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(5)

 週末に、アンリは防衛局の本部を訪れた。


 通信魔法でも良かったのだが、思えば年始に顔を出して以来、しばらく本部に足を運んでいない。隊長に会うことを口実にして、アンリには本部に顔を出したい理由が二つほどあった。


 そのうちの一つが、可愛い弟分の顔を見ること。


「マラク! 元気にしてたか?」


 防衛局本部内の奥、一番隊の執務室のある区画の東端の部屋。アンリがその部屋の扉を開け放つと、中からアンリと同じくらいの背丈にまで育った子ドラゴンが、勢いよく飛びかかってきた。


 愛する弟分の体当たりを、アンリは全身で受け止める。大きくなった身体を抱き上げることはもうできそうにないが、体重はまだせいぜい人間の大人一人分程度。アンリであれば、体当たりくらいは簡単に抱き止めることができる。


「大きくなったなあ。皆の言うこと、ちゃんと聞いてる? 可愛がってもらってる?」


 マラクはキュイッ、キュイッと、アンリの言葉のひとつひとつに頷くように鳴き声を返す。身体が大きくなったのに合わせて、声もやや低くなっただろうか。それでも甘えるようにアンリに頬を擦り寄せる姿は、まだまだ子供らしい。


「やっぱりアンリに一番懐いてるんだよなあ。普段餌やってるのは俺たちなのに」


 そうつまらなそうにぼやくのは、一番隊に所属するアンリの同僚だ。執務室の近くで飼育しているこのドラゴンの世話は、一番隊の隊員たちが輪番で担当しているという。


「最初に会った人間が俺ですからね。親か兄弟かみたいに思ってるんじゃないですか。でも、皆にも懐いているんでしょう?」


「そりゃあな。ほらマラク、散歩行くぞー」


 そう言って彼は、持っていた太いロープをマラクに見せる。するとマラクはアンリに頬擦りするのをやめて、大人しくすいっと首を伸ばした。首元に、以前アンリがつけてやった魔力の放出を抑える首輪が光る。


 その首輪にロープが取り付けられると、大人しくしていたマラクは、一転して翼をパタパタと羽ばたかせ、尾を振ってわかりやすく喜びを表現した。


 キュイッキュイッと、何度も嬉しそうに声をあげる。


「マラクは散歩が好きなんですね」


「体も大きくなったから、もう部屋の中じゃ物足りないんだろうな。外なら飛ぶ練習もできるし」


「えっ。もう飛べるんですかっ」


 大人のドラゴンは、大きな翼を使って空を飛ぶ。子ドラゴンがいつ頃飛べるようになるかをアンリは知らないが、よく見る大人のドラゴンに比べると、マラクの翼はまだだいぶ小さい。そんな翼で飛び立って、本当に体を支えられるのか。空から落ちはしないかと、アンリは強く不安を抱いた。


 そんなアンリを見て、同僚が笑う。


「心配性だな。大丈夫、まだ真似事くらいだよ。でもそろそろ、いつでも飛んだり跳ねたりできるところに飼育場所を移した方がいいんじゃないかな。隊長がときどき周りと相談しているみたいだけど」


 今のマラクの部屋は屋内。人間用に作られた建物内の一室だから、部屋の広さも天井の高さも当然人間用だ。


 まだ体の小さい今でこそ飼育部屋として使えているが、もう少し大きくなれば、窮屈になるに違いない。専用の小屋か何か……できればマラクの意思で外に出て大きく動き回れるような、庭付きの飼育小屋があると最良だ。


「防衛局の敷地内ですか?」


「大人しいとはいえドラゴンだから、できれば敷地内でって考えているらしい。人里離れた山奥って話もあるけど、研究部が反対しているらしいよ。研究対象として近くに置いておきたいんだって」


 ふうん、とアンリは複雑な気持ちで相槌を打つ。これだけ人に慣れたマラクを人から離れた山奥に住まわせるのは可哀想だ。「研究対象として」という理由は気に入らないものの、研究部には頑張ってほしい。


 散歩の準備が済んでいるにもかかわらず会話にふける二人を見て、マラクがピィピィ鳴きながら、翼をばたつかせた。


「はいはい、行こうな。アンリはどうする? 一緒に外に行くか?」


「いや、俺は隊長と約束があるので。……またな、マラク」


 アンリが手を振ると、マラクはキュッと短く鳴いて、手の代わりに尾をパタパタと振った。






 廊下の角を曲がったところで、アンリは奥からやってくる知った顔を見つけて、あっと声をあげた。


「トウリ先生」


 向こうからやってきたのは、昨年までアンリの担任教師であったトウリだ。学園で見るときと違って、防衛局指定の戦闘服に身を包んでいる。防衛局での仕事を新たに始めるとは聞いていたが、まさかこんなに早く、この場所で会う機会に恵まれるとは。アンリはやや嬉しく思って手を振った。


 一方でトウリはアンリの姿を認めるなり、不機嫌そうに表情を歪める。


(手を振るのはまずかったかな)


 反省して手を下ろしたアンリは、そのままトウリに駆け寄った。


「先生、お久しぶりです」


「久しぶりだな、アンリ。会うのは久しぶりだが、噂なら聞くぞ。訓練室を壊したらしいじゃないか」


 あ、そっちか。


 トウリの不機嫌の原因を知り、アンリはやや気まずくなって視線を逸らす。


「……ええと。レイナ先生に、壊しても良いから本気でやれって言われて」


「知っている。別に、壊したこと自体を言っているんじゃない。もう少し、隠す努力をしろと言っているんだ」


 どういう意味かとアンリが訝しく思ってトウリを見遣ると、彼は深くため息をついた。


「お前の魔法を見たレイナ先生から、聞かれたんだよ。あれだけの魔法力に気付いていたのかとか、去年はどうだったのかとか、あの子は何者だとか」


「あー。それは、すみません」


 訓練室を壊せるほど強い魔法を使ってしまったことで、レイナに色々と疑問を抱かせてしまったらしい。アンリの前では意外なほどに冷静な顔を見せていたレイナだったが、実際には前担任のトウリを質問攻めにするほど不審に思っていたようだ。


「それで、なんて答えたんです?」


「知らんと答えた。そもそも一年では魔法実践の授業が無いから魔法を見る機会もほとんどなかった、と。そうしたら、無能と罵られた」


「……すみません」


 アンリの立場をわかっていて隠してくれたがために、トウリが無能扱いされてしまった。本当に無能なのは、レイナに疑いを抱かせてしまったアンリの方なのに。


 申し訳なさにアンリが俯くと、トウリは大きくため息をついた。


「勘違いするな。俺がなんと言われたかなんて、大した問題じゃない。そんなことより、自分の力くらいちゃんと隠せるようにしておけ」


 本気を出せと言われていちいち馬鹿正直に本気を出しているようでは、いずれアンリの本来の実力が明らかになる。ひいては、上級戦闘職員としての立場を隠していられなくなるかもしれない。


 トウリはそのことを、アンリに忠告してくれているのだ。


「たしかに目の良い教師を騙すのは難しいだろうが……今言っても仕方ないが、どう対応するか、先に考えておくべきだったな」


「……今後どうするかは、今から隊長に相談するつもりです」


 アンリの答えに、トウリが意外そうに眉を上げた。


「なんだ、あいつのところに行くのはその件なのか」


「ほかに何があると思うんですか」


「職業体験のことでも話しに行くのかと思った」


 そういえばその件もあったか。防衛局の職業体験に参加するつもりなどアンリ自身にはさらさら無いが、ウィルに情報収集を頼まれている。今日、ついでに聞けるだろうか。


「どのみち、あいつはお前が来るのを楽しみにしているみたいだったな。早く行ってやるといい」


「そんな、楽しみにって……。親でもないのに」


「親でなくても保護者だろ。あいつなりに、お前のことを可愛がってるんだ。そう嫌そうな顔をするな」


 嫌ではないけれどと呟きつつも、アンリは顔をしかめる。可愛がられていることが嫌なわけではない。ただ、子供扱いされていることと、それをトウリに知られていることが気恥ずかしいだけだ。


 そんなアンリを気遣ってか、トウリは「じゃあな」とそのまますれ違おうとした。アンリは慌てて彼を引き留める。せっかく会えたのだ。こんな無駄話のほかに、確認したいことがある。


「あの、レイナ先生のことなんですけど。俺のことを知っていたってことはないですよね?」


「……ないと思うが、なんでそう思う?」


「俺、魔法力の隠蔽には結構自信があったんですけど」


 授業で魔法を使うときはもちろん日常生活においても、アンリは自らの魔法力が普通の中等科学園生の水準に見えるよう偽装している。使う魔法を制限し、魔法に込める魔力を少なくし、さらに魔力制御をわざと下手に見せることまでしているのだ。


 にもかかわらずレイナは、そうして偽装したアンリの生活魔法を初回の授業で一度見ただけで、その魔法力の高さに気付いたようだった。今回の訓練室での件も、明らかにアンリの魔法力に気付いたうえで「全力で」と指示している。


 本当に、レイナはアンリの魔法を見ただけで魔法力に気付いたのか?

 実は元々、何か知っているところがあったのではないか?


 アンリがその疑問をぶつけると、トウリは一瞬考える様子を見せたものの、すぐに首を横に振った。


「いや、もしそうなら、あんなに驚いた様子で俺に色々聞いたりはしなかったはずだ。信じ難い気持ちはわかるが、彼女は俺と同じかそれ以上に目が良いからな」


 そういうこともあるだろう。そんなトウリの言葉に、アンリは釈然としない思いを抱きながらも頷いた。俄かには信じられないが、強く反論できるほどの根拠はアンリにもない。


「……わかりました。じゃ、それを前提に隊長と話してきます」


 それが良い、とトウリからの励ましを受け、アンリはそのまま隊長の待つ執務室へと向かった。

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