(1)アンリとテイル
第4.5章です。おまけみたいな話をいくつか。
長期休暇に入ると、寮から人が減るのはあっという間だった。
長期とはいえ、休みは年末年始をまたぐ二十日間しかない。皆、急いで家に帰って、一日でも長く家族とゆっくり過ごしたいのだ。初日の夕食の時間には、もう寮に残った生徒はアンリを含めてほんの数人になってしまっていた。
閑散とした食堂で、アンリは寂しく夕食をつつく。
ウィルも、イルマークも、ハーツも帰ってしまった。寮内にほかに親しい知り合いもいないアンリには、一緒に食事をとる友人がいない。しばらくはこうして独りで過ごすことが増えるだろう。
そう覚悟してもぐもぐと口を動かしていたアンリに、思いがけず近づく者がいた。
「やあ、アンリ。帰らないの?」
「テイル」
食事のトレイを持ってやってきたのは、アンリと同じ一年三組のテイル・ハーバード。彼は当たり前のように、アンリの向かいの席に座った。
「俺もルームメイトが帰っちゃってさ、独りなんだよ。一緒に夕飯食べようぜ」
「……テイルは帰らないのか?」
「帰るよ。でも、家はイーダの街中なんだ。毎日通学するにはちょっと遠いっていうだけで、休みの日にはよく帰ってる。だから、年末だからって急いで帰る気がしないんだ」
アンリは? と改めて問われる。
クラスメイトとはいえ、テイルとはほとんど喋ったことがない。そんな彼に「実は孤児院の出身で」などと身の上話を始めるのもいかがなものかと思い、アンリは答えに窮す。
「……まあ、色々あって。年始にちょっとだけ帰るよ」
「ふうん。ま、人それぞれだしな」
アンリの曖昧な答えを気にした風もなく、テイルはパンをちぎって口に放り込んだ。ほとんど噛まずに飲み込むと、すぐに話題を切り替える。
「年始にってことは、明日はいるんだよな? 明日の朝、ちょっと付き合わないか?」
「付き合うって?」
「朝のランニングだよ。いつもルームメイトと走ってるんだけど、いないから。別に一人でもいいんだけどさ。最近人と走るのに慣れちまって、一人だと退屈なんだよ」
「ランニング……」
そういえば、朝起きて窓の外を見ると、たまに誰かが帰ってくるところを見ることがある。早めに学園に行く、ではない。なにか活動を終えて「帰ってくる」ところだ。朝食前の、まだ早い時間に。
あれは朝のランニングから帰ってくるテイルとそのルームメイトだったのかと、アンリは納得した。
「アンリは運動も得意だろ? 体育の授業でもよく動いているし。……嫌なら、無理にとは言わない」
「嫌じゃない」
アンリが黙っていることを悪く捉えたらしいテイルが顔を曇らせたので、アンリは慌てて首を振った。身体を動かすのは、嫌いではない。
アンリの言葉に自信を取り戻し、テイルは明るく笑った。
「良かった。じゃあ明日、よろしくな」
翌朝、朝食よりもやや早い時刻。男子寮横の芝生の広場に、二人の中等科学園生が大の字になって仰向けに倒れていた。二人とも顔を赤くして、苦しそうに胸を上下させている。
「ア、アンリっ……、おまえ、意外と……はやいな」
「テイル、こそ……、俺、こんなに、全力で走ったの、久しぶり……」
全力で走り切り、寮までたどり着いてばったりと倒れ込んだアンリとテイルだ。
初めはこれほど本気で走るつもりではなかった。アンリだけでなく、テイルもそうだろう。走り始めたときにはむしろ、走りながら話すくらいの余裕を持っていた。
終わったばかりの試験の話、授業の話、成績の話、年が明ければ始まる魔法実践の授業の話……そうして他愛のない日常の話題が尽きると、テイルがやや速度を上げた。
話が終わって余裕ができただけで、特段、競走しようと思ったわけではなかったはずだ。それでもアンリは、足を速めたテイルに少しだけ対抗心を燃やして、彼を追い抜いた。
追い抜かれれば、テイルだってやり返す。
そしてアンリもやり返す。
テイルが抜く。
アンリが抜く。
こうしてすぐに短距離走もかくやの速度に至った二人は、そのまま寮まで突っ走り、仲良く芝生に倒れ込んだのだった。
倒れ込んでしばらく経っても、なかなか息が整わない。
それでも、後悔はない。
「……テイル、明日も、やろう」
「うん。俺も、そう思ってた」
一年同じクラスで過ごしながらほとんど会話らしい会話をしたことのなかった二人に、友情の芽生えた瞬間だった。
「えっ。アンリ、一組になるのか?」
いったん部屋に引き上げて汗を拭いたアンリは、朝食のために食堂へ下り、同じように下りてきたテイルと当然のように朝食を共にした。
年が明けたら魔法実践の授業だ、という話になったところで「実は」とアンリはクラスが変わる予定であることを口にする。アンリの言葉に、テイルは目をまん丸にした。
「すごいな。一組になるのがわかるってことは、戦闘魔法が使えるってことだろ?」
「うん、使える……ようになったんだ。この一年で」
「そういえば、放課後によく訓練室でなんかやってたよな。ハーツとか、エリックとかと一緒に」
マリアやほかのクラスの友人たちも一緒だったとアンリは補足する。
入学して間もない頃に魔法研究部を立ち上げ、そこでトウリから指導を受けていたのだと、アンリは嘘にならない程度にぼかして話した。トウリの指導で、魔法研究部の全員が戦闘魔法を使えるようになったのだ、と。
アンリの話に、テイルはまん丸にした目をさらに大きく見開く。
「全員? 本当にすごいな。毎日訓練したって、普通は一年で戦闘魔法が使えるようになんてならない」
「それはわからないけど……でも俺たち、学年末の魔法力検査対策で使えるようになっただけだから。使えるなんて言ったら恥ずかしいレベルだって、トウリ先生には言われた」
戦闘魔法を使いこなせるかのような物言いはよろしくないと思い直して、アンリは同級生たちの魔法力を思い出しながら言った。言い訳がましい言葉になったかとやや不安に思ったが、幸いなことに、テイルはアンリの嘘には気付かなかったようだ。「それにしたってすごい」と、ただただ感心してため息をついている。
「いいなあ、その部活動。年が明けたら俺も入れないかな」
「いや、今年で解散することにしたんだ」
「えっ」
元々魔法を使えるようになることだけを目的にした部活動だから、魔法実践の授業が始まる二年生になれば必要ない。全員一組になれることが決まったことで、部活動以外で皆が集まる機会の確保もできた。
部活動を解散した理由と経緯を、アンリはそんなふうに、アイラとの模擬戦闘を端折って説明した。
そうだったのか、とテイルは納得しながらも残念そうに呟く。
「そんなことなら、俺も一年の間に入れてもらえば良かったなあ」
「そんな風に言われるなんて、思ってもみなかった」
「魔法士科に入ったんだ。誰だって早く魔法が使えるようになりたいと思うだろ? アンリだって、そう思って部活動を始めたんじゃないのか」
「……たしかに」
実際のアンリの動機はもう少し不純だ。強引に話を進めるマリアに逆らえなかったことと、自分が魔法を使えることについて不審に思われないようにすること。
しかし表向きの動機は、たしかに誰もが抱いているはずの「魔法が使いたい」という思いだった。マリアやハーツ、イルマークがそう思っていたように。
ほかのクラスメイトを誘えば、仲間は容易に集まったはずだ。そうすればテイルとも、もっと早くから話す機会があったかもしれない。友人もたくさんできただろう。
早くに気付いて、一年の間にクラスメイトを誘ってみればよかった……アンリの心に、小さな後悔が掠める。こんな年末の、もうクラス替えが目の前に迫っている今になって気付くなんて。
「ま、仕方ないな」
ところがそんなアンリの心中を知ってかしらずか、テイルはあっさりと諦めの言葉を口にした。え? と首を傾げるアンリに、テイルは明るく笑いかける。
「今から言ったって、時間が戻るわけでもない。どのみち二年になれば授業で魔法実践が始まるし、たしかに、そんな部活動をやる必要はないよな」
「え、ああ、うん」
「ああ、でも」
そこでテイルは笑顔をおさめ、少しだけ眉をひそめた。
「魔法の実践なんて初めてだから、授業で上手くできるか不安だな。あんまり上手くできなかったら、ちょっとコツとか教えてくれよ。クラスが変わってもさ。元クラスメイトの……いや、一緒に走った仲間のよしみでさ」
「……ははっ。なんだそれ」
テイルの言いぶりに、一瞬前の後悔も忘れてアンリは笑う。一緒に走った仲間のよしみ。
そうだ。別にクラスメイトでなくても、魔法研究部でなくても、繋がりなどいくらでもある。無理に過去に遡って、ああしておけばよかったなどと、後悔する必要はない。
走るだけでも、友達にはなれる。
突然笑い出したアンリに不安を覚えたらしいテイルが、いっそう表情を曇らせた。
「笑うなよ、真面目なんだ。魔法が不安なんだよ」
「わかったよ。大丈夫、魔法のことなら教えられる」
「そうか? よかった」
「それより、テイルは年末までに帰るんだろ? それまで毎朝走ろう」
「ああ、もちろん」
そうして五日後にテイルが寮を去るまで、二人は毎朝力尽きるまで走り、男子寮横の芝生に転がったのだった。




