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週末に、アンリはウィルとともに西側の門から街を出た。広い街道につながる東側に比べると人は少ないが、門の形はさほど変わらない。街の東西に位置する門は、ほとんど同じ造りをしているのだ。
強いて違いを挙げるなら、東の門に比べて、衛兵からの視線はやや不審さを帯びていた。西の森に近い門から外に出る子供が珍しかったのだろう。
学園生だとわかる鞄や服を避けておいてよかったと、アンリは胸を撫で下ろす。横を歩くウィルも同じだったようで、門を過ぎてしばらく歩いてから、苦笑して言った。
「なんだか不思議な気分だよ。西の森は危険だから怖いって思っていたはずなのに。どちらかと言うと今は、大人に見咎められることの方が心配だな」
西の森の中での危険はアンリがどうにかできると信頼してくれているのだろう。むしろ誰かに見咎められて、学園に通報でもされたら。そちらの方が恐ろしいというのは、アンリも同意見だ。
「でも、西の森に入っちゃいけないっていう決まりはないんだろ?」
「それでも危険そうだと思われれば、学園に連絡されるかもしれない。規則じゃないから先生が怒るかどうかもわからないけど……迷惑はかけるだろうね。それが元で、今後は禁止しますというのもあり得るかも」
ウィルの予測を聞いて、アンリは眉を顰めた。西の森に入るほどの実力が無いのに無茶をした、という話ならば致し方ない。
しかしアンリには、西の森でも身を守ることができるだけの力がある。にもかかわらず禁止されるのは、理不尽なことのように思われた。
「……わかった。もしも人がいるようなら、できるだけ避けることにしよう」
魔法の応用で、アンリは周囲の気配を探知するのにも長けている。その気になれば人に会わないよう、道を選んで西の森を散策することも可能だ。
アンリの言葉にウィルは「どのみち行くなら面倒は少ない方がいいよね」と頷いた。
馬車の通れる広い道から脇に逸れて、森の中へ。高い樹木の幹と根の隙間を縫うように、黒い土の見える道が奥へとのびている。
「道がある」
「そりゃあ、別に前人未到の奥地に踏み込もうってわけじゃないんだから」
ウィルの素朴な感想に笑いながら、アンリは道を進む。
下草が少なく地面の露出した道は、迫り出した木の根や岩にさえ気をつければ、坂も少なく歩きやすい。石や煉瓦を敷いてまで整備したような道ほどではないが、人の立ち入らない山の中で見かけるような獣道に比べれば、十分に人の歩ける道と言えた。
意外そうに首を傾げるウィルに、アンリは種明かしする。
「この森は、抜け道なんだよ」
なだらかな丘になっている東の森に比べ、西の森は平坦で、平面的に広がっている。面積が広く、森を回り込んで向こう側の街に行こうとすると、馬車で三日かかる。
「真っ直ぐ森を突っ切れば、向こうの街まで歩いても一日しかかからない。体力に自信がある人は、街の行き来にこの道を使うんだ」
「でも、危険なんだろう?」
「魔力溜まりが多くて、大型の野生動物が出やすいからね。でも防衛局が時々そういう動物を間引いているから。旅行用の動物除けさえ持っていれば、ほとんど問題ない程度だ」
東の森の手前に広がる公園と同じような気分で踏み込むと危険というだけで、準備さえ怠らなければ、むしろ安全性は高い森だと言える。そうでなければ、そもそも立入りが禁止されているはずだ。
学園が一部の区画を管理し、生徒の素材採取用に使わせているのも、危険が少ない森だからこそ。
「とはいえ事故が全くないわけでもないし。東の森のように気軽に入られても困るから、危険だと言い聞かせているんだと思うけど」
話しながら歩いていくと、程なくして道の分岐点に至った。二手に分かれた道のうち、アンリは迷わず右の道を選ぶ。少し歩くとまた分岐点。その道も、迷わず右へ。
「アンリはここに来たことあるの?」
アンリが迷うことなく歩を進めるからだろう。三つ目の分かれ道に至ったところで、ウィルが口を開いた。
「うん。防衛局の仕事でたまに。最近はあまり来てないから、一年ぶりくらいかな」
「こんなに細かい道、よく覚えているね」
「いや、覚えてはいないけど」
アンリの返しに、ウィルはぎょっとした顔をして足を止める。誤解されたことに気づいたアンリは、慌てて言い募った。
「だ、大丈夫だよ。別に目的地があるわけじゃないんだし。通った道は覚えてるから、ちゃんと帰れるよ」
「でもそれじゃあ、歩いて行った先が行き止まりってことも」
「あるだろうけど、そしたら一つ手前まで戻ればいいだろ? 森の中を歩くことが目的なんだ。戻ったところで、無駄足ってこともない」
そりゃあ、そうかもしれないけれど……と眉を寄せて呟いたウィルだが、アンリが黙っていると、そのうち勝手に納得したらしい。深いため息をついて言った。
「そうだね、アンリの言うとおりだ。……でも頼むから、目的があるときには地図を見て歩こう。なんだか、すごく不安になった」
「わかってるよ、大丈夫」
とは言うものの、アンリは内心で冷や汗をかく。
目的地があっても、アンリは地図を持たずに出掛けることの方が多いのだ。いざとなれば魔法でどうにでもなるという気持ちが油断を誘っている。
(……ウィルと外に出るときには、地図を忘れないようにしないと)
ルームメイトに怒られたくない一心で、アンリはこれまでの習慣を改める決意をした。
「そういえば、ウィルのお父さんは魔法器具の工房で働いているんだって?」
アンリがそう話を切り出したのは、面倒な話題から転換するためだ。しかし、ここ数日気になっていた話でもある。
マリアやエリックは今日、魔法器具製作部の部長に誘われて、魔法器具製作工房の見学に出かけているはずだ。アンリたちも誘われて断ったわけだが、そのときのウィルの口実が、彼の父親のことだった。
ウィルは、父親が魔法器具製作工房に勤めているから工房にはそれほど珍しさを感じないと言って、工房見学よりも、アンリとの外出を選んだのだ。
「うん。アンリには話していなかったね」
「聞いてないよ……あれ、聞いちゃまずかった?」
魔法器具製作者と聞いて話に飛びついてしまったが、これまで一年間、寮で生活を共にしながらその話題に至らなかったということは、話したくないということではないか。
たとえばアンリなら、自身が上級魔法戦闘職員であることは、話さずに済むならずっと隠そうとしていた。もっともバレてしまったものは仕方がないし、日々生活を共にするにあたって、話してしまった方が逆に楽だったという結果論はあるのだが。
いずれにしても、ウィルが隠したがっていた可能性は十分にある。
「大丈夫だよ」
アンリの心配を、ウィルは笑って退けた。
「話す機会がなかっただけだ。父は、日用の魔法器具を作っているんだ。最近は食事をある程度自動で作る魔法器具の開発をしているらしい」
「食事を? 面白いな、そんな魔法器具があるのか」
「あるというか、開発段階だとは思うけど」
話に食いつくアンリにウィルは苦笑する。
話したくなかったわけではなくて、話せばこうしてアンリが興味深々になることがわかっていたのだ。
ちゃんと時間を取って話さなければならないとウィルは考えていた。
「父と話してみたかったら、一度うちに来てみるといいよ」
いいの? と期待に目を輝かせたアンリにウィルは「ただし」と釘を刺す。
「アンリの中等科学園生としては不自然な知識量の言い訳を考えてからだね。父にアンリの秘密を話してしまっていいというのであれば別だけど」
友人思いのウィルの言葉に、アンリははっとして頭を抱えることになったのだった。




