(8)
アンリが防衛局での用事を済ませてイーダに戻った翌日、週明けの日の昼休み。
アンリたちは食堂で昼食をとりながら、ハーツの珍しい相談に興味津々に耳を傾けていた。
「一年生の女子から告白されたっ?」
「ばか、アンリ。大きな声で言うなって」
ハーツに言われ、アンリは慌てて両手で口を押さえる。食堂は全学年共通だ。どこで誰が聞いているかわからないこんな場所で、大きな声で話してよい内容ではない。
「それでそれで? 相手はなんていう子? いつの話?」
「一年生なんて、いつの間に知り合ったのですか」
マリアとイルマークがやや気を遣った小声で、思い思いに尋ねる。ハーツと寮で同室のイルマークにとっても、この話は初耳らしい。
矢継ぎ早に問われても、ハーツが機嫌を損ねることはなかった。むしろ決まりが悪そうにしつつも、笑みをこらえるような満更でもない顔をして、小さな声で答える。
「山岳部の部活動でさ。あ、山岳部って、魔法系じゃないから一年でも入れるんだけど。ちょっと前に、近くの低い山にハイキングに行って、それで……」
動揺のせいか要領を得ないハーツの話をまとめると、どうやら山岳部でハイキングに行った際、転んで足を痛めた彼女を介抱したことが親しくなったきっかけらしい。以来、部活動で顔を合わせるたびによく話をしていたのだが、ちょうど今朝、中庭に呼び出されて好意を告げられたのだという。
相手は一年二組のマリーナ・トーン。アンリたちには聞いたことのない名前だった。
「俺、こんなの初めてなんだよ。初等科でもこんなこと言われたことなかったし。どうしたらいいのか、わかんなくて」
「今朝はなんて答えたの?」
普段は大人しいエリックでさえこの話には興味があるようで、身を乗り出してハーツに尋ねた。むしろハーツの方がしどろもどろになって、恥ずかしそうに俯きながら「しばらく考えさせてって言ってある」などと言う。
……孤児院にいた頃、同級生に告白されたと言ってもじもじと友人に相談していた女の子がこんな感じだったかな、とアンリは懐かしく思った。女子だろうが男子だろうが、どんな人でも恋の悩みとは同じようなものらしい。
ところがほかの友人たちは、そうは思わなかったようだ。
「ええー。ハーツ君って、意外に意気地が無いんだねえ」
「マリアちゃん、言い方が……」
「たしかにハーツらしくないよね。ハーツなら、その場で即決するかと思った」
「まあ、これでいてハーツには優柔不断なところがありますからね」
散々な物言いに、ハーツはどんどん項垂れていく。けれどそれすら落ち込むというよりは照れているいった様子で、相談とは言いつつも、少なくとも本人の中で結論は出ているのではないかと思われた。
そんな彼の様子を見て、マリアが小声ながらもズバリと指摘する。
「ハーツ君、相談っていうか、のろけたいだけでしょ」
「い、いやいや。そうじゃなくて」
さすがにハーツも慌てたようで、早口になる。
「本当に、どうしたらいいかわかんないんだって。俺、好きだなんて言われたの、初めてなんだ。そりゃ、あの子のことは嫌いじゃねえよ。好きか嫌いかって言われれば、好きだよ。でも、そんなんでいいのか? 俺はどうしたらいいんだ?」
「好きなら好きって、言えばいいでしょ」
「それで、そしたら? 好きって言ったら、その後は?」
マリアの助言にも、ハーツは不安げに問い返すだけ。そう熱心に問われると、マリアも答えには窮すようだった。
「し、知らないよ……私だって、そんなの友達から聞いたことくらいしかないもん」
「僕たちにそういうのは、期待しない方が良いよ」
苦笑しながらマリアに助け舟を出したのはエリックだ。
「僕もマリアちゃんも、最終的には親とか親戚とかの決めた相手と結婚するんだ。もちろん例外だってあるけど……でも、恋愛なんて余程のことがない限り考えもしないよ」
貴族とはそういうものか、とエリックとマリア以外の四人は目を丸くする。気まずくなったらしいエリックは、話題をアンリの方にそらした。
「アンリ君はどうなの?」
「俺にそんなことがわかると思う?」
咄嗟に疑問形で言い返してしまったが、それだけで全員に伝わったようだ。
初等科学園に通ってさえいないアンリだ。中等科学園に入学するまで、孤児院以外では同年代の集団に混ざったことさえなかった。初等科学園に通う孤児院の兄弟姉妹たちから惚気話を聞くことはあったものの、アンリ自身には恋愛を意識した経験がない。
聞く相手を間違えたことに気づいたエリックは、そのまま横に視線を移した。
「イルマーク君は?」
「私もさっぱりですね。初等科では変わり者と思われていて、友達さえあまりいませんでしたから」
そう言って肩をすくめるイルマーク。気を悪くした様子はないが、この話をどこまで追及して良いのかはわからない。
またしても聞く相手を間違えたと思ったらしいエリックは、最後の砦たる相手に視線を移した。
「ええと、ウィル君は」
「……恋愛なんて、それぞれだから。僕にどんな経験があったって、ハーツの参考にはならないよ」
これは経験者の言だろう。
ついに何かしら良い話が聞けるかと、ハーツやエリックばかりでなく、マリアもイルマークもアンリも、皆でウィルの顔を覗き込んだ。ところがこういうときに周囲の視線をさらりと受け流すことができるのがウィルだ。
「僕のことよりハーツのことだよ。ねえ、好きなら好きって言ってあげなよ。その後のことは、二人で話し合って決めればいいじゃないか」
「ええーっ。ウィル君の話聞きたいよお」
「そんな関係のない話をしていたら、昼休みが終わっちゃうよ。ねえ、ハーツはその子と二人で出かけたことはあるの?」
マリアの言葉を無視して、ウィルはハーツだけを見て問う。ウィルの話を聞きたがっていたハーツだが、元々自分の持ちかけた相談ではあるし、真正面から問われれば答えないわけにもいかないと思ったのだろう。律儀に首を横に振って答える。
「いや。ないけど……」
「じゃあ、まずは出かけてみたら」
にっこりと笑って、ウィルは言った。
これで、流れは完全にウィルのものになった。
「まずは相手を知るところからだよ。一緒に出かけて、よく話して、なんなら今後どうしたいのか、相手に聞いてみたら」
なるほどその手があったかと、ハーツは大いに納得した様子で頷いた。もしも手元に紙とペンがあったなら、その場でメモでも取っていそうな熱心さだ。
そういうものかとエリックやマリアでさえ、感心した様子で聞き入っている。
「ウィルはこういうことに慣れているのですね」
「……イルマーク、その言い方は、僕が遊び人か何かみたいに聞こえるんだけど」
「違うのですか」
「ち、違うよ!」
珍しく慌てたようなウィルの様子に、皆で大笑いする。
ひとまずハーツの今後の方針は、ウィルの言葉によってどうにか定まったようだった。
午後の授業と部活動を終え、寮に戻ってからも、アンリには昼休みの珍しい話が気にかかっていた。
「ウィル、昼のハーツの話だけどさ」
「ああ、一年の女の子の?」
「相手はいったいどんな子なんだろう。ハーツがあんなに嬉しそうにするくらいだから、きっといい子だよね」
さあねと首を傾げたウィルは、笑いながらアンリを見た。
「そんなこと、会ってもいないのにわからないよ。放っておいてあげなよ。なるようにしかならないんだし」
どことなく経験者の余裕を感じさせるウィルの言葉に、アンリはそういうものかと口を閉じる。
黙って思い返すのは孤児院にいた頃のこと。初等科から帰ってきた女の子たちが、仲間内の一人を気遣ってあれこれと言葉をかけていた。「ひどい奴だったね」「悪い男にひっかかったんだよ」「忘れちゃいなよ」「中等科学園に行けば、また良い人が見つかるよ」……ありがとう、そうだね、気にしないことにする、と気丈に言ってみせた子は、それでもひどく落ち込んでいるようだった。
恋愛と言えば、アンリにとって一番に思い出すのがそのときのことだ。
ハーツは明るく大らかで、周りを楽しくさせてくれる気の良い友人だ。そのハーツが、あのときの女の子のように落ち込むことがあってほしくない。
「一年二組って言ってたっけ」
「一年二組のマリーナ・トーン。ねえアンリ、少なくとも、あまり話を広めることだけはするなよ。ハーツが小声で相談していた意味はわかっているよね? あまり首を突っ込んで引っかき回したら、彼女もハーツも可哀想だよ」
くどいほどのウィルの念押しに、アンリは「わかっている」と神妙に頷いた。
わかっている。少なくとも結論が出るまでは、ハーツが好意を告げられたという事実は、隠しておかなければならない。
それでもアンリは、マリーナ・トーンのことを知っておきたいと思った。
万が一にも、ハーツが悲しい思いをしないように。彼女の人柄を見定めておきたい。
ハーツのことが広まらないように。それからハーツやマリーナにも知られないように。
気を付けて探ろうと、アンリは心に決めた。




