(7)アイラとマリア
王宮での五日間のパーティで、年末年始におけるアイラの仕事は終わり。マグネシオン家の当主たる父親にはほかにも多少の付き合いがあったようだが、それも終わると、その後は首都の本邸で、久々に家族そろってゆったり過ごしたのだった。
明朝には、アイラはマリアやエリックと共に、イーダに戻ることになっている。
今日は本邸で過ごす最後の一日だ。何をして過ごそうか。訓練室で魔法訓練をするか、離れの研究所を覗いてみるか。あるいはしばらく首都へは来ないだろうから、街中を少し散策してみても良いだろうか。
……ひとまず、お父様の予定でも伺ってみようかしら。
明日、首都を出てイーダへ向かうのはアイラだけ。両親は、この首都の本邸に残る。数日の差でアイラを追ってイーダへ戻る母とはすぐに会えるが、イーダに向かう予定のない父とは、またしばらく会えない日が続く。
休暇中はずっと家族で一緒だった。最後の一日だからといって、ことさら親と過ごさなければならないということはない。
それでも都合がつくなら一緒にお茶くらい飲んでも良いか。そう思えるくらいには、マグネシオン家の家族仲は良好だった。
アイラは部屋を出て、階下にある書斎へ向かう。今の時間なら、来客さえなければ父は書斎にいるはずだった。
ところが階段を降り始めたところで、一階から、声が聞こえてきた。
「やあ、来てくれて良かった。忙しいだろうに、悪かったね」
来客のようだ。それも、父が招いた客らしい。最後の一日を父と過ごすのは、諦めなければならないだろうか。ではどうしようか、と改めて今日一日のスケジュールを考え始めたアイラの耳に、信じられない声が聞こえた。
「いえ。今は仕事も休んでいるので、忙しいということはないです。むしろ休暇に入って、暇になっちゃって」
……この声は。
考えるよりも先に、アイラは階段を駆け降りていた。普段なら家の中で走るなど、はしたないことはしないアイラだが。そのくらい、慌てていた。
「あ、アイラ。久しぶり」
たどり着いた一階の玄関ホールで、来訪者はアイラに片手をあげて気楽に声をかけてきた。アイラに背を向ける向きで立っていた父も振り返り、ああ、と娘を手招きする。
「アイラ、ちょうどよかった。何日か前に、アイラに頼まれたことがあっただろう。アンリ君ならどうにかしてくれるんじゃないかと思って呼んだんだ」
来客は、アンリだった。
何日か前に、アイラが父に頼んだこと。
なんのことかしら、などと悩むまでもない。
かわいい従姉妹に似合う形の魔力放出補助装置を作ってほしい。中等科学園の制服にも、パーティ用のドレスにも似合うような形がいい。
アイラが父にそれをねだったのは、パーティの帰りの馬車でマリアと約束をした、その翌朝。つまり今日から数えて「何日か前」のことだった。
もちろんアイラは、自分の父親が魔法器具を自作する技術を持っているわけではないことを知っている。自身が出資する研究所に発注するか、馴染みの工房に注文するか、なんらかの伝手を使って防衛局の研究部に手を回すか。
その方法のひとつに、ドラゴンの首輪の一件以来マグネシオン家の研究所で研究に協力しているアンリの存在があることを、アイラはすっかり忘れていた。
当然、アンリに頼らずなんとかしたいなどということも、伝えてはいない。
「お、お父様っ。アンリは二年生になったら新しい部活動を始めたいと言っていましたわ。きっと忙しくなりますから、そんなこと、頼まない方が」
「おや、新しい部活動か。何をするんだい?」
「魔法工芸部に入ってみようと思っています。魔法器具もいいですけど、工芸品にも興味があって」
焦るアイラの様子を訝しむように眉をひそめつつ、アンリは淀みなく答える。
「魔法工芸か。美術的な要素だね。それはちょうどいい。……ああ、立ち話になって悪かったね。あっちで詳しく話そう」
こうして娘の意図に気付かない父はアンリを応接間へ通し、さっさと魔法器具の話をしてしまった。
そしてもちろんアンリは二つ返事で、それを了承したのだった。
翌朝、アイラはマリアやエリックと共に、イーダへ帰るための馬車に乗り込んだ。
親たちは、まだ首都で用があるという。その親たちから、保護者代わりとしてアイラたちをイーダまで送り届ける大役を任されたのは、エリックの次兄リアム。奥方はいない。どうやら仕事の都合もあって、彼だけ早めに首都を出ることにしたらしい。
使用人も護衛もつく道中なのだから、わざわざ保護者など必要ない。そうアイラは父に抗議したのだが、「彼もちょうど領地に戻るところで、イーダは通り道らしいよ」と笑って応える父に、考え直すつもりはないようだった。
(……まあ、彼を追い出したら、きっとエリックも別の馬車になってしまうし)
「エリック、同じ馬車で帰れてよかったね!」
「うん。誘ってくれてありがとう、マリアちゃん」
「皆で帰れた方が楽しいもの。当然でしょ!」
(マリアが楽しそうだから、良いかしらね)
パーティでのリアムの言動を忘れることはできないが、彼も後でエリックから言い聞かされたのか、馬車に乗り込む前にはマリアに頭を下げていた。その謝罪を、むしろ恐縮そうに受けるマリアの姿も見た。だから、アイラがとやかく言うことではない。
マリアが良いならそれで良い。
アイラは嫌味ひとつ言うことなく、大人しく馬車に揺られた。
「えっ。アンリ君、来てたの?」
「ええ。……結局、マリアの腕輪のことは、アンリに頼むことになったわ」
昨日、アンリにマリアの腕輪製作を依頼したことを伝えると、マリアは目を輝かせた。
自分がどうにかする、とアイラが言ったときには素直に譲ってくれたが、やはり心中ではアンリに頼みたいと考えていたに違いない。アイラにとっては不本意な結果だが、腕輪を実際に使うのはマリアなのだ。マリアの意に沿うのであれば、それが一番だ。
「アンリ君がつくってくれるなら、きっとすぐにできちゃうね!」
「まあ、そうでしょうね」
「楽しみだなあ」
にこにこと上機嫌に笑いながら、マリアは自分の腕を撫でる。今日はエリックの兄が一緒だからと、腕輪は装着していない。友人ばかりの中等科学園にいるときと違って、首都ではほとんど腕輪をつけていなかった。
(……早くに実現するのなら、アンリでもいいかしらね)
アイラはようやく、悔しいとも憎らしいとも思うことなく、アンリに腕輪作りを任せる気になった。
「それにしても、アンリ君も一緒の馬車に乗って帰ればよかったのにね」
話題を変えるように、エリックが言った。これ以上腕輪のことで煩わされたくないと思っていたアイラにとっては、好都合だった。
「誘いはしたのよ。でもアンリったら、馬車は……」
危うく口を滑らせそうになったアイラは、向かいに座るリアムの存在を思い出して口を閉じる。
本当は「馬車は嫌だ。なんで首都からイーダに行くのに、一日馬車に揺られなければならないのさ。飛翔魔法ならすぐなのに」と断られたのだ。なんなら連れて行こうかと言われたので、丁重にお断りした。アイラの親はともかく、マリアやエリックの親になんと説明するつもりだったのだろう。
とにかく、同級生がそんなとんでもない手法でイーダに帰ることを、エリックの兄に知られるわけにはいかない。
「……もう、知り合いに馬車を頼んであるからと言っていたわ。誰かと一緒に帰るそうよ」
「ええー、つまんない。でもアンリ君、首都には知り合い多そうだもんね」
リアムさえ騙せれば良かったのだが、隣に座るマリアも、アイラの言葉を信じたようだ。斜向かいに座るエリックが苦笑しているのは、アイラが何を誤魔化そうとしたのかに気付いているからだろう。
そんななかで、リアムは訝しげな顔をして、隣のエリックに耳打ちする。
「……なあ、さっきから。アンリ君って誰なんだ?」
「僕たちのクラスメイトですよ」
「マリア嬢はずいぶん、ご執心のようだが」
「えっと、マリアちゃんは、アンリ君と仲が良いから……」
リアムのひそひそ話に対して、エリックも小さな声で答える。二人とも、小声で話せばアイラやマリアに話が伝わらないとでも思っているのだろうか。この狭い馬車の中で。
呆れた気持ちを分かち合おうとマリアに目を向けると、マリアは窓の外を眺めていた。馬車は折良く、雄大な景色を誇る平原の真ん中を走っていた。都合の良いことに、景色に夢中になったマリアの耳に、エリックとリアムとの会話は届いていないらしい。
アイラもそのままマリアと共に、景色を楽しむふりをする。
「ぼやっとするな、エリック。マリア嬢の関心がエリックから逸れてしまうだろう」
「えぇ……そういうのじゃないと思いますけど」
「どういうのでも関係ない。なんでもいいから、関心をひいておくんだよ」
リアムのあからさまな言い方に、アイラは眉を寄せるのを必死にこらえつつ考える。
言い方には問題があるものの、彼の意見には一理ある。
エリックの兄二人がマリアとエリックをくっつけたがっていることを、アイラは昔から知っていた。正直なところ、家の位が釣り合わないから非現実的だとは思うのだが。それでもエリックは幼馴染みだし、マリアがそれを望むなら良いだろうと思っていた。だから邪魔もしなかったのだ。嫁入りになるのか婿入りになるのかは知らないが、どちらにしても祝福できる。
しかし、そこにもしも、アンリという選択肢が出てきてしまったら?
家の位が釣り合わないどころの話ではない。アンリは貴族では無いのだから。それでも今は貴族と平民の垣根も緩いから、マリアさえ望めば簡単に許されてしまうだろう。
マリアが貴族の身分を捨てることを条件に。
……そんなことをしたら、この可愛い従姉妹と自分との距離が開いてしまうではないか。アイラが心配するのは、そこである。
いつかお嫁に行くのだとしても、貴族の位は守ってもらわなければ。マリアと離ればなれになるのは耐えられない。
「ほら、マリア嬢を見ろ。きっと、外をその『アンリ君』とやらの馬車が通らないかと探しているんだ」
「ええ……違うと思うけど」
「そんなふうに余裕をかましていると、いつか痛い目に遭うぞ」
マリアは単純に景色を楽しんでいるだけだから、リアムのそれは勘繰りすぎと言わざるを得ない。それでも、エリックを鼓舞するその姿勢には賛同できる。
リアムの言うとおりだ。
エリック、頑張れ。
応援する気持ちを込めて、アイラはエリックに目を向けた。
ところがエリックは、どうやら兄との会話を聞かれて睨まれたと思ったらしい。口をぎゅっと結んで、背筋をピンと伸ばした。目が助けを求めるように左右に泳ぐが、あいにくと狭い馬車の中だ。助け舟などあるはずがない。マリアはまだ、のんびりと窓の外を眺めている。
そのまま緊張を維持して馬車に揺られたせいで、イーダで馬車を降りる頃には、エリックの顔は疲労困憊で青くなっていた。
悪いことをしたかしら。
アイラはやや反省したが、馬車ではずっと外ばかり見ていて事情を知らないマリアは、心底から心配そうにエリックの背をさすった。
「馬車酔いしちゃったの? 珍しいね、大丈夫?」
「う、うん……大丈夫」
「本当? 無理しないでね」
気遣わしげな優しいマリアの声に、まあ結果的には良かったかと、アイラは罪悪感を一瞬で消し去った。
あと数日で、二年生。これからは皆同じクラスだ。
二人のことを応援せねばと、アイラは珍しく、魔法や勉強以外のことに注力することを決意した。
お読みいただきありがとうございます。
4.5章はここまでです。次から5章になります。
5章の開始までに、もう少しお時間いただきます。




