(5)イルマークとアリシア
隣町へ向かう乗合馬車を待つイルマークの肩を、誰かが叩いた。
「ああ、アリシアですか」
「久しぶり。元気だった?」
イルマークが振り返った先で、ポニーテールにまとめ上げた黒髪を揺らして立っていたのは、幼馴染みのアリシアだった。同じ時期に同じ町へ帰るのだ。馬車が一緒になっても不思議ではない。
「元気ですよ。アリシアは? 騎士科の学園はどうですか?」
「楽しいよ。毎日たくさん身体を動かせるから、初等科より楽しい」
アリシアはイルマークと同い年。一年前に、一緒にこのイーダの街にやって来た。しかし、入学した学園は別だ。イルマークは魔法士科、アリシアは騎士科。アリシアには魔法への適性がない。
「イルマークは? 魔法士科はどう?」
「楽しいですよ。いくつか魔法も使えるようになりました」
「えっ、ほんと? 見せてよ」
「駄目ですよ。こんな街中でやってみせられるほど、まだ上手くはありません」
家に着いてからにしてくださいとイルマークが言うと、アリシアは目を輝かせた。代わりにアリシアは、騎士科で習った剣捌きを見せてくれるという。昔から、アリシアの剣の扱いは綺麗だ。どれだけ洗練されただろうと、イルマークも期待する。
話すうちに、馬車が来た。二人で乗り込み、ほかの乗客と共に故郷の町を目指す。
馬車が止められたのは、街を出て、気持ちよく真っ直ぐに街道を進んでいるときだった。前方から防衛局の制服を着た男女が徒歩で近寄ってきて、止まるようにと合図したのだ。
御者台までやってきた男女が御者と何やら話しているが、イルマークの位置では内容までは聞き取れない。
やがて男女が離れていくと、御者が振り返って乗客に向けて言った。
「お急ぎのところすみませんねえ。どうやらこの先で何かあったらしくて、しばらく通行止めだそうですよ。ひとまず近くの広場まで行って馬車を停めますんで、その後のことは追って相談しましょう」
言葉どおりに、馬車は少しだけ走ると道を外れて停車した。道と同じように綺麗に土が固められた空き地は、馬車に不具合があったときなどに使う緊急待避用の広場だ。そこにイルマークたちの馬車のほか、三台ほどが停まっている。
詳しく話を聞くと、この先、隣町までの間に広がる森で、危険種に指定されている動物の群れが発見されたのだという。現在防衛局が対処中で、安全が確認されるまでは通行止めなのだとか。
「早くて半日、長くて一日くらいじゃないかってことです。そんくらいだと、イーダに戻るよりは、ここで待っていた方がいいと私は思いますがね。もしイーダに戻るって方がいるなら、防衛局さんの方で帰りの馬車を手配してくれるそうですよ」
イーダの街に帰りたいと手を挙げたのは、十人ほど乗った馬車の中で二人だけ。御者がそれを防衛局職員に伝えると、しばらくして、立派な馬にひかれた黒い馬車がやってきた。
「すごい馬車ですね」
「あれ、防衛局のマークが入ってるよ」
どうやらイーダに戻るのは、他の馬車からも数人ずついるらしい。先程の二人を含めた何人かが乗り込むと、馬車はすぐにイーダの街の方へと去っていった。
「いいなあ。私もあんな馬車乗ってみたい……イーダに帰るって言っておけばよかった」
「珍しいですね、アリシアが馬車に乗りたいなんて。馬車に乗るより、自分で馬に跨がるほうが向いていると、以前言っていませんでしたか」
「そりゃあ、馬車と馬を比べるならね? でも同じ馬車なら、これよりあっちの方が格好いいじゃない」
「勘弁してくださいよ、お嬢さん。聞こえてますから」
御者の嘆きに、馬車の中で穏やかな笑いが生まれた。
通行止めが解除されたのは昼過ぎだった。
ご協力ありがとうございました、と丁寧に頭を下げて見送ってくれた防衛局の職員たちの横を通って、馬車は街道に戻る。今からならぎりぎり日が暮れる前には隣町に着けるだろうと、御者は張り切って馬を走らせた。
速さのために、それまでよりもがたがたと大きく揺れる馬車の中、アリシアは揺れなど気にも留めずに、楽しそうに輝く目をイルマークに向ける。
「やっぱり防衛局の人ってかっこいいよね。親切だし。私、将来は防衛局に入りたいと思っているんだ」
「……アリシア、貴方は騎士に憧れて騎士科に進学したのではありませんでしたか」
「細かいこと言わないで。仕方ないでしょ、格好いいものには憧れるものなの」
イルマークが呆れてため息をつこうと、彼女に悪びれる様子はない。そういえばアリシアは昔から興味の対象がころころ移り変わる子だったなと、イルマークも今さらながらに思い出す。
「それにね。学園に入ってみたら、周りの友達は皆、防衛局志望なんだもの。今どき騎士を目指すなんて、馬鹿らしくなっちゃった」
「ようやく気付いたんですか……」
騎士科の中等科学園は、元来はその名のとおり、主に王宮騎士団に所属する騎士を育てるために作られた学園だった。
しかし王権の弱体化に伴い、行政を王府ではなく防衛局や統治局、教育局などの中央機関や各地方役場が中心に担うことになると、王宮騎士団は大幅に縮小された。国内各地の防衛を、騎士団ではなく防衛局が担当するようになったからだ。
以来、騎士科卒業生の進路は騎士団に限らない。現在の騎士科中等科学園は、体力に自信のある学生や武術に覚えのある学生に対し、体力、武力の使い方を教える学園として機能している。
卒業後は、防衛局や傭兵団など、鍛えた戦闘能力を活かす仕事を目指すことが多い。あるいは運送業や農業、漁業、畜産業など、培った体力を生かす進路を選ぶこともある。
騎士団という選択肢は、むしろ少数派になりつつあった。
「まあ構いませんが。それにしてもアリシア、貴方が騎士になりたいと思ったのは、以前首都で観た式典がきっかけでしたよね。今日の防衛局の方々はたしかに親切でしたけれど、騎士団の式典用の鎧姿よりも格好良いかと言われると、私にはどうも……」
「ああ、違うの。さっきのじゃなくて、もっと前から。実は交流大会のときにちょっとした痴漢に遭ってね。殴ってやろうと思ったら、その前に近くにいた警備の人が来て、助けてくれたんだ。あっという間に相手を取り押さえて、それが格好良かったの」
お礼の言葉を伝えつつ話を聞いてみると、警備の応援で来ていた防衛局の戦闘職員だったそうだ。防衛局に入って二年目、まだまだ未熟ですがと謙虚に笑った彼の格好良さを、アリシアは忘れられないらしい。
「私もあんなふうになりたいって思ったの。なによりイケメンだったし。防衛局に入れば、また彼に会えるかもしれないでしょ?」
(……そういえばアリシアは昔から、面食いでしたね)
初等科で一緒だったときにも、しょっちゅう「あの先輩がかっこいい」「あっちの中等科に素敵な人がいた」と騒いでいたことを、イルマークは懐かしく思い出す。別々の中等科に進学し、ここ一年ほとんど会ってもいなかったが、一年前となにも変わらない彼女の性格にイルマークは呆れた。
「だから私、防衛局に行きたいの。イルマークも応援してね」
「……はいはい。まあ、一年経っても気が変わらないようなら応援してもいいですよ」
「なにそれ。まったく信用してないでしょ」
信用していないわけではない。アリシアは気が変わりやすいが、新しい興味の対象さえ見つけなければ、意外なほどに長いあいだ同じことに執着する性格でもある。だから、防衛局以上に格好いいと思える仕事を見つけることさえなければ、そして交流大会で見たというイケメン以上のイケメンを見つけることがなければ、きっと、一年経っても彼女の気は変わらないだろう。
逆にいえば、彼女がより強く興味を持ちそうな何かを目の前に示してやれば、興味の対象はあっという間にそちらに移る。
(私がアンリのような魔法を学んで活躍すれば……アリシアは私のことも格好良いと思って、旅についてきてくれるでしょうか)
イルマークの夢は世界中を旅してまわること。最初は祖父母についていくつもりだが、いつまでもそうしていられるわけではない。一人旅もよいが、やはり、旅は道連れがいると楽しい。かといって誰でもよいと思えるほどに、イルマークは社交的な性格をしていない。
できれば幼い頃から一緒にいて、気心の知れた友人と旅をしたい。
「防衛局っていろいろあるけど、私は騎士科だし、やっぱり戦闘職を目指すべきかな。戦闘職で入れば、彼に会える確率も上がるよね」
(……来年の年末までに、なんとか格好いいところを見せたいですね)
あれこれと輝く瞳で防衛局の良さを語るアリシアの話を聞き流しながら、イルマークは、どうすればこの気の置けない昔馴染みを自分の旅に連れて行けるかと、ぼんやりと考えを巡らせた。




