(3)ウィリアムとメアリとリリイ
年末年始の長期休暇の初日。
しばらく寮に残るアンリには申し訳ないと思いつつ、ウィルは家族との時間を優先して早くに寮を出た。
昼前に乗合馬車に乗れば、夕方には街に着く。街の入口からしばらく歩き、ちょうど日が沈む頃。やっと家に帰り着いたウィルがドアを開けると、中では十歳と八歳の妹二人が待っていた。大きい方がメアリで、小さい方がリリイ。二人とも母親によく似た、可愛らしい面立ちをしている。
「あっ、兄さん。おかえり」
「おかえりお兄ちゃん。お腹すいた!」
久々に帰ってきたというのに、まるで朝出て夜帰ったかのような気軽さで迎えられ、ウィルは思わず苦笑する。
「ただいま。お腹空いたって……母さんは? 夕飯はどうするの?」
「母さんも父さんも、まだ仕事だよ。今日は兄さんが帰ってくるから、ご飯は兄さんがなんとかしてくれるって言ってた」
「えっ、僕?」
何か買って帰ってくるべきだっただろうか。しかし手紙にもそんなことは書いていなかったはずだ……と思いながらウィルが台所を覗くと、スープさえ温めれば食事のできる準備はちゃんと整っていた。まだ十歳のメアリは、火を使うなと両親からきつく言い聞かされている。もちろん八歳のリリイもだ。このスープを温められるのは、ウィルしかいない。
「……わかった、荷物を置いてくるよ。すぐに食事にしよう」
「「やったー!」」
二人の妹たちの高い声を聞いて、ああ家に帰ってきたなと、ウィルは実感した。
日が落ちて暗くなった部屋を魔法器具で照らし、温めたスープとパンで兄妹三人の夕食を済ませた頃、父と母が連れ立って帰ってきた。
「ただいまーっ。ウィル、おかえりーっ」
「おかえり母さん。夕飯食べる?」
「うん、ありがとーっ」
母は街中の食堂で調理のアルバイトをしている。年末になると客が多く、こうして帰りが遅くなることも多い。そんな日は、街の端の方にある魔法器具工房で技師として働く父が帰りがけに母の食堂に寄り、そのまま連れて帰ってくるのだ。
時間によっては、二人で夕食を済ませてくることもある。そういう日には、家で待つ兄妹のうち一番年長のウィルが夕食の仕度をするのが、昨年までの習わしだった。
「ごめんねー。ウィルも帰ってきたばかりでしょう」
「別に良いけど、そろそろメアリにも料理覚えてもらったら?」
「そうねえ」
ウィルが家でそういう役割を担いはじめたのは、ちょうど十歳のときだった。今のメアリと同じ頃。だからメアリにも、と言っているのだが、母はいまいち乗り気ではない様子だ。気持ちはわからないでもない。ウィルに比べて、メアリはややそそっかしいところがある。火を扱わせたらいかにも危険だという感じがするのだ。
しかし、いつまでも何もさせないというのは、メアリのためにもならない。
「まあ、来年は少し考えてみようかしら」
「やった! 母さん、私、お料理してみたいと思っていたの!」
「……メアリが張り切ると、逆に不安ねえ」
食卓に着き、不安そうに頬に手を当てる母。その隣で何も言わずに苦笑する父。二人の前にスープとパンを置いて、ウィルは向かいに座った。隣にはメアリ、その隣にはリリイ。子供三人は既に夕食を終えているが、誰も席を立って子供部屋に向かおうとはしなかった。
久しぶりに、家族五人が食卓にそろった。
「あらーっ。さすがウィル、良い成績ねえ」
食事も終わっていないというのに、母はいつも通りの快活さでウィルに成績表を催促した。ウィルが仕方なく差し出した成績表を見て、スープを飲みながらにっこりと微笑む。
隣の父もパンを咀嚼しながら成績表を覗き込み、控えめながら頷いている。しばらくしてパンを飲み込むと、真っ直ぐにウィルを見た。
「よく頑張ったな」
「ありがとう父さん」
「ええー。兄さん、ずるーい。私も父さんに褒められたかったー」
「……メアリはもう少し頑張れると、父さんは信じているよ」
父の言いぶりからするに、メアリは成績があまり良くなかったのだろう。頭が悪いわけではないから、いつものそそっかしい性格で、試験で何かミスをしたのかもしれない。
唇を尖らせるメアリを宥めてから、母もウィルに目を向けた。
「それで、ウィル。成績のことばかりじゃなくて、お友達のこととかも聞いていいかしら」
「うん、もちろん」
前に一度帰ってきたときに、魔法研究部で友人たちと魔法の練習をしていることは話した。そして部活動とは別に、毎日部屋でも魔法の訓練をしていること。ほかのクラスにも友人ができたこと。
今回はその続きの話だ。交流大会の模擬戦闘で友人同士が戦ったこと。学年末試験に向けて友人たちと一緒に勉強をしたこと。部活動を解散したこと。
部活動の解散、という言葉に母が目を丸くした。
「えっ。部活動解散しちゃったの? もったいない」
「いいんだよ。もうすぐ授業でも魔法の実践が始まるんだから」
「それにしたって。ウィルには魔法の才能があるんでしょう? 練習する機会は多い方がいいじゃないの」
母の言葉にウィルは苦笑する。
母の言う魔法の才能とは、魔法への適性があるという話ではない。父からの受け売りだ。
ウィルに魔法教育を施したのは父だ。魔法器具工房で働くだけの父に、どうして魔法教育の知識があるのかをウィルは知らない。知らないが、どうやら父にとって人に魔法を教えるのは、初めてではないらしかった。そしてその父が言ったのだ。「この子には魔法の才能がある」と。
親バカで子供を贔屓するような人ではない。魔力の器の大きさか、物覚えの良さか。何をどう評価してそんなことを言ったのかは定かでないが、とにかく父は魔法士として、ウィルの才能を認めたのだ。
それを母は、一途に信じ込んでいる。
いや、ウィル自身、アンリに出会うまでは、父の言葉を信じて自分に才能があるものと思っていた。
「……大丈夫。実はルームメイトと一緒に、毎日部屋で少しずつ練習しているんだ。それに来年は別の部活動に入って、もっと魔法の訓練をするつもり」
「あら、そうなの。ウィルは頑張り屋さんねえ」
「頑張らないと、周りに追い越されちゃうからね」
母の言葉に、ウィルは笑顔で言う。
アンリと出会って自分の魔法の才能には自信をなくしたが、才能がないからといってすぐに諦めるほどウィルは腐っていない。アンリを追い越すことが無理であっても、せめて近付きたいし、アンリ以外の同級生に追い越されたくはない。ついでに言えば、アンリは無理でも、アイラには追いつきたい。
友人から穏やかと評されることの多いウィルだが、内には強い闘争心を抱いていた。
「競うのは良いことだ、ウィリアム。その調子で頑張りなさい」
友人たちからは滅多に見透かされることのないウィルの熱い気持ちを、父はちゃんと理解しているようだった。
ウィルの学園生活の話が終わると、次は父の話を聞く番だ。
「父さんは今、どんな魔法器具を作っているの?」
「今は、料理を簡単に作るための魔法器具だな。まだ試作段階だが……そうだ、休みの間に一度、僕の魔法器具でつくった料理を食べてみるか」
「えっいいの?」
「ああ。最近は家で試してみることも多いんだ」
聞けば最近では実験を兼ねて、朝食や夕食を父がつくることも多いらしい。せっかくアルバイトで料理の腕を鍛えているのにと、母はやや不満そうだ。
メアリやリリイは、母の料理も父の料理もどちらも美味しいと正直に主張する。その言葉に、母はいっそう不機嫌になった。
「魔法器具を使った手抜き料理のくせに、生意気よ。ねえ、ウィル。ウィルはせっかく家に帰ってきたんだから、母さんの手料理が食べたいよね?」
「いやいや、ウィリアムは魔法士科の学園に通っているんだぞ。魔法器具でつくった料理に興味があるに決まっている」
おっと面倒くさいことになったぞと、話を振られたウィルは正解を必死に考えた。二人とも普段は穏やかなわりに、自分が譲れない分野にはひどく頑固なのだ。答えを間違えれば、久しぶりの家族五人での食卓が台無しだ。
「……両方食べたいよ。休暇は長いんだから、どっちも食べる機会はあるよね」
「あら、良いこと言うわー。さすが私の息子!」
「ふむ。それなら明日は朝食を僕、夕食を母さんということにしようか」
どうやら、ちゃんと正解を言い当てることができたようだった。
休みの日々は充実していた。
メアリの宿題を手伝い、リリイの遊びに付き合い、母の手料理を堪能し、父の魔法器具を鑑賞した。
特に父の魔法器具が、ウィルにとっては興味深かった。体験カリキュラムで防衛局の研究部に行ったときにも魔法器具作りに少しだけ関わったが、父のつくる魔法器具は防衛局でつくるものとはまったく違う。生活を便利にするための魔法器具だ。
魔法器具にもいろいろあるのだなと、父のつくった魔法器具を興味深く眺める。
ウィルが興味を示したことは、父にとっても嬉しかったらしい。珍しく饒舌になった父は、ウィルに魔法器具を見せながら、製作にあたっての苦労を延々と語った。ウィルにはなかなか理解しにくい話だったが、アンリを連れてくれば父の良い話し相手になるかもしれない。「ルームメイトが魔法器具に詳しいんだ」というウィルの言葉には、父も興味を持ったようだった。
そうしてのんびりと過ごすうちに、休みはあっという間に過ぎた。
「お兄ちゃん、もう行っちゃうの?」
「うん。始業にはまだ日があるけれど、寮には余裕を持って帰りたいからね」
見送りに出てきたリリイの頭を撫でる。平気な顔をしているメアリは、もう兄の存在を恋しがる歳でもないのだろう。妹の成長を感じて微笑んでから、ウィルは両親に目を向ける。
「それじゃあ、父さん、母さん。行ってきます」
「気を付けて。次に帰ってくるときには是非、ルームメイトの子も連れてきなさい」
「あら。私はウィルの彼女に会ってみたいわ」
彼女がいるなどと母に話した覚えはない。母はどうやら、中等科学園に行けば男女の付き合いが生まれるものと思い込んでいるらしい。いないと言えばいいだけなのだが、アンリだけを連れてきて彼女を連れてこなければ、また母がへそを曲げるだろう。
……アンリを連れてくるのは、彼女ができるまでお預けかな。
いつになるやらと、自分の今の交友範囲と異性への関心の無さを思って苦笑しながら、ウィルは乗合馬車の乗り場へ向けて歩き始めた。




