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ここから第6章です。
二年一組では週に五回、魔法実践の授業が組まれている。五回のうち、四回は訓練室での実習。残りの一回は、魔法実践のための理論を学ぶための講義が教室で行われる。
今日の授業は教室での座学。基本五系統魔法の実践に繋がる理論を、担任のレイナが教本に沿って丁寧に説明していた。一組の生徒のうち半分は、基本五系統魔法を修めているはずだ。それでも基礎の理論から学ぶことに不平や不満が出ないのは、授業に際して無駄口を一切許さない、レイナの厳しさゆえだろう。
と、そうして静かに魔法理論の講義が進むだけならいつもの授業だが、今日は最後だけが、いつもとは少し違った。
終了時刻の少し前に講義を終えたレイナが「さて」と一息ついて、冊子を生徒に配り始めたのだ。十数枚の紙を重ねて綴じただけの薄い小冊子で、テストや宿題とは違うようだった。
飾り気もなく「防衛局体験カリキュラム及び協力事業所職業体験カリキュラム実施要領」と書かれたその冊子が全員の手元に一冊ずつ行き渡ったことを確認して、レイナは説明を始める。
「毎年恒例となっている体験カリキュラムだが、君たちのほとんどは初めてだろう。概要を説明する」
そういえば、そんな時期か。
アンリは昨年、入学したばかりの頃のことを思い出した。防衛局研究部での体験カリキュラムに参加したのは、入学してふた月ほど経った頃だったはずだ。
通常は二年生の参加であるところを、昨年は枠が広がったとかで、一年生にも参加者の募集があったのだ。応募者多数で選抜試験のようなものが行われ、結果として、一年生ではアイラとウィル、そしてアンリが参加したのだった。
「体験カリキュラムは、首都の防衛局本部にある研究部において、約一ヶ月間の実習プログラムに参加するものだ。その間は、防衛局の宿舎に泊まり込みとなる。今年は昨年同様、一年生三人、二年生十三人を募集する。カリキュラムの詳細は、資料を読んでおくように」
資料によると、内容は昨年アンリが参加したものとほとんど変わらないようだ。序盤に素材採取などの野外活動、中盤に研究室での研究参加、そして最後に改めて野外活動。
野外活動で思わぬ危険生物に出会うだとかのトラブルさえなければ、平和で有意義な活動になるだろう。
「参加希望者は、期日までに申込書を提出すること。希望者が多い場合には、魔法実技による試験を行い、成績順で十三名を選出する。なお、この体験カリキュラムへの参加が決まった者は、ほかの職業体験カリキュラムに参加することはできなくなるから留意するように」
ほかの職業体験? 内心で首を傾げつつ、アンリは周囲に合わせて冊子をめくる。防衛局研究部での体験カリキュラムに関する説明文書の後ろに、別の、同じくらいの分量の説明文書が付いていた。
「職業体験については後日、改めて参加希望を募るが、概要は資料の通りだ。防衛局での体験カリキュラムに比べると日数は少ないが、多様な職種が対象となっている」
文書の終わりに協力事業所リストというのが付いていて、そこにはイーダの街中にある魔法器具製作工房や魔法工芸工房のほか、清掃事業所や運送屋など、一見魔法とは無関係に見える事業所の名前まで連なっていた。それぞれ二日間、三日間など、短期間のカリキュラムが記されている。
どうやらこの「協力事業所」において、短期間の職業体験ができるということらしい。
「それぞれ自分の希望進路に照らして、どのカリキュラムに参加すべきか、よく検討するように。以上、何か質問は?」
レイナの簡潔な説明が終わると、数人が手を挙げた。そもそもまだ疑問を覚えるほど資料を読み込めていないアンリからすれば、こうして手を挙げることのできるクラスメイトたちは尊敬に値する。
「アイラ・マグネシオン」
と思っていたら、最初に指名されたのはアイラだった。さすがはアイラ、とアンリは感心する。彼女は魔法も勉強も、基本的になんでもできる。
「私とウィリアム、それにアンリは昨年、防衛局の体験カリキュラムに参加しています。今年のカリキュラム参加に制限はありますか」
「昨年の参加実績による制限はない。だが、できれば同じカリキュラムへの参加は避けてほしい。防衛局での実習は、できるだけ多くの生徒に経験してもらいたい」
わかりました、とアイラは素直に頷いて席に着く。
次、とレイナが指名したのは、アイラの後ろの男子生徒だった。アイラよりも随分と腰の引けた様子で立ち上がる。
「す、すみません。この後半の職業体験の説明の、リストの中に……防衛局の戦闘部局が載っているように思うんですが」
教室内がややざわつく。アンリもぎょっとして、手元の資料をめくった。たしかに職業体験カリキュラムの「協力事業所」一覧の後半、官公庁の欄に、裁判所や消防隊、役場などに並んで「防衛局戦闘部」の文字がある。
生徒たちの反応など意にも介さず、レイナはあくまで冷静だ。
「確かに防衛局戦闘部には、今年から職業体験に協力してもらえることになった。ほかにも今年が初めてとなる事業所はある。逆に、去年で受入れを終了した事業所もあるから気をつけるように。……それで、その防衛局が、どうかしたか」
「あ、いえ、その、確認で。見間違いかと思ったので。ええと、防衛局研究部の体験カリキュラムに参加した場合、この戦闘部の職業体験には、申込みができないってことでよかったですか」
「その認識で問題ない」
質問を終えた男子生徒が席に着くと、レイナが「ほかに」と問いかける。しかし、ほかの手は挙がらなかった。どうやらそれまで挙手していた数人は皆、同じことを考えていたらしい。
「質問がなければ、説明は以上とする。資料をよく読んで不明な点があれば、個別に聞きにきなさい。さて、この時間の授業はこれで終了だが……アンリ・ベルゲン」
突然自分の名前を呼ばれ、アンリはピンと背筋を伸ばした。なんだ? 二年に上がってからは居眠りもせず、真面目に授業を受けている。名指しで叱られる覚えなどないが。
「話がある。今日の授業を全て終えたら、教員室に来なさい」
「は、はい」
心中で疑問は渦巻くが、もちろんアンリには、素直に頷くことしかできなかった。
次の授業は歴史学だったが、アンリの耳に講義の内容はほとんど入らなかった。居眠りするようなことはなかったが、授業の途中で教科書が逆さまになっていると先生から指摘され、皆に笑われた。
そうして迎えた昼休み。食堂に集まったいつものメンバーに、アンリは心中の不安を吐露する。
「なあ。俺、なんで呼び出されたんだと思う?」
そんなアンリの泣き言を受けて、向かいに座るハーツはむしろ面白そうに笑った。
「やっぱり、なんかやらかしたんじゃないか? 居眠りとか」
「そんなこと、あの先生の前でできるわけないだろ」
「そうよ。それにアンリ君、二年生になってからは本当に真面目だもん」
横からマリアがアンリに味方する。二年生になってから「は」という表現に、完全な味方とは言い切れない危うさはあるが。
「思い当たることがないなら、堂々としていればいいさ」
こう助言するのは、ハーツの隣に座ったウィルだ。
「レイナ先生は、理不尽なことで叱るような先生じゃないよ。覚えがないなら説教ではなくて、きっと良い話だよ」
「そうですよ。昼休みではなく放課後の指定なのですから、急ぎの用ではないということでしょう。授業態度の叱責という可能性は、低いと思いますよ」
ウィルに続いて、イルマークもアンリを励ました。二人の言葉に力を得て、気を取り直したアンリは背筋を伸ばす。
「そうだよな。俺、最近は何も悪いことしてないし。深くは考えないようにしよう」
「……でももしかして、アンリ君が実力を隠しているのが知られちゃったということだったら、どうする?」
マリアの横から、エリックが控えめに呟いた。せっかく伸びたアンリの背筋は、また力無く、しんなりと萎えてしまった。
「どのみち、行ってみないと何もわからないんだから。心配するだけ時間の無駄だよ」
最後のウィルのこのひと言は、アンリに味方する言葉ではない。けれど不安に傾いたアンリの心を、安心と不安の中間に落ち着かせるくらいの力はあった。




