(9)
魔法工芸部へ行くと、アンリ用とされた作業台の上に、両手で抱えないと持てないような大きな箱が数個、乱雑に積まれていた。
「……これは」
「アンリ君? いらっしゃい」
箱に隠れた机の向こう側から、キャロルがひょっこりと顔を出す。
「ごめんなさいね。来るまでにちゃんと整理しておこうと思ったのだけれど」
そう言って、キャロルは積み上がった箱のひとつを「よいしょ」と持ち上げようとした。アンリは慌てて手を伸ばし、ふらつきそうになる彼女の横から荷物を支える。
「あら、ありがとう」
そのままキャロルの指示に従って、アンリは作業台の上から箱を下ろして並べ直した。改めて数えると、箱の数は正確には九個。大きな箱が七個に、その半分の大きさの箱が二つだ。
整えて並べはしたものの、元々の大きさと数とはどうしようもない。作業台の横の通路は、並べた箱で塞がってしまった。
「ええっと、これは一体?」
「これはね。新人さん用の魔法工芸入門セットよ」
よくぞ聞いてくれました、とキャロルは胸をそらす。
「本当は、自分のつくりたいものを、つくりたいようにつくるのが魔法工芸の在り方なのだけれど。とはいえ、初めてなのにつくるものもつくり方も自分で考えろと言われても、なかなかできることではないでしょう?」
だから初心者用のセットがあるのだと言って、キャロルは並べた箱のうちのひとつを開けた。土や砂の入った袋がいくつかと、親指の爪ほどの大きさの魔力石、木材や鉱石の欠片。そしてどうやら、そうした素材の使い方が記されているらしい冊子。
一つの箱が、一人分だという。小さい箱に入っているのは工具で、こちらは素材と違って共用らしい。
「工具はそのうち自分専用のが欲しくなるかもしれないけれど、そうなってから、自分で選んで調達したほうが良いと思うの。最初は共用で我慢してちょうだい。と言っても、まだ新人はアンリさんしかいないから、今のところは実質一人用ね」
一人一つの大きな箱は、七人の新入部員が決まっているから用意したというわけでもないらしい。あくまで「七人くらい入るといいな」と思っての用意だと言う。
「七人も入らなかったらどうするんですか?」
「そのときはちょっと邪魔だけれど一年置いておいて、来年使えばいいでしょう」
「ちなみに、先輩の代には新人は何人入ったんです?」
「私の代は四人よ。今年は、もう少し部員が増えるといいなあと思って」
にっこりと穏やかに微笑むキャロルを前に、アンリは強く不安を抱いた。
最初に作るのは、どうやら花瓶らしい。
アンリは自分用にとキャロルから示された箱を開け、中の冊子を開いた。冊子は説明書になっていて、最初に箱の中身の簡単な紹介と、揃えるべき工具の説明。それから練習用につくるべき物の材料とつくり方が、絵入りで丁寧に書かれている。
花瓶は土を捏ね、魔力石を使って形を整えて焼くだけの、最初らしくシンプルでわかりやすい課題だ。
アンリはまず説明書の指示に従って、箱から数種類の土と、装飾用の魔力石をより分けて取り出した。
「すごいわねえ。迷わずちゃんと正しい素材を選べるなんて」
作業台に必要な素材を並べたアンリに対し、キャロルが感心した様子でため息をつく。
「普通なら、指定の素材を探し出すのにもう少し時間がかかるものよ。素材を扱うのも初めてってことが多いんだから」
「…………たまたまですよ、たまたま。上の方に入っていたんじゃないですか」
「その箱ね、最初に使う素材は、一番下に入っているのよ。素材の名前を覚えさせるためにってことらしいんだけれど、意地悪よね」
どうりで、出しにくいと思った。素材名で迷うことはないが、物理的に上に物が積み重なって、目当てのものが取り出しにくくなっていたのだ。
ともあれ、アンリの言い訳はどうやら通用しないらしい。
答えに窮して黙り込んだアンリに対し、キャロルはくすくすと声を立てて笑った。
「そんなに困った顔をしなくても。アンリさんが素材に詳しいことくらい、最初からわかっているわ。なにしろ私の作ったランプの効果を、火を入れずに見破ったのだから」
「……そんなこともありましたっけ」
「どうしてそんなに詳しいのかは気になるけれど、詮索はしないわ。そんなことで、こんなに優秀な新人さんを逃しては勿体ないもの」
そうですか、とアンリは説明書どおりに素材を混ぜ合わせながら、無愛想に答えた。聞かずにいてくれるというのであれば、これ以上墓穴を掘る前に話題を変えるに限る。
「俺のほかには、誰か入部しそうな二年生とかはいないんですか?」
「今のところはね。そもそもまだ勧誘期間ではないから、積極的に誘ってはいないの」
魔法器具製作部は勧誘期間前の新人勧誘にずいぶんと乗り気のようだが、魔法工芸はそうでもないらしい。
「でも、勧誘期間になったら頑張って誘おうかしらね。初心者用セットも用意しちゃったし。なにより新人さんが入ってくれないと、また素材の採取場所が減っちゃうのよ」
キャロルは困ったわ、と頬に手を当てて優雅にため息をついた。そういえば、魔法器具製作部と魔法工芸部とで、部員数に応じて西の森の素材採取場のスペースを分けていると言っていたか。
アンリはぐるりと室内を見渡す。
魔法器具製作部の賑わいと、この魔法工芸部の静けさ。今でさえ、魔法器具製作部と魔法工芸部との部員数の開きはずいぶん大きいように思える。
「ちなみに今、スペースの差はどれくらいなんです?」
「ええと……向こうが三で、こちらが一だから。魔法工芸部のスペースは、全体の四分の一くらいかしらね」
つまり、魔法器具製作部には魔法工芸部の三倍の部員がいるということらしい。なるほど、作業台も足りなくなるわけだ。
具体的には、新人勧誘期間が終わった段階で部員数をかぞえ、そこから一年間のスペース配分を決めるらしい。今年はせめて三分の一くらいの広さがほしいと、キャロルは物憂げに言った。
「やっぱり狭いと、採れる素材も限られてしまうのよねえ」
「素材は、そこで採ったのを使わないといけないんですか?」
「そういうわけではないけれど、魔法工芸の素材なんて、そうでなければ買わないと手に入らないから、高いのよ」
「……たとえばですけど、道端で拾った石なんかを使うのは?」
魔法工芸のことはよく知らないが、魔法器具製作であればアンリにも経験がある。その素材は、各地の山谷から集めてきたものだった。近くの、たとえば東の森の奥地で採取した石などを、そのあたりで拾ったと言って使うのは良くないだろうか。
アンリの問いに、キャロルは肩をすくめた。
「構わないわ。……そこが本当に、石を拾って持ち帰って良い場所ならね」
含みを持たせたキャロルの言葉に、アンリは眉を顰める。
石を拾って持ち帰って良い場所なら、とは?
アンリの顔に疑問符を読み取ったらしく、キャロルがくすりと笑った。
「道端の石は誰の物でも無いように見えるけれど、実はその道を管理している人の物よ。国とか町とか。街の外の森で採れる物も同じで、たとえば西の森なら学園が管理している場所以外は国の管理だから、素材の採取には国の許可がいるわ。もちろん、学園の管理している場所なら、学園の許可ね」
部活動で使用を認められているスペースは、その場所で採取したものは自由に使用して良いと、あらかじめ許可を得ている状態らしい。
「まあ、道端に落ちている石ころひとつくらいで目くじら立てる人もいないでしょうけれど……一応、展示会で公開するとか、交流大会で商品にするような作品を作るなら、意識しておいた方がいいわ」
キャロルの説明に、アンリはなるほどと深く頷いた。
これまで意識したことはなかったが、たしかにアンリが魔法器具を作るとき、その素材はたいてい、研究部のミルナに言われて、あるいはミルナに相談してから、指定された場所に採取しに行っていた。
許可を取るだとか、あるいはすでに許可の下りている場所を選ぶだとか。そういった手続きは、ミルナが引き受けてくれていたということだろう。
(そういえばドラゴンの鱗は勝手に取りに行っちゃったけど。まあ、あれは……ドラゴンは生き物であって、その場に落ちていた石とかじゃないし、いいか)
強いて言えば、ドラゴンの落とした鱗は、その場に落ちていた石と同じ扱いなのかもしれないが。深く考えると良くない結論に行き着くように思えて、アンリは考えるのをやめた。
今まで知らなかったのだから仕方ない。これからは気をつけることにしよう。
「ありがとうございます。気をつけます」
笑顔でキャロルに礼を言ったアンリは、初心者用の作品づくりに集中するふりをして話題を打ち切った。




