混じりだった口調が、一気に明るくなる。


「迷子になって、暗くなってきちゃって。狼の遠吠えなんかも聞こえてきて、本当に怖かったんだ。もう家に帰れないかもしれないと思った。そんなときに、防衛局の人が、助けに来てくれたんだ」


 よくある話だ、とアンリは思う。ハイキングに出かけた先で子供が迷子になって……そんな通報は多い。たいていは、二十番前後の隊が対応するが。


「どんどん辺りが暗くなって、道もよく見えなくなってきたところに、防衛局の人が駆けつけてくれたんだ。救世主だと思ったよ。親のところに戻るまで、ずっと手を繋いでいてくれた。……後から聞いた話だけど、そのときその辺りには、危険な動物がうろついていたみたいでね。その人は動物駆除の任務できていたのに、僕の保護を優先してくれたらしいんだ」


 危険動物の駆除のために派遣されていたその職員は下の方の隊の人間ではなく、当時防衛局の五番隊に所属していたケイティ・カレリアという女性職員だったという。


 聞いたことのある名前だな、とアンリは思った。たまに任務を共にする戦闘職員だ。今は二番隊に所属している。

 もちろん、そんなことは言わないが。


「僕は今日みたいにパニックになっちゃってて、そのときはちゃんとお礼も言えなかったんだ。いつかもう一度会って、お礼を言いたいと思って」


 それで勇気を出して、防衛局への就職を希望したのだという。魔法力の高さもあり、臆病な性格さえどうにかできれば防衛局でも働けるだろうと思ったらしい。


 生来の性格をどうにかすることのほうが、魔法力を鍛えるよりもよほど大変なのではないかとアンリには思えるが、指摘はしない。

 きっとヤンもそんなことはわかっていて、それでもなお防衛局を志望しているのだ。


「会えるといいですね」


「うん。今はこんなだけれど、会えたときに恥ずかしくないように、僕も頑張ろうと思っているよ。彼女のように、優しくて頼りになる戦闘職員になりたいんだ」


 なれるといいですねと相槌をうって、アンリはヤンと別れた。


 生来の性格を変えるのはきっと難しい。だから「なれますよ」などと無責任なことは言えないが、ヤンの目は目標を真っ直ぐに見つめているようだった。案外、頑張ればなんとかなるかもしれない。


 そのうち機会があれば、ケイティを紹介してみようか。

 それがまた、ヤンの頑張りを後押しすることに繋がるかもしれない。


 アンリはそんなことを考えた。

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