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 話しながら森の中をひたすら歩き続けること、小一時間。


 黙々と歩くのでは退屈するからと世間話をしながら歩いていた二人だが、話しながら歩くというのはそこそこ疲れるものだ。自分はまだまだ平気だが、ウィルのためにはそろそろ休憩を取った方が良い。アンリがそう思い始めた頃だった。


 視線の先、ちょうど道が二手に分かれているところに、木材で作られた古びた看板が立っているのが見えた。


「なんだろう、あれ」


「案内板かな? でも、そんなの今までなかったよな」


 二人で首を傾げながら近寄る。これまでいくつもの分かれ道を過ぎてきたが、案内板などは一度も見かけなかった。こんな森の奥にまで来て、今さら道を指し示す看板があるというのも不自然だ。


 二人は看板に顔を近づけ、褪せて薄くなった文字を間近でじっくりと見つめる。


「この先、許可無き者の……立入を、禁ず?」


「見てよ、アンリ。イーダ魔法士科中等科学園って書いてある」


 ウィルが指差したのは、看板右下の端の方。腐りかけたところに、よく見るとアンリたちの通う学園の名前が記されている。半分ほど削れてしまっているが、学園の物であることを示す印も描かれていたようだ。


「ここから先が、学園の管理地なのか」


「アンリ、知っていてここへ来たの?」


 ウィルの問いに、アンリは首を横に振る。


 西の森の中に学園の管理地があり、その一部が魔法器具製作部や魔法工芸部の素材採取場になっていることは知っていた。しかし、アンリはまだ学園の管理地に入るための許可をもらっていない。それどころか、キャロルからは行くなと止められてさえいるのだ。


 西の森で採れる素材にどんなものがあるのか、森全体を見て簡単に確認しておこう。アンリが今日この森に来ることにした動機は、その程度のものでしかなかった。


 だから決して、学園の管理地を目指して来たわけではない。


 それなのにウィルが不審そうに睨むので、アンリは肩をすくめて言い訳を加えた。


「どのみち許可が無いと入れないんだ。そんなところ、わざわざ目指して来たりしないよ」


「……許可が無くても、バレないだろうからって入ろうとしたわけでは?」


「そんなわけないだろ。ウィルが一緒なんだから」


 暗に、自分一人なら入ろうとしていたと言っている。そんなアンリを前に、ウィルはやれやれと大仰に肩をすくめて、わざとらしく言った。


「入らないならいいさ。でも、万が一入っちゃって、しかも見つかったら、きっとレイナ先生に叱られると思うなあ」


「入らないよ。うん、絶対に入らない」


 ウィルの口から先生の名前が出たことで、アンリは一瞬でぴんと背筋を伸ばした。





 学園管理地に入るのを遠慮すると、二人の選択肢は分かれ道を反対の道へ入るか、来た道を戻るかに限られる。


「どっちにしても、少し休憩しようか」

「うん、ありがとう」


 アンリの提案に、ウィルは素直に頷いた。まだ疲れた様子は見えないが、疲れてからの休憩では遅いことを、これまでの散策で十分に感じているらしい。


 体力がつかなくても、今ある体力の使い方を覚えられているのだから、魔力貯蔵量の強化以外にも意味のある演習になっていると言えるだろう。


「近くに湖があるはずだから、そこまで歩こう。木に囲まれて休むより、視界が開けて気分が良いと思う」


 東の森はなだらかな丘になっているため、開けて見晴らしの良い場所が多い。それに比べて西の森は平坦で、開けた場所が少ない。

 景色が良く寛げる場所というと、湖の近くくらいしかないのだ。西の森が散策地として不人気であることの、理由のひとつかもしれない。


「それはいいけど、道はわかるの?」

「だいたいね」


 頷いたアンリは、来た道の方へと足を向ける。


「細かい道は覚えてないけど、目印になる木とか地形とか、多少は頭に入ってる。たぶん、こっち」

「たぶんって……不安だなあ」


 とは言ったものの、アンリについて行く以外に選択肢のないことがウィルの辛いところだ。

 アンリに先頭を任せることの不安にため息をつきながら、ウィルはアンリに従って歩き始めた。





 二つ前の分かれ道まで戻り、別の方角へ足を進めて間もなく。それまで視界を遮っていたたくさんの木々が途絶え、突然、目の前に広大な平面が広がった。深い紺色をした水面が、地面と見紛うほど静かに、穏やかに広がっている。


「すごい……広いね」

「このあたりでは一番大きな湖なんじゃないかな」


 ウィルが感嘆の声をあげ、アンリが誇らしげに胸を張る。なんでアンリが得意げなんだよと、ウィルが笑った。


「案内したのは俺なんだから。自慢したっていいだろ?」

「まあいいけど。それにしても、迷わずここに来られるのに、本当に学園管理地の場所、知らなかったの?」

「う……」


 言葉に詰まったことで、ウィルの不審を買ったらしい。ウィルが目を細めてアンリを睨む。

 しかしアンリにも言い訳はある。別に、学園管理地を知っていたわけではない。


「学園管理地がどこかは、本当に知らなかったんだよ。……ただ、あの辺りだとすると、許可なんて取らずに入ったことはあるなあと思って」


 アンリの言葉を濁らせたのは、これまでの行動に対する後ろめたさだ。


 仕事で西の森に入ったときのことを思い返すと、立て看板など、いちいち気にした覚えはない。危険動物の駆除のように緊急性のある仕事のときばかりでなく、ミルナに頼まれた魔法器具素材の採取のときでさえ、アンリは西の森の中に、国の管理地以外の土地があるなどと考えたことがなかった。


 きっとあの立て看板は、アンリが仕事で西の森に入ったときにもあっただろう。しかし、古びて文字さえ掠れて薄くなった看板を、アンリはこれまでずっと見逃していた。

 許可無く学園管理地に入ったこともあるだろうし、その中で素材を採取したこともあっただろう。


 アンリの告白に、ウィルは拍子抜けした様子で「なんだ」と呟いた。


「こっそり侵入したとか、もっと後ろめたいことでもあるのかと思ったけど。知らなかったものは仕方ないじゃないか」


「でも、勝手に入ったのは事実だし」


「どのみち緊急時には民間の土地にも入るんだろ? 気にすることはないよ。まあ、急ぎでないときは、気をつけた方がいいんだろうけど」


 ウィルが怒ってもいなければ不機嫌でもないのを見て、アンリはほっと息をつく。アンリにとって、日々生活を共にするとともに常識を教えてくれるウィルの機嫌を損ねることは、担任のレイナを怒らせることの次くらいに恐ろしい。


「うん。今後は気をつける」

「そうだね」


 和やかに話題が終わったことに安堵して、アンリは鞄から水筒と軽食を取り出した。





 そうしてアンリとウィルが適当な岩に腰掛けて、景色を楽しみながら一息ついているときのことだった。


「……ん?」

「どうしたの、アンリ?」


 アンリが突然眉を寄せて遠くへ視線を移したことに対し、ウィルが敏感に反応した。アンリは慌てて表情を取り繕って、へらりと笑う。


「ああ、ごめん。大したことじゃないんだけど。……ちょっと、近くに大きな動物がいそうだから」

「大したことだよね、それは」


 顔をしかめてそう言いつつも、ウィルは慌てたり騒ぎ出したりしない。よほどアンリのことを信頼しているらしい。


 それでも「大したこと」と言うのは、ウィルの常識に照らしての判断だろう。今後、魔法工芸部でこの辺りに来ることがあったら、今日のウィルの反応をひとつの参考にしようとアンリは決意した。


「大したことではないよ、森に動物がいるのは普通のことだから。野生の動物だし、極端に危険な場合でなければ手を出さないで、放っておいた方が良いんだ」


「近くにいても、危険ではない?」


「いることがわかっていれば、鉢合わせしないように動けば良い。ただこれだけ道に近いところにいると、俺たちはともかく、誰かが……」


 ちょうどそんな話をしているとき、アンリたちの耳に、大きな悲鳴が届いたのだった。

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