(17)
困ったときに頼りになるのは、頭の回転の速いルームメイトだ。
「僕はウィリアム・トーリヤード。さっき君たちを助けたのは、アンリ・ベルゲン。僕らは君たちと同じ中等科学園の二年生だよ」
後輩たちに優しげに笑いかけ、臆した風もなく自己紹介するウィルを見て、アンリは心から彼を尊敬した。
ウィルがいて、本当に良かった……。
自分一人ではこの場を切り抜けられなかっただろうとまで考えて、アンリは胸を撫で下ろす。
後輩たちから名乗りを期待されたアンリは「ちょっと待ってて」とだけ言い置いて、まず急いでウィルを呼びに戻ったのだった。
自分一人では、防衛局の戦闘職員として名乗れば良いのか、学園の生徒として名乗れば良いのかすら判断できなかった。
湖の畔に戻り、心配そうに待っていたウィルに駆け寄る。
助けたは良いが後輩だった、どうすれば良いかわからない……事情を話して泣きつくアンリにウィルは呆れた様子だったが、その判断は素早かった。
「今後も学園ですれ違うことがあるかもしれないんだから。先輩として名乗っておいた方が良いよ」
そうしてウィルと一緒に後輩たちのところへ向かい、今にいたるというわけだ。
「それで君たち、どうしてこの森に入ったの?」
改めて自己紹介を済ませると、ウィルが優しい声音のまま、後輩たちに尋ねた。どうやら後輩たちとのやり取りを全面的に引き受けてくれるらしい。
アンリは安心して、ウィルの後ろから後輩たちの様子を眺めることにした。
「ま、街の外を、散歩してみようと思って」
ウィルの声音は優しいが、問うている内容は説教の前振りだった。責められると感じたのか、コルヴォと名乗った少年は背筋をピンと伸ばして、緊張した面持ちで答える。
それでも嘘をつこうとか誤魔化そうとかいう様子が見られないのは、反省の表れかもしれない。
「西の森には入るなって、先生に言われなかった?」
「言われたけど……その……」
「私たち、魔法が使えるんです。多少危険な動物が出るくらいなら、大丈夫かなと思っちゃったんです」
コルヴォが言い淀んだところを、サンディが引き継ぐ。
入ってはいけない場所だという話を聞いていなかったわけではなかったらしい。甘く見ていたということだろう。
「それで、魔法は通じた?」
ウィルが、あくまでも優しい声音を崩さずに尋ねる。コルヴォもサンディも、力なく首を横に振った。
「魔法を使う余裕もありませんでした……」
「先生だって、理由もなく禁止しているわけじゃないんだ。先生の話は良く聞いて。言い付けを破ったら駄目だよ」
「……はい」
コルヴォとサンディはひどく落ち込んだ様子で項垂れた。
ウィルの口調はあくまで優しく、脅かそうという様子もない。それでも二人が項垂れるのは、雄鹿に襲われたことで、ウィルの言葉の重さを深く実感しているからだろう。
二人があまりにもしおらしく話に耳をかたむけるものだから、ウィルもこれ以上責め立てるのが気の毒だと思ったようだ。
「わかったならいい。これからは気を付けるんだよ」
と優しく言うと、それで説教は終わりになった。
さて、と一呼吸置いて、ウィルはアンリを振り返る。
「さすがに先生には連絡した方が良いと思うんだけど」
「そうだよなあ……」
大型獣に襲われ、怪我をした生徒がいる。治したとはいうものの、連れて帰ってはいお終い、とはいかないだろう。そもそもまだ、目を覚ましてさえいないのだから。
「……そういえば君たち、通信具って持ってる?」
ふと気になって、アンリはコルヴォたちに目を向けた。気を抜いていたらしい彼らは、アンリの視線にびくりと肩をふるわせる。
「も、持ってないです。ごめんなさい……」
答えたのはコルヴォだ。牡鹿にも立ち向かう勇敢さを見せた彼だが、今や肩を落として意気消沈している。
優しい言葉で慰めても良かったが、甘やかしすぎるのもよくないかと、アンリは敢えて平坦な声で続けた。
「森に出るなら持っておいた方が良いよ。何かのときに、街に連絡がつくように」
「は、はい……」
二人が素直に頷いたのを見て、アンリはウィルに視線を戻す。
「でも俺、レイナ先生の連絡先知らないんだ。トウリ先生でもいいかな」
「たとえ知っていたとしても、僕ならトウリ先生に連絡するよ。説明が面倒だろ」
ウィルの言葉にはっとして、アンリは周囲を見渡す。雄鹿が暴れたことで折れて散らばった枝。明らかに魔法を使ったとわかる地面の焼け跡。異常な大きさの雄鹿の骨に、未だ目を覚まさない一年生。
迷子を保護した、では済まない凄惨な光景が広がっていた。
「どうしよう」
慌てるアンリに、ウィルは呆れた様子でため息をついた。
「今気付いたの? ……とりあえずトウリ先生に報告して、ありのままを話そう。きっと、良い案をくれるよ」
本当かなあと訝しく思いながらも、ウィルの言葉を信じる以外にアンリにも取るべき道はない。
渋々頷いて、アンリはその場から離れた。
非常用に通信具を持っておけと後輩たちに言いつつ、アンリも実は、通信具など持ってきていない。通信魔法で事足りるからだ。
今さらとは思いつつ、通信魔法のような高度な戦闘魔法を使えることを後輩から隠そうと、アンリは離れた木陰でトウリに連絡を入れたのだった。
連絡を入れてすぐにやって来たトウリは、渋い顔をして一年生三人を見下ろした。
一年生にとっては、ほとんど接点のない教師だ。睨まれているというだけで、なかなか怖い思いを味わったことだろう。
「あいつらにも言われただろうが、これに懲りたら、二度と勝手にこの森に入ろうなんて思うなよ」
「……はい」
「そっちの子にも、起きたらちゃんと言っておけ」
雄鹿に襲われたことで相当恐ろしい気持ちを味わったのか。あるいは、先輩に引き続き教師からも説教されたことで、こたえているのか。
コルヴォとサンディは反抗も言い訳もせず、素直にトウリの説教を受け入れた。
その態度に感心してか、トウリもすぐに話を切り替える。
「さて。これからお前らの担任を呼ぶが、ちょっと事情があってな。アンリがここで魔法を使ったことは黙っておいてくれ」
急に柔らかく、ものを頼む口調になったトウリの態度に、一年生二人は訝しげに眉を寄せる。
しかし、トウリに細かく説明するつもりはないらしい。
「魔法を使ったのは、すべて俺だ。……そうだな、お前たちは森に入って、雄鹿に襲われた。それを、同じく森に入っていたアンリとウィリアムが見つけて、持っていた通信具で俺に助けを求めた。魔法を使ったのは、呼ばれて駆けつけた俺だ。そういうことにしておけ、いいな?」
教師にこうも強引に話を進められてしまえば、一年生に否やを言えるはずもない。コルヴォとサンディは無言のままに何度も頷き、同意の意思を示した。
一方でアンリとウィルにも、異議などあろうはずがない。むしろトウリの提示した見事な解決策に、感心してため息をついたほどだ。
自分たちだけではどうにもできなかったことが、トウリの協力を得られたことでさっさと解決してしまった。そのうえ一年生たちが魔法で助けられたことも、アンリたちがトウリを呼び出したことも事実で、嘘が少ない分だけ辻褄も合いやすい。
トウリを呼んで良かったと、二人で目を見合わせる。
ありがたいという思いからアンリが頭を下げると、トウリは鬱陶しそうに顔を顰めた。




