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週末の朝早く、アンリはイーダの街の西の門に来ていた。いつも学園に行く時間よりもずいぶん早いが、集合時間がそう設定されているのだから仕方ない。
わずかに暗さの残る明け方の西の門には、既に防衛局の十六番隊の人たちと、中等科学園の生徒たちの半数以上が集まっている。案の定というか当たり前というか、防衛局の十六番隊にアンリの知った顔はいない。
その代わり、中等科学園生の参加者の中にはアンリの知り合いがいた。
「スグルさん」
アンリが声をかけると、振り返った彼はぎょっとしたようだ。なんで君がここにいるのか、と言わんばかりの視線にアンリも苦笑するしかない。
スグルは昨年の防衛局研究部の体験カリキュラムに一緒に参加した、アンリよりひとつ年上の先輩だ。体験カリキュラム中のちょっとした事故で、アンリが上級魔法戦闘職員であることを知られてしまった相手でもある。
だからこそ彼は、なぜアンリが今さら戦闘部の体験プログラムなどに参加するのかと、驚いたに違いない。
「おはようございます。三年生の参加者はスグルさんなんですね」
「ああ、うん。おはよう。俺ともう一人、ウィロウ・ランゲルっていう女子だよ」
サニアではないのか、とアンリは同じく体験カリキュラムで知り合った先輩のことを思い出す。たしか去年の体験カリキュラムのとき、サニアとスグルが学年のトップだと言っていたように思うが。
アンリの疑問に気付いたらしく、スグルが言い足した。
「成績順ならサニアなんだけど。彼女は野外作戦に興味が無いと言って、断ったんだ。アンリ君が参加すると知っていれば、来たかもしれないけれど」
「そうなんですね。俺も断ろうと思ってたんですけど、俺が断っても、代わりに推薦する人がいないって先生が言うから」
「ああ。二年の今の時期だと、まだそうかもしれないね」
スグルが納得した様子で頷く。授業で一年間しっかりと魔法の訓練を積んだ三年生であれば、実践的な魔法を使える生徒も少なくない。しかし二年生ではまだ、魔力量の多さや使える魔法の威力ばかり目立つ生徒が多く、その魔法は必ずしも実践的ではない。
「……俺は、ウィルならいいんじゃないかって思うんですけどね」
「あとは、実践的にできるというところをどれだけ先生にアピールできるかだな」
たしかに、いかに実践的な魔法が使えようと、その事実が先生に知られていなければ推薦はされない。
思えばアンリがウィルの魔法力を知っているのは、日々生活を共にしているからだ。日々の生活の中でウィルがどれほど巧く魔法を使っているか。毎日の訓練でウィルの魔法制御がどれほど向上したか。それを知っているのは、アンリだけなのかもしれない。
(……いや、ウィルは去年からずっと、レイナ先生のクラスなんだ。あの先生が、気付かないはずがない)
だとすれば、ウィルほどの魔法力があっても今回のプログラムには足りないと、レイナが判断しているということか。あるいは、何か別の考えがあるのか。
(どのみち隊長の意向があるから、俺も断ることはできなかったんだけど)
しかしそんなことを言えば、今回のプログラムに関してスグルに不安を与えるだけだろう。
「ま、どのみちもう参加することには決まったんだし、今さら考えても仕方ないね。今日はよろしく」
そう言って笑うスグルを安心させるためにも、アンリは余計なことを言わずにプログラムの開始を待つことにした。
プログラムに参加することになったのは、二年生からアイラ・マグネシオン、アンリ・ベルゲン。三年生からスグル・ウォルゴ、ウィロウ・ランゲル。四年生からホーマー・カルソン、ヤン・ルカス。
四年生の男子二人は、来年から防衛局の戦闘部に就職することが既に内定しているという。
引率教員として参加するのは二年一組の担任であるレイナ・ストランドと、三年一組の担任であるジェームズ・ライト。四年生の担任は含まれないようだ。経験の浅い二、三年生を心配しているということだろう。
「さあ、みんな。集まっているね」
時間になると、防衛局十六番隊の集まりから一人が中等科学園生の側にやってきた。背が低く小柄だが、鍛えていることのわかる筋肉質の女性だ。
「私はティア・アナデイル。防衛局戦闘部十六番隊第一班の班長だ。あちらの集団の中にいる金髪の男、あれが副班長のウィン・ガンベル」
隊員たちになにやら指示を出している様子だった男性が、一度だけ学園生の方を見て会釈した。こちらもいかにも肉体派という、がっしりした身体をしている。
「私たちが今回の作戦の指揮をとる。君たちに直接指示を出すのは先生方になると思うが、何かのときには私たちからも直接声をかけるから、そのつもりでいてくれ」
それからしばらく、事前に配られた資料の内容と重複する説明が続いた。
日程は二日間。ただし野宿はなく、学園生たちは夕方いったん帰宅して明朝改めて再出発となる。プログラム中は学園生二人と教師または防衛局の戦闘職員一人の三人組で動くこととし、三人は絶対に離れないこと。
三人組は連携を意識して同学年同士とその担任教師で組むことになっており、四年生二人に戦闘職員が付く。アンリはアイラ、そしてレイナと組むことになっている。
一日目の最初は、学園生は戦闘には参加せず、戦闘職員による戦闘を後方から見学することになっている。その後、動物の危険度を見ながら戦闘に参加することになる。アンリからすれば過保護ではないかと思えるほどの慎重な進め方だが、中等科学園生を対象とした初めての試みであることをふまえると、仕方ないのかもしれない。
「それでは、時刻になったら出発する。それまで各組の中で挨拶と情報の共有を済ませておいてくれ」
こうしてティアの挨拶と説明が終わると、まだ森には入っていないながら、学園生たちの間では作戦開始の緊張感が一気に高まった。
もちろんアンリも、緊張しているふりをした。
西の森に入ってしばらくは、学園管理地へ向かうのと同じ道をたどった。事前の資料通りなら、学園管理地に至る少し手前で道を左に外れることになっている。
危険動物が多く現れるのは、道を外れてからだろうと予測されていた。これまでの目撃証言が、学園管理地への道沿いよりも、森を抜ける道や森の奥へ向かう獣道の方に多かったからだ。
ところがいざ足を踏み入れてみると、道を逸れる前にも、兎や狸など、小型の動物が飛び出してくることは多かった。
「……情報と違うのね」
前方で戦闘職員たちが凶暴化した狸を相手に魔法攻撃を仕掛けるのを見つめながら、アイラが言う。
「よくあることだよ」
アンリは前方に目を向けながら、軽く応えた。
「目撃証言っていうのは、基本的には動物除けを持って森に入った人たちからの情報だ。動物除けを持っていれば、あのくらい小型の動物は襲ってこない」
それに対して危険動物の調査と駆除を目的とする作戦中は、動物除けなど使用しない。だから、事前情報と実際の動物の出現状況とに、差が生まれる。
アンリの簡単な説明に、アイラは納得した様子で頷いた。そんなアイラの後ろから、レイナが口を出す。
「アンリは詳しいな。資料には書いていないはずだが。誰かから教わったのか」
うっ、とアンリは言葉を詰まらせた。初心者のアイラに色々教えてやろうという気持ちがあって、つい、いつもの調子で話してしまった。しかし、レイナもいるのだということを忘れてはいけなかった。
「え、ええと。俺に魔法を教えてくれた人が、そういう話をしてくれて」
下手な嘘では、この鋭い教師を騙すことはできない気がする……そう思って、アンリは嘘にならない範囲で答えた。嘘ではない。防衛局での仕事を始めた頃、面倒を見てくれた先輩たちが教えてくれたことだ。
そのあと身をもって何度も体験しているので、もはや教えてもらった知識というよりは、身に染みた経験といった方が正しくはあるが。
「なるほど。君の指導者は、戦闘職の経験のある方なのかな」
「え、ええと、まあ、たぶん」
ほとんどが今でも現役です……などと余計なことはもちろん言わずに、アンリは口を閉ざした。呆れた様子のアイラの視線も甘んじて受け入れて、反論はしない。
幸いなことに、私語を慎んで前進することを優先させたのか、レイナがそれ以上細かくアンリの指導者について問うことはなかった。
(レイナ先生に勘付かれないように、言動には気を付けないと……)
このプログラムにおける行動指針を、アンリは今さらながら自分に言い聞かせた。




