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再び重魔法の準備を始めたアイラに対し、アンリはまず土魔法で彼女の足下の床を崩した。彼女はそれを避けるために横へ跳んだが、魔法の準備が崩れるほどの動揺には至っていない。
続けてアンリはアイラの着地点に木魔法で蔦を這わせる。足を絡め取ろうとする蔦を、アイラは火魔法で焼いて退けた。
アイラがわずかに眉を顰める。火魔法の発動により、重魔法用の火炎魔法の準備がやや遅れたのだ。アンリは攻撃の手を緩めず、すぐに氷魔法でアイラの頭上に大量のつららを用意した。アイラが前後左右どちらに動いても避けられないよう、彼女を中心として広い範囲につららを降らせる。
防御に魔法を使わせて、重魔法を放棄させる作戦だ。しかしアイラが取ったのは、予想外の選択肢だった。
(えっ……いや、ちょっと。防御しろよ!)
足下を脅かす蔦こそ火魔法で焼き払ったアイラだったが、頭上から降り注ぐつららは完全に無視。そのまま重魔法を準備した左手をアンリに向けて、魔法を発動しようとする。
このままではアイラの重魔法が発射するのと、アンリの用意したつららがアイラを貫くのとが同時か。
「…………っ」
アンリは舌打ちしながら移動魔法を使い、大きく後退した。アイラとの間に風、水、氷、土、木……等々、思いつく限りの基本魔法で防御のための壁を作り出していく。同時にアイラの上から降らせようと思っていた氷魔法を解除して、つららを水に溶かした。
大量の水がアイラに降るのと、アイラが重魔法を撃ち放すのとが同時だった。轟音とともに、アンリの用意した基本魔法による壁が次々と壊れていく。
(……足りないか?)
重魔法があまりにも簡単に壁を破っていくのを感じて、アンリはひやりとした。もっと防御力の高い魔法で防ぎたいところだが、あまり魔力を込めすぎると上級戦闘魔法と認定されてしまうかもしれない。
仕方なくアンリは訓練室の壁に背中がつくほどの位置まで後退し、基本魔法による壁をさらに追加した。重魔法はどの壁も簡単に破り、アンリに向かって進んでくる。
それでも確実に勢いは落ちた。最後の壁が破られる前にアンリが高く跳び上がると、直後に部屋に轟音が響いた。重魔法がアンリの元いた場所を突き抜け、訓練室の壁にぶつかった音だ。
「……あ、危ないだろ! めちゃくちゃな魔法撃つなよ! っていうか、氷魔法は防御しろよっ」
跳び上がった空中に飛翔魔法で留まりながら、アンリは思わずアイラに怒鳴る。一方のアイラは大量の水を浴びてびしょ濡れになりながらも、澄ました顔でアンリを見上げた。
「あら、ちゃんと避けられたんだから、危なくはないでしょう? それに、氷魔法は貴方が解除してくれるってわかっていたわ」
「…………」
嫌な予感がして、アンリは黙り込む。
「命に関わる危険な行為や、後遺症の残る傷を与えることは禁止だもの。貴方だって、そんなルール違反で負けたくはないでしょう?」
やっぱりか、とアンリは大きく舌打ちした。
模擬戦闘ではたまにある作戦だ。相手を死なせてはならないことがルールになっている模擬戦闘において、相手からの致死性の高い攻撃を、あえて回避しないという戦法。
ルール違反を回避するため、攻撃側は魔法を解除せざるを得ない。
一種のズルのようなものだ。模擬ではない本当の戦闘時には使えないから訓練にならないし、一歩間違えれば大怪我に繋がるため、推奨はされていない。
それでも勝ちにこだわるときに、こういう戦法を採ることがある。
(……アイラがその気なら、俺だって。アイラの重魔法を避けなければ)
「ちなみに私はアンリほど魔力の操作が得意ではないから、直前で魔法を解除するなんて芸当は期待しないでちょうだいね。そうね、貴方が避け損ねたら、潔く負けを認めるわ」
つまりアンリがどんな怪我を負おうと、あるいは命を落とそうと構わないというわけだ。もちろん、上級戦闘職員であるアンリであれば重魔法をさばききれないなどというヘマを犯すはずがないという、信頼があってこその物言いではあろうが。
一瞬、模擬戦闘とは無関係に重魔法をぶつけてやろうかと思う程度には苛立ったアンリだが、すぐに気持ちを落ち着けた。怒りで隙を見せては、アイラの思うつぼだ。
「あら、怒らないのね」
「この程度で怒るほど子供じゃないからね」
「そう? 短気なアンリのことだから、てっきり……っ」
そこでアイラが急に後ろを向いたので、アンリは舌打ちした。気付かれた。アイラの背後から隠蔽魔法をかけて近寄らせていた蔦が、一瞬で消し炭にされてしまった。
「……てっきり、重魔法でも仕掛けてくのではないかと思ったのだけれどね」
その言葉に対し、アンリは言葉では応じない。アイラがアンリへと向き直る前に、アンリは木魔法で作り出した新たな木剣を手に、空中から飛び降りるようにアイラに斬りかかっていた。アイラは氷魔法で空中に作りあげた盾で、危なげなくアンリの木剣を受け止める。
「せっかちね」
「別に、のんびりやる必要もないだろ?」
受け止められてしまった時点で木剣を手放し、着地して一歩後ろに下がる。案の定、木剣は氷の盾にめり込んでいた。敢えて氷を緩めにつくり、受け止めた剣を逃さずその場に留める。交流大会のときにも見せた、アイラの巧みな氷魔法の使い方。
「そういう魔法の使い方、どこで覚えるの?」
「とても良い先生に家庭教師についてもらっているのよ。羨ましい?」
「羨ましくはないけれど、一回その先生と手合わせしてみたいね」
話しながら、アンリは再び、隠蔽魔法により隠した魔法でアイラの足下を狙う。今度は氷魔法。ちょうど水浸しになっているアイラを足下から凍らせれば、動きを止めることができるのではないか。
「甘いわよ」
アイラの周囲に、ゴオッと音を立てて焰が立ち上がる。氷が溶ける……どころか、水が蒸発する。下手をすると、アイラ自身が火傷を負うのではないか。
模擬戦闘くらいで無茶な真似を……とアンリは思ったが、当のアイラ自身が、やや驚いたような顔をしていた。どうやら、意図したよりも火炎魔法の勢いが強いらしい。アンリは咄嗟に水魔法で頭上から大量の水を降らせ、もう一度アイラを水浸しにした。
「気を付けろよ。その魔法器具、魔力を増やすだけじゃなくて、攻撃の威力を上げているんだから」
「……忠告ありがとう。親切を仇で返すようで、申し訳ないわ」
アイラの言葉に対してアンリが疑問を感じたのは一瞬だった。
直後には、疑問など感じている余裕がなくなった。
いつの間にか背後から、風と炎、そして雷の三重魔法が迫っていた。
気付いたときにはすでに魔法は発動していて、もはやアンリを目指して進んできている状況だ。防ぐか、避けるか。しかし背後から迫るそれを避ければ、目の前にいるアイラにぶつかるかもしれない。アイラの生み出した魔法なので、そうなったところで自業自得ではあるが……後味は良くないだろう。
アンリの取った行動は、ほとんど反射的なものだった。防ぐか避けるかなどと考えるよりも前に、魔法を発動していたといってもよい。自分の背中側に大きく強い結界魔法を築き、迫っていた重魔法を弾いた。斜め上に弾かれた重魔法が、天井へ向かう。
激しい揺れと轟音を伴って、アイラの重魔法は天井に大きな穴を空けた。
やってしまった、とアンリは頭を抱える。
「…………そこまでっ!」
そして轟音の余韻が収まる頃、トウリが戦闘の終わりを告げた。
重魔法を弾くほどの結界魔法は、戦闘魔法でも上級に分類される。
アンリの反則負けは、明らかだった。




