(2)
ウィルとエリックの用が済むのを待ってから、アンリはウィル、エリック、マリアとともに食堂へ向かった。
「まさか一組の先生があんなだったなんて。先に言っておいてよ」
周りを気にしながらアンリが小声で文句を言うと、ウィルは「ごめんごめん」とたいして悪びれもせずに笑った。
「僕らにとってはあれが普通だからさ。何か言っておかなきゃいけないとは思っていなかった」
どうやら一組で一年間過ごすと、あの雰囲気が普通になってしまうらしい。先生が教壇に立ったら緊張感を持って背筋を伸ばし、先生の言ったことには右へ倣え。意に沿わないことがあれば皆の前で詰問される。
自分も一年経ったらそれが普通だと思うようになるのだろうか。愕然としたアンリの顔を見て、ウィルはまた笑った。
「アンリは大袈裟だね。大丈夫、今日はいつもより少し気合が入っていたけど、悪い人ではないよ。ほら、セリーナの言い分だって、ちゃんと聞いてただろ?」
たしかに、友人との約束があるという、ある意味自分勝手な理由であっても、レイナは意外としっかり耳を傾けて認めていた。
教室で感じた印象ほどに、嫌な先生ではないのかもしれない。
でも。
「えー。でもさ、私だったら友達との約束とか、皆の前で言いたくないなあ」
マリアが不満げに口を挟んだ。そうなんだよ、とアンリも深く頷く。
「先生の言うことに従わなくちゃならないっていう空気も気に入らない。規則とかならともかく、あんなの精神論じゃないか。考え方を強制されている感じがある」
「うーん。まあ、その辺りは感じ方しだいかな。僕は嫌いじゃないよ、レイナ先生。マリアやアンリにも、そのうちわかるよ」
そういうものかなとアンリは首を傾げる。
簡単に納得できるものではないが、ウィルの言葉だ。頭から否定するのもよろしくない。
「まあ、まだ一日目だからさ。アンリ君もマリアちゃんも、結論は急がなくてもいいんじゃない?」
結局はエリックの言葉に、マリアとアンリも渋々頷いて、その場でのレイナに関する話は終わりとなった。
食堂での昼食を終えてから、アンリは魔法工芸部の部室へと向かった。
まだ入部するとは言っていない。今日は見学だけだ。しかしアンリは近いうちに、入部の意思を伝えるつもりでいる。
交流大会で見た魔法工芸品の数々。そして先日、断るつもりながら義理で見学した魔法工芸部で見せてもらった工芸品。それらは確実に、アンリの心を捉えていた。
「あら。アンリさん、いらっしゃい。まだ初日だというのに熱心ね」
部室の扉をノックしたアンリを出迎えたのは、三年生のキャロル・エスレンジ。アンリを魔法工芸部に勧誘したその人だった。
「こんにちは、キャロルさん。見学したいと思って来たんですけど」
「あら、うれしい。……でも、ちょっとタイミングが悪かったかもしれないわねえ」
部室を覗くと、アンリを出迎えたキャロル以外に、人の姿がない。
ほかの部員も、顧問の先生も、誰もいない。大きな作業机がいくつも並んだ部屋の中は、がらんとしている。
「今日は午前中で授業が終わりだったでしょう? こういう時間の取れる日は、皆で西の森に素材を採りに行くの」
イーダの街の西に広がる森の一部に、学園の管理している場所があるという。先生の許可があれば生徒も出入りが許されていて、魔法工芸部でも、工芸に使う素材を自ら採取しに行くことがあるそうだ。
「もうすぐ新人勧誘期間が始まるから。皆、新しい物を作るために、素材採取にもやる気を出して出かけてしまって」
「キャロルさんは?」
「私は野外活動が苦手だから。必要な素材は誰かに採ってきてもらうか、購入することにしているの」
キャロルはそう言って、にこりと笑う。おっとりとした彼女の様子は、たしかに野外での素材採取に向いているとは思えない。お嬢様然とした上品な物腰からするに、素材を買い付けるだけの財力もあるのだろう。
「だから皆の作業をお見せすることはできないけれど……まあ、でも。せっかくだから」
そうしてキャロルはアンリに、部室の中へ入るようにと促した。
空いた作業机の前の椅子を勧められ、アンリは腰掛けながら、部屋の様子をぐるりと見渡した。
以前来たときよりも、やや物が減っている印象がある。壁際の棚には空きが目立ち、作業台も、使われていない場所が増えている。
「四年生が卒業しちゃったでしょう? 先輩たちの使っていた棚と作業台が空いちゃって、少し寂しくなったわね」
アンリの視線に気付いたか、キャロルが説明する。
「もうすぐ新人勧誘期間だから……それを過ぎれば、また前のようにごちゃごちゃしてくると思うわ」
「さっきも言っていましたけど、その『新人勧誘期間』ってなんなんですか?」
「あら、知らない? 魔法系の部活動全体で、二年生を積極的に勧誘していい時期っていうのを決めているの。二年生から魔法の授業が始まるとはいえ、進級したばかりではまだ魔法を使える人は少ないでしょう? だから、部活動として新人を勧誘するのは、進級して一ヶ月くらいのタイミングって決まっているの。その頃、一週間くらいかけて新人の取り合いをするのよ」
取り合い……とアンリが顔をしかめても、にこにこと優しげなキャロルの微笑みが陰ることはない。
「魔法系の部活動はどこも、優秀な新人さんを求めているの。特に一組の子なんて、大人気なんだから。アンリさんにも、たくさん声がかかるんじゃないかしら」
そう言って、彼女はぺらりと一枚の紙をアンリの前の作業台に置いた。覗いてみると、どうやらなにかの名簿らしい。見覚えのある名前が書き連ねてある。アンリの名前もあった。
「……これ、二年一組の」
「今朝、掲示板にクラス分けが貼り出されたでしょう? あの混雑の中で、あれを書き写すっていう奇特なことをする人もいるのよ。そしてこの名簿を頼りに、私たちは優秀な新人さんを勧誘するというわけ」
ちなみにこの名簿はサニアから買ったのよと、キャロルは明るく言った。サニアは掲示板の貼り紙を書き写す奇特な人だったのだろうか。それとも、サニアも誰かから買ったのか。
この際、それはどちらでも良い。
それよりもこの「優秀な新人さん候補」の名簿にアンリの名前が載っていることの方が問題だ。キャロルの話が本当なら、ひと月後には、アンリにもたくさんの声がかかるに違いない。アンリはもう、入る部活動をほとんど絞り込んでいるのだ。そんな中で興味のない部活動から声をかけられたところで、面倒でしかない。
「しかもアンリさんは、交流大会のイベント優勝者でしょう? 引く手数多だと思うの」
「……面倒くさい」
思わず漏れた本音に、キャロルがにっこりと、今日一番の笑顔を見せた。
「そう思うでしょう? そこで、そんな面倒を避ける方法が、ひとつだけあります。聞きたくはない?」
うっとアンリは言葉に詰まる。面倒を避ける方法は知りたい。しかしキャロルの笑顔は、穏やかで優しげに見えて、どこか有無を言わさない雰囲気を醸し出している。
アンリはこういう顔を知っている。アンリに対して親切にしているように見せかけて、実のところ、自分の目的を達成するために手段を選ばない人の顔だ。
親切そうだからと、簡単に引っかかってしまうようでは情けない。答えは慎重に……と思っていたはずなのに、アンリが返事に迷っているうちに、当のキャロルが問答無用で話を続けてしまった。
「警戒しているの? ……大丈夫。アンリさんにとっても悪いことではないはずよ。簡単よ。これに署名をすれば良いの」
そうしていかにも自然な動作で、すっと作業台の上に置かれた一枚の紙。
よく見ればそれには「入部届」と大きく記載されていた。




