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「入る部活動を決めた二年生を無闇に誘わないっていうのも、新人勧誘における暗黙のルールなのよ」
入部届の用紙を前にして固まったアンリに対し、キャロルは丁寧に説明を加えた。
「だから魔法工芸部に入っておけば、ほかの部活動からは声をかけられなくなるわ。アンリさんだって、勧誘期間が始まってもいないのに見学したいっていうのは、魔法工芸部に興味があるからなんでしょう? この際、思い切って入部してしまえばいいのよ」
たしかにアンリは年末にこの部活動を見学したときから、二年で新しいことを始めるなら魔法工芸部が良いと思っていた。
特に今は、マリアの使っている無骨な魔法器具を装飾品らしく作り替える仕事も請け負っている。魔法工芸部に入って美術的な知識と技術を身につけたいと思っていたところだ。
ここで署名しても、アンリにとってなんら不都合はない。
「……ちょっと持ち帰って、考えてもいいですか」
それでもアンリが入部届の紙を手にそう言ったのは、嫌な予感がしたからだ。
キャロルの丁寧な物言い、親切な態度、優しげな笑顔。全て違和感のない、優しい先輩のものだ。
それなのになぜか、それらが全て、防衛局でミルナがアンリを嵌めようとするときの様子に重なった。
(あの笑顔に騙されると、ひどい実験に付き合わされるんだよな……)
防衛局の戦闘職員として、アンリは研究部局で開発した製品の実験に付き合うことがある。たいていは大した労力を伴うこともなく、安全性にも問題のない実験だ。
ところが、研究部局内のとある研究室の室長であるミルナが優しげな笑顔で話を持ちかけてくる、そのときだけは例外だ。そういうときにはだいたい、危険を伴うか、とんでもなく面倒な作業を大量にこなさなければならないような、ひどい実験が待っている。
実験の内容がきついときほど、ミルナは優しげな笑顔でアンリに話を持ってくるのだ。
キャロルの笑顔は、そういうときのミルナの笑顔によく似ていた。
この笑顔に騙されてはいけないと、アンリの勘が告げている。
「何か悩むことがあった?」
慎重になったアンリに対し、キャロルは無邪気な顔で、不思議そうに首を傾げた。
「要望があるなら、できる限り聞くようにするけれど」
「いえ。少し考える時間がほしいんです。それだけなので」
「そう? それなら良いけれど……でも、早めに決めることをおすすめするわ。公式の勧誘期間はひと月後からだけれど、なかには名簿を使って、今日明日にでも新人の勧誘を始めようっていう部活動もあるし」
キャロルは頬に手を当ててため息をつきながら、アンリのことを心配するように言う。
「早めに出しておいた方が、面倒は減らせると思うから」
「ありがとうございます。二、三日中にはお返事します」
とにかくこの場で結論を出すことだけは避けようと、アンリはもらった入部届を折り畳んでポケットにしまい、立ち上がった。
「それじゃあ、今日はこれで」
「そうね、また改めて。今日はせっかく来てくれたのに、大したものも見せられなくてごめんなさいね。明日なら皆、作業を始めていると思うから。よかったら明日も来てみて」
キャロルはそう言って、アンリを強く引き止めることもなく、にっこりと微笑んだ。
結局、キャロルはミルナのように何かを企んでいたのか、あるいは本当に、単なる親切な先輩というだけなのか。
この日の会話だけでは、アンリには判断がつかなかった。
キャロルの性格の良し悪しはともかくとして、魔法工芸部への入部をその場で決めなかったという判断自体は間違っていなかった。
アンリがそう感じたのは、寮に戻ってすぐ、ウィルから「魔法器具製作部を見に行ってみないか」と誘われたことによる。
「魔法器具製作部?」
「うん。僕もエリックから聞いて知ったんだけど、そういう名前の部活動があるらしい。明日の夕方、エリックとマリアが見学に行くと言うから、僕も行こうと思って。アンリもどう?」
魔法器具製作部。名前の通りなら、きっと魔法器具を作る活動をしている部活動だろう。自ら魔法器具を作ることの多いアンリにとって、好奇心をくすぐられる部活動だ。
そういえば魔法工芸部と魔法戦闘部以外にどんな部活動があるのかを、アンリは何も知らなかった。知らないままに、勧誘が多いと面倒だと、そればかり考えていたように思う。
「いいね、行ってみたい」
「アンリならそう言うと思った。魔法工芸部の方は大丈夫? 今日、見学に行ったんだろう。ほかの部活動に顔を出して、怒られない?」
「見学はしたけど、まだ入部はしていないんだ。ほかの部活動に顔を出したくらいで怒られることはないと思う」
そうだったのか、とウィルは少し驚いたような、意外そうな顔をする。
「アンリのことだから、その場で入部届を出してきたかと思った」
「それでもいいかとは思っていたんだけど」
そうしてアンリは、今日の魔法工芸部でのことをウィルに話した。入部を決めるくらいの心づもりで行ったが、部員がほとんどいなかったこと。唯一残っていた顔見知りの先輩に即日入部を勧められ、逆に不審が募って決心が揺らいだこと。入部を保留にして、入部届を持って帰って来てしまったこと。
話し終えて、どう思う? と首を傾げたアンリに、ウィルは苦笑を返した。
「どうって……その先輩がどんな人かを知らないから、なんとも。まあでも、良かったんじゃないかな。少なくとも、すぐに入部しなかったおかげで、明日は一緒に部活動見学に行けるんだから」
そうして表情を改めて「それにさ」と、アンリを諭すように言う。
「入りたくもない部活動に誘われたら断るのが面倒だと思うのはわかるよ。でもアンリはどんな部活動があるのかだって、よく知らないんだろう? 多少の面倒は我慢して、いくつか部活動を見学しても良いんじゃないかな、とは思うよ」
ウィルのありがたい忠告は、ちょうど先ほどアンリ自身が思い至った自覚とも相まって、アンリの思考に深く響いた。
ちなみに魔法系の部活動が二年一組の名簿を使って新人勧誘をするというのは、ウィルも知っている話だった。
「明日部活動の見学に行くっていう話もさ、エリックが初等科学園のときにお世話になったっていう先輩に誘われたからなんだけど。その先輩は、一組の名簿にエリックの名前を見つけて声をかけてきたらしいよ」
しかし常識派のウィルでさえ、そのとき初めて名簿が出回っていることを知ったという。あまり大っぴらに使われているものでもないようだ。
「名簿が売り買いされているなんて、あまり気持ちの良い話ではないけれど……でも、魔法系の部活動だからね。少しでも魔法力の強い新人がほしいというのはわかるよ」
だから、とウィルは笑った。
「僕らもこの機会を利用して、面白そうな部活動を探してみようよ。兼部という方法もあるはずだし、最初から選択肢を一つに絞ってしまうより、よほど楽しいよ」
前向きなウィルの言葉に、なるほどとアンリは頷いた。
何事も気の持ちようだ。
断ることが面倒と思うより、たくさんの選択肢があちらからやって来るのだと思った方が、面白そうだ。




